【連載 ミニバンの起源 2-1】トヨタが初めて北米に投入したミニバンは"プレビア"だった! 現地での評判はどうだった?

日本メーカーの北米挑戦はホロ苦いデビューだった!? 【連載「ミニバンの起源」第2回 日本のミニバン創世記 前編】

TOYOTA PREVIA
1980年代中頃に登場し大ヒットしたダッジ・キャラバンは次第に「ミニバン」と呼ばれるようになっていく。日本の自動車メーカーも、そのミニバン市場に関心を示すようになる。

マツダ・MPVとトヨタ・プレビアが北米デビュー

1970年代に世界を巻き込んで「オイルショック」が勃発、石油価格の上昇からガソリンの値段も急騰した。だが、このことは、北米における日本車のプレゼンスを高めたことも事実だ。大排気量V8エンジンを積むようなアメリカ車は徐々に敬遠され、コンパクトで燃費のいい日本車の人気が上がったのだ。

1980年代に入っても同様の傾向で、トヨタのカムリやホンダのアコードなど、北米で大ヒットするクルマも登場した。こうなると、日本の自動車メーカーのほとんどが北米マーケットを無視できなくなっていく。

そうしたなか、前回見たように、1980年代前半にクライスラーからダッジ・キャラバンが登場。これはオイルショックに端を発した、クルマのダウンサイジング化の影響も濃かった。以前からあったフルサイズバンよりはるかに小さかったので「ミニバン」と呼ばれるようになる。大ヒットし、クライスラーは傘下のブランドに兄弟車を展開。プリムス・ボイジャーやクライスラー・タウン&カントリーなどミニバン軍団を形成した。

当然、日本メーカーにも影響は及んでいく。北米で売れるクルマは間違いなくドル箱になるからだ。日産プレーリーが1985年に北米市場に上陸してはいたものの、改めて本場アメリカのミニバンに対向すべく、他社に先駆けて動いた日本の自動車メーカーがあった。

1988年にマツダがMPVを北米に投入。1990年にはトヨタがプレビア(日本での車名はエスティマ)を投入、北米のミニバン市場に参入した。だが、結論から言うとこの2台、北米で大成功とはいかなかった。

理由は何か? 本家クライスラーは、1987年にホイールベースを伸ばしてより室内を広くしたダッジ・グランドキャラバンを登場させ、人気はこちらのモデルに移っていた。少々矛盾ではあるが、当初は全長4.5m弱とコンパクトだったのが、グランドキャラバンは4.8m超えと大型化していた。

対して、MPVは全長4.5m弱と短く、さらに2名がけの2列目ベンチシートも小さくて快適とは言えなかった。

またグランドキャラバンに搭載されるエンジンで人気を集めていたのは圧倒的にV6で、ミニバン=V6という認識が定着しつつあった。だがエスティマはその特殊なミッドシップレイアウトゆえ、専用の直4エンジンしか搭載できなかった。直4=非力と見なされたため、結局人気を獲得できなかった。

ミニバン黎明期における日本メーカーの北米挑戦は、少しほろ苦いものになっていた。

日本独自の多人数乗車が可能なバンとは?

元祖ミニバンのダッジ・キャラバンよりも早く、ほぼ同様のコンセプトのクルマが日本でデビューしていた。両車ともFFセダンベースで3列シートを備えていて、プレーリーに至ってはリアにスライドドアやセンターピラーレス構造を採用していた。日本は目の付け所が10年以上早かった。その先見性に驚かされる。

日本ならではのワンボックスとは?

1970〜1980年代の東京モーターショーで発見!!

市販される前にコンセプトカーとしてモーターショーでお披露目されることが多い。つまりミニバンブームの前兆はモーターショーに見てとれるわけだ。たとえばエスティマは1989年に動くカットモデルとして登場して、大きな話題になった。ここではレアなコンセプトモデルを見てみよう。

新連載”ミニバンの起源” まとめはこちら

[スタイルワゴン・ドレスアップナビ編集部]

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