目次
OPTIONホットマシン計画の全て
フェアレディ280Z、セリカXXターボに続き、OPTIONホットマシン製作の第3弾として抜擢されたベース車は「シティターボ」だった。その企画の発端は、「フェラーリやロータスなどのミッドシップスポーツカーが日本にはない!」という、国産自動車メーカーへのアンチテーゼでもあった。(連載期間1983年〜1986年)
エンジンをリヤに積んだモンスターシティ!
この壮大な計画をOPTION編集部だけで実現するのは不可能だ。そこで、レーシングカーコンストラクターの名門“ノバ・エンジニアリング”の大々的なサポートを得て、ミッドシップマシンの製作を進めることと相成った。
新車だったシティターボが、ノバ・エンジニアリングの工場へと運ばれると、まずは全バラ作業からスタート。エンジンや足回り、内装の類は全て外され、ミッドシップへの移植に備える。ラゲッジスペースだった車両後部は角パイプによるフレームの追加やクロスメンバーの製作、サイドレールの補強にストラットマウントの新設等々…、膨大な作業が強いられた。
フロントの元エンジンルームには、レース用の40L安全タンクを低位置にマウント。
とくに切った貼ったされたボディ後方は、失われた剛性を強化するために、4点式のロールバーではなく9点式サイドバー入りの強固なロールケージを投入。万全の剛性を確保した。
フロントの足回りを丸ごとリヤに移植した直後の状態。ちなみに、これらのメイキングはノバ・エンジニアリングの森脇基恭氏とレースエンジニアの舘内端氏という超豪華タッグが担当していたのだから恐れ入る。
一筋縄では行かない作業のオンパレードだったものの、さすがはノバエンジニアリングと言うべきか、作業開始からわずか3ヶ月足らずでシティのミッドシップ化に成功。「まずは走らせること」が目的だったため、エンジンはノーマル(100ps)状態とされた。
そうして迎えたシェイクダウンの日。ステアリングを握ったDaiいわく「オーバーステア傾向が強くて、注意しないとフロントが巻き込んでスピンしちゃうな」とのこと。これは、FF車であるシティのエンジン&足回りをそのままリヤに移植したことによる前後重量配分の変化が原因に他ならない。いきなり、サスセッティングの再検証という課題を突きつけられたのだ。
このようにトライ&エラーを繰り返しながら各部のセットアップを煮詰めていき、1984年に筑波サーキットでのタイムアタックを敢行(ドライバー:清水和夫氏)。アタック中、アクセルワイヤーの不調で全開にならないというトラブルが発生したが、何とか1分19秒21をマーク。清水和夫氏からは「ピーキーだけどちゃんと走る。アクセル全開にできれば16秒台は確実」という評価を得た。
そして最終回。HKSから発売されたターボキットを装着し、パワーは一気に145psへ。満を持して臨んだ0-400mアタックでは見事14秒台(ノーマル:17秒52)に突入! FFとは違い、スタート時のトラクション性能が高いリヤミッドシップカーの素性を余すことなく発揮したのである。さらに、45ps上乗せされたパワーの恩恵で最高速も177.12km/h(ノーマル:152.72km/h)をマークするなど、圧倒的なパフォーマンスを披露したのだ。
各分野のプロフェッショナル達を巻き込みながら完全体となった魔改造シティだが、これに味を占めたOPTION編集部は、わずかなインターバルを置いてミッドターボ仕様をさらに進化させるための新プロジェクトをスタートさせた。それが、シティの“ツインエンジン+4WD化”である。ドナーとなるシティのエンジン付きフロント周りを9万円で購入して幕を開けた第二章、その物語はまたの機会に紹介していこうと思う。