史上初の“スピード違反者”は13kmで捕まった

1896年1月28日、イギリス・ケント州パッドック・ウッド。馬車がまだ主流だったこの小さな町で、世界初となるスピード違反の記録が生まれた。違反者はウォルター・アーノルド氏。彼は自家用の「ホースレスキャリッジ(馬なし馬車)」を運転していた。
当時のイギリスでは、1878年に制定された「Locomotive Act」により、公道での自動車の制限速度は2mph(約3.2km/h)に定められていた。この法律では、車両の前方を歩行者が赤い旗を持って歩き、周囲に車の接近を知らせる義務があった。
しかしアーノルド氏は、その4倍にあたる8mph(約12.87km/h)で走行していたため、地元警察の追跡を受け、最終的に逮捕・起訴された。なお、このとき彼を追いかけたのは、自転車に乗った警察官だったという記録が残っている。エンジン付きの車をペダルで追いかけるという、時代を象徴するような構図である。
アーノルド氏は後の裁判で罰金1シリング(現在の1,200円に相当)を科されたが、その違反は“世界初のスピード違反”として、自動車の歴史に名を刻むことになった。
速度制限の本質を問い直す

現在では、道路ごとに明確な制限速度が定められており、それを超過すれば反則金や免許停止などの罰則が科される。だが、ここで重要なのは「速度そのもの」が危険なのではなく、その場に応じた適切な判断が求められているという点である。
たとえば日本の高速道路では、100km/hが標準的な制限速度とされている。しかし、大雨や濃霧、事故現場に遭遇した場合には、その速度がかえって危険を招くことがある。一方で、夜間の無人で広い直線道路では、60km/hでも遅すぎると感じられる場面もあるだろう。つまり、速度違反を“単なる数値の超過”ととらえるのではなく、「文脈を無視した運転行為」と捉え直す必要がある。
かつてのアーノルド氏が“速すぎた”のではなく、“理解されなかった”ように、現代のドライバーもまた、「いつ、どこで、どのように速度を調整するか」という判断力が問われている。
今も昔も、“速すぎる”には理由がある

アーノルド氏が時速13kmでスピード違反とされた1896年から、すでに130年近くの歳月が流れた。技術は飛躍的に進化し、速度の基準も大きく変わった。しかし、スピードが持つ影響力の大きさは当時も今も変わらない。
2025年現在、先進運転支援システム(ADAS)や自動速度制御機能の普及が進み、「スピード違反をしない車」が現実のものとなりつつある。それでも、最終的に速度を決めるのはドライバー自身である。
スピード違反の歴史を振り返ることは、「どこまでが速すぎるのか」という問いに対し、常に人間の判断が関与してきたことを思い出させてくれる。たとえ技術が進歩しても、運転者の想像力と配慮の重要性は変わらない。数値だけを追うのではなく、文脈を読む視点こそが、これからの交通社会における“制限”の本質となるだろう。