今では当たり前のアレもコレも。ジウジアーロの4つのデザイン革新

まずはジウジアーロが1960〜70年代に考案した革新的アイデアの話。他の誰も考えなかったことに挑戦するだけでは、世間から評価されない。それが多くのフォロワーを生み、広く普及した実績こそ巨匠の証だ。今では当たり前に見るデザインのなかから、彼が「発明」した4つを紹介する。

4月に幕張メッセで開催されたAutomobile Councilのトークショーに登壇した、ジョルジェット・ジウジアーロ氏

その1:ヘッドランプを組み込んだグリル

17歳でフィアットにデザイナーとして雇われたジウジアーロは4年後、名門ベルトーネの総帥、ヌッチオ・ベルトーネの面接を受ける。この日のために自宅で描きためたスケッチを持参したが、ヌッチオは「きみが描いたはずがない。誰に手伝ってもらったか言いなさい」。若き天才はこう答えた。「何か課題をください。今ここで描いてみせます」

▲アルファロメオ2000スプリント 1960年 量産(Photo:CAR STYLING 第8号)

59年12月、ジウジアーロはベルトーネのチーフデザイナーに就任。面接で描いたスケッチは翌60年のトリノショーで、アルファロメオ 2000スプリントとなってデビューした。エレガントなシルエットの4座クーペだが、「発明」のポイントはフロントにある。グリルの外側にヘッドランプを置くのが常識だった時代に、彼はグリルの幅を広げ、そこにヘッドランプを組み込んだ。これがすぐに新しい常識として世に広まったのは、言うまでもない。

その2:接着ウインドウ

ベルトーネは64年、初めてパリサロンに参加。それに向けてヌッチオは、ジウジアーロにアルファロメオTZのシャシーを使ったショーカーをデザインさせた。彼の作品のなかでも、今もなお色褪せない名作のひとつとされているカングーロだ。

▲アルファロメオ・カングーロ 1964 プロトタイプ(Photo:CAR STYLING 第8号)

もともとTZはレースを前提としたスポーツカーだが、カングーロに猛々しさは皆無。ソフトな曲面で包まれている。ウインドウも曲面で、フォルムに完全に一体化されたフラッシュサーフェスなのは、ドアを含めてすべてのウインドウをボディに接着するというアイデアをジウジアーロが考えたからだ。

実用性を無視したプロトタイプだから可能だったデザインだが、ウインドウを接着するというアイデアは80年代以降、量産車のウインドシールドやリヤウインドウに広く普及していくことになる。

その3:サイド見切りのテールゲート

ジウジアーロはエンジニアのアルド・マントヴァーニと共同で67年にイタルスタイリング(翌年にイタルデザインに改称)を設立。会社が順調に業績を伸ばすなか、彼の名を世界に知らしめた出世作と言えばやはり初代ゴルフだろう

▲VW シロッコ 1974年 量産(写真はプロトタイプ) Photo:ITALDESIGN

そのゴルフの開発中、ジウジアーロは共通のフロアでクーペを作ろうと提案。しかしVWは興味を示さなかったので、アイデアをカルマンに持ち込んだ。こうしてカルマン・ギア(ビートル・ベースのクーペ)の後継車として誕生したのが初代シロッコだ。

ゴルフのデザイン特徴を巧く活かしたシロッコ。テールゲートをサイド見切りにした点も共通する。それまで背面にあった開口線を側面に移すことで、ゲート開口幅もリヤウインドウもワイドにできる。その後の多くのハッチバック車にコピーされたデザイン革新だ。

もともとゴルフで発案したものだが、シロッコのほうが先に世に出た(プロトタイプを73年ジュネーブショーで発表)ので、ここではシロッコを取り上げた。ちなみにホンダが初代アコード・ハッチバック(76年発売)の開発時に、そのクレイモデルの横にシロッコを置いてデザイン検討したのは知る人ぞ知る話。もちろんアコードのテールゲートもサイド見切りだった。

その4:開口線を整理するボディ構成

1979年のジュネーブショーでデビューしたアッソ・ディ・フィオーリは、いすゞの依頼でイタルデザインが製作したプロトタイプ。117クーペの後継車という位置付けだったから、ジウジアーロは当然、生産化可能性を念頭にデザインに取り組んだのだが、そこには3つの発明が込められていた。

▲アッソ・ディ・フィオーリ 1979年 プロトタイプ Photo:ITALDESIGN

70年代までのほとんどのクルマにはルーフサイドからAピラーにかけて、雨水を流す雨樋=ドリップチャンネルがあったが、アッソ・ディ・フィオーリはそれをドアの内側に隠した(コンシールドドリップ)。いや、ここまでなら先例があるのだが、ドアをAピラーに完全にオーバーラップさせたのはジウジアーロの発明だ。ドアはルーフ側にも回り込んでいるので、側面視のドア開口線は前後の2本だけに整理された。

2つ目は、ボディサイドの肩口に凹断面のラインを走らせ、ボンネットをこのラインまで回り込ませたこと。ボンネット開口線が事実上、見えなくなった。

3つ目は、テールゲートをリヤクォーターウインドウの後端まで回り込ませ、その開口線も目立たなくしたこと。これは前述したゴルフ/シロッコのサイド見切りのテールゲートを発展させたものだ。

これら3つの発明はその後の多くのクルマに採用されていくわけだが、ボディ構造を考え直さなくては実現しない。ジウジアーロの提案に対して、イタルデザインの技術陣を率いるマントヴァーニは即座に「できるよ」と答えたそうだ。

アッソ・ディ・フィオーリを量産化、つまりピアッツァに仕立てる設計もイタルデザインが担当し、81年のジュネーブショーにプリプロダクションのプロタイプを出品。いすゞがピアッツァの生産を始めたのは、その2ヶ月後のことだった。

伝説のデザイナー「ジウジアーロ」 いすゞ117クーペを生んだ「デザインと技術は両輪」の秘密を探る【連載第二回】

4月に幕張メッセで開催されたAutomobile Councilにジョルジェット・ジウジアーロが登場。11日(金)と12日(土)のトークショーは大盛況だった。言わずと知れたカーデザインの巨匠だが、彼のどこがすごいのか? ジウジアーロ取材歴40年のデザインジャーナリスト千葉匠が解説、連載第二回目をお届けしよう。 TEXT:千葉 匠(CHIBA Takumi) PHOTO:Italdesign/NISSAN/三栄

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