模型界の偉人、株式会社タミヤ代表取締役会長・田宮俊作氏の訃報

クルマ好きであれば間違いなくハマる「ミニ四駆」を提案する記事を書こうと取材を進めていた矢先、タミヤの代表取締役会長・田宮俊作氏が逝去されたというニュースが飛び込んできた。
筆者は昭和53年生まれだが、幼少期からタミヤの模型は常に憧れだった。きっとこの記事をご覧になっている皆さまも同じだろう。小学生だった当時、模型としての優れたクオリティまではしっかり理解できていなかったが、コーポレートロゴや製品カタログ、ボックスアート、説明書、パッケージなどなど、どれを取っても圧倒的に洗練されていてカッコよかった。業界を代表するメーカーであることが、小学生でも直感的に分かった。
大人になってから、田宮俊作氏の著書を通じて、そうしたすべてがタミヤの模型作りに対する並々ならぬ情熱の表れであったことを知り、改めてファンになった。深い感謝とともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
小学生をメインターゲットにした新戦略がコロコロコミックと共に花開く
さて、ミニ四駆はその田宮俊作氏の発案により、1982年に誕生したホビーである。現在に至るまで社会現象というべき大ブームを何度も巻き起こし、現在までの累計販売台数は1億9000万台以上にものぼる。
2024年に開催された公式レースイベント「ミニ四駆ジャパンカップ2024」の全会場を合わせた参加者数は1万人以上。念のために強調しておくと動員数ではなくレースの参加者数である。まさに自動車模型における“奇跡”のような存在なのだ。

まずは、ミニ四駆誕生の経緯について簡単に触れておこう。1980年代初頭、すでに田宮模型(現・タミヤ)は、精巧なプラモデルを製造する一流メーカーとして国内外で高く評価されていた。一方で、当時の製品ラインナップは本格的なスケールモデルが中心で、子どもが気軽に楽しめるような製品は少なかった。
そこで田宮俊作氏の提案のもと、小学生以下の子どもたちが模型に親しむきっかけとして開発されたのが、ミニ四駆だった。
「四輪駆動の動力模型」
「接着剤不要のスナップ(はめ込み)式組み立て」
「子どもの小遣いでも手が届く価格帯」
これらの基本コンセプトは、今も変わらず受け継がれているものだ。
現在主流となっているミニ四駆は、1986年に登場した「レーサーミニ四駆」シリーズがルーツである。当時の子どもたちにとっては高嶺の花だった同社のラジコンカーの“弟分”として商品化され、瞬く間に大ヒットとなった。



筆者の世代は、まさにそのブームの真っ只中にいた。『月刊コロコロコミック』(当時の発行部数は100万部を超えていたとされる)の連載作品に登場するオリジナルマシンがキャラクター化されて商品化されるという効果的なタイアップも手伝い、小学生の間で爆発的な人気を博した。
筆者もまた例に漏れず、夢中になっていたひとりである。
カスタムのしやすさがさらなる人気を呼ぶ
ミニ四駆が、ただの子ども向けのクルマ玩具とは一線を画していた理由のひとつに、ユーザー自身の手で簡単にカスタマイズできる点の連載作品に。じつはこの“カスタマイズして遊ぶ”という要素は、もともとの開発段階では想定されていなかったらしい。「もっと速く走らせたい」というユーザーの声に応えるかたちで、後から加わっていった要素である。
また、組み立てのしやすさを重視して設計されていたため、モーターやホイール、タイヤ、ギヤ、ドライブシャフトなど、各パーツが簡単に交換できる構造になっていたことも、結果的にカスタマイズの自由度を高める要因となった。

このようなメーカーとユーザーの相互関係によって遊び方やカスタマイズが思わぬ方向へ発展していくケースはミニ四駆特有のものである。初期の頃は子どもたちが生み出した創意工夫をフィードバックする形で新たなグレードアップパーツが登場するという流れも良く見られた。黎明期から現在まで、ミニ四駆のカスタマイズの1丁目1番地といえば、スムーズにコーナリングできるようバンパーなどにガイドローラーを装着することだが、これも元々は、コーナリング時の抵抗を減らそうと洋服のボタンをバンパーに装着していた子どものアイデアから生まれたものである。
後編の記事で詳しく紹介するが、公式レースイベント「ジャパンカップ」では、タミヤが提示する「課題」にユーザーが新たな工夫で挑むという側面も多分にあり、今もなおメーカーとユーザーによるの良い関係性が続いている。



かつてのメインターゲットのみならず幅広い世代が楽しめる”本気”のホビー
ミニ四駆関連の商品は、現行商品だけでも車両本体と別売りのグレードアップパーツを合わせて200種類以上という膨大な数である。それぞれ異なる特性をもつ車両にパーツを組み合わせてセッティングし、専用サーキットで速さを競う、それがミニ四駆の基本的な遊び方である。

コースレイアウトが変われば、当然セッティングも最適化しなければならない。また車体やグレードアップパーツに工作を加えることで、さらなる速さを手に入れることもできる。

かつて小学生を熱狂させたミニ四駆は、いまや還暦を超えた大人から未就学児まで、幅広い世代に親しまれている。その理由は、速さを追求する工夫に限りがなく、大人の“本気”にも応えられる奥深さを備えているからにほかならない。

1980年代には、タミヤのレーサーミニ四駆のヒットを受け、競合各社が類似商品を発売したこともあった。中には、ストック状態では本家を上回る性能を持つモデルもあったが、どれも人気が長続きすることはなかった。ミニ四駆が唯一無二の地位を築いたのは、優れた“ハード”と“ソフト”の両輪があったからこそ。本来はタミヤの一商品にすぎないはずのミニ四駆が、約40年間に渡って人気を維持し続け、いまでは“遊びのジャンル”として定着しているのだから驚きである。

以上、プロダクトとしてのミニ四駆の歴史や魅力をざっと紹介してきた。個人的な思い入れの強さから、前のめりかつ暑苦しい文章となってしまったことをご容赦いただきたい。
後編では、現在開催中の公式レースイベント「ジャパンカップ」について、東京大会のレポートも交えながらお届けする。ユーザーが手塩にかけたマシンを、華々しい舞台で競わせることができる、そんな「コンテンツ力」もまた、ミニ四駆が愛される理由のひとつなのだ。
参考文献/田宮俊作『タミヤ模型の仕事』(文藝春秋)、のむらしんぼ『コロコロ創刊伝説』(小学館)
模型文化を世界に発信するタミヤのフラッグシップショールーム

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