4.0L直列6気筒エンジン搭載!四国のメーカーが販売した日本最大級のオート三輪「トクサン号」を知っているか? | Motor-Fan[モーターファン] 自動車関連記事を中心に配信するメディアプラットフォーム

『福山自動車時計博物館』でしか見られない「トクサンTF型」 地元の企業家でエンスージアストでもある能宗 孝(のうそう・たかし)氏のコレクションをもとに、1989年に開館した広島県福山市にある『福山自動車時計博物館』。施設 […]

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オート三輪「トクサン号」をピックアップした【福山自動車時計博物館見学記vol.2】はこちら。

充実した『福山自動車時計博物館』の消防車コレクション

ユニークな旧車揃いの『福山自動車時計博物館』の収蔵車両の中で見どころのひとつとなっているのが屋外展示される消防車のコレクションだ。屋外展示場には一応風雨を避けるための屋根はあるのだが、空調の効いた館内とは違って長年の間にどうしても車両は痛みが進んでしまう。

福山自動車時計博物館
所在地:広島県福山市北吉津町3丁目1-22
電話:084-922-8188
休館日:年中無休
営業時間:9:00~18:00
入場料:大人900円/中高生・65歳以上・障がい者600円/小人300円(毎週土曜日は高校生以下無料)

小型の消防車は最近レストアした車両もあるようで、比較的コンディションの良いものが多いのだが、中・大型トラックベースの消防車は埃まみれ、サビだらけで、なかにはヘッドランプなどのパーツが欠品したものもあり、一見するとスクラップにしか見えない車両もある。

しかし、よくよくそれらを見ると、それら大型消防車の多くはここでしか見られないような珍しいクルマばかりだと気づくはずだ。なかでも大変珍しいのが、呉市消防署が使用していた「光竜号」だろう。この車両のベースは第二次世界大戦で連合軍の輸送の主力として活躍したGMC CCKW-353だ。

広島県呉市消防署が使用していたはしご車「光竜号」。キャビンの形状からは原型がわかりにくいが、じつはベースは軍用トラックのGMC CCKW-353だ。

もともとこの車両は1946~1956年まで呉市に駐留していた英連邦軍が使用していた軍用トラックベースの消防ポンプ車で、同軍が日本から引き上げる際に払い下げられ、大阪の消防車メーカー森田喞筒(そくとう)工業(現・モリタ)が、油圧駆動の自動伸縮はしご車に改造したという。はしごは2連式で、伸ばすと12メートルとなる。その際にCCKWの武骨なキャビンはその際に民生トラックに似せたカタチに改められたという。

「光竜号」の原型となったGMC CCKW-353。連合軍を第二次世界大戦勝利に導いた原動力のひとつとなった。

大阪で改造されたこの車両は消防活動に従事するため再び呉市に戻された。1957年12月17日の完成検査後に消防署への配備を予定していたものの、その前に税関支署と市港湾部が共同使用していた市内の木造2階建て庁舎で火災が発生したことから、急遽試験を取りやめて、ぶっつけ本番で消化に当たったと伝えられている。

1954年に登場したトヨタFC100消防車。
1959年に登場した日産680型消防車。

なお、この車両の正式な配備は翌1958年1月からで、以降1971年11月に引退するまで市内の消防署に所属して活躍したという。一時は保存車両として国鉄(現・JR西日本)阿賀駅近くの豊栄交通公園などで展示されていたようだが、終の住処としてこの場所で展示されるようになった。

1966年に登場した2代目日産ジュニアF41型消防車。1962に登場したF40のマイナーチェンジモデル。
1956年に登場した日産ジュニアFB42型消防車。

このほかにも屋外展示場には日産ジュニアやいすゞ・ユニキャブ、日産F581など往年の消防車が10台ほど展示されている。消防車の展示スペースは車両が隙間なくギチギチに並べられていたため、すべてを撮影することはできなかったが、他にも興味深い車両が何台もあったので、消防車が好きな人は1度現地を訪れると良いだろう。

いすゞ・ユニキャブ消防車。
トヨタ・ミニエース消防車。

筆者感涙!第二次世界大戦で活躍したダッジWC-52ウェポンキャリア

消防車以外にも屋外展示場にはユニークな特殊車両が数多く並んでいる。なかでも筆者がその姿を見つけて思わず狂喜乱舞したのが、軍用車両のダッジWC-52だ。この車両は第二次世界大戦で米陸軍が使用した小型軍用トラック・WCシリーズのひとつで、1941~1942年前半にかけて生産された初期型の1/2tシリーズに代わり、1942年後半から生産が始まった改良型である。

『福山自動車時計博物館』の屋外展示場に並ぶダッジWC-52ウェポンキャリア。第二次世界大戦で米軍が運用した小型軍用車トラックだ。 

3/4tシリーズはその名の通り、750kgの最大積載量を誇り、前モデルと同じく兵員輸送車型、救急車型、偵察車型、工兵車型、対戦車自走砲型など、さまざまなバリエーションが製造された。なかでも生産台数がもっとも多かったのが、ウェポンキャリア型と呼ばれるWC-51とWC-52だ。

工兵の設置した浮橋を渡るWC-51。欧州戦線での一葉。

このモデルはジープよりひと回り大きな車体を活かし、兵員および物資輸送に使用された。大戦中は欧州戦線のほか、太平洋戦争でも活躍したほか、戦後は朝鮮戦争でも使用されている。1951年に後継のM37が登場した後も、しばらくは米軍で運用され続けた。

また、1945年までに36万台以上が生産されたWCシリーズは戦後アメリカの友好国にも供与され、そのなかには創設間もない日本の警察予備隊(のちの自衛隊)も含まれている。

1944年12月の「バルジの戦い」で撮影された米第7機甲師団のWC-51。その脇をM4A3シャーマン中戦車が通過して行く。撮影場所はアルデンヌ高原とアイフェル高原が交差する要衝であり、パイパー戦闘団と激しい戦いが繰り広げられたサン・ヴィットの街。この戦いで市内は瓦礫と化した。

WC-51とWC-52の違いはフロントバンパーに装備されたウインチの有無で、前者がウインチを備えないのに対し、後者はそれを備えることに違いがある。『福山自動車時計博物館』に展示されている車両はウインチを備えており、従ってWC-52となるわけだが、戦場で壊し壊されるのが軍用車両の常であり、実際には破損や故障で取り外されたり、スクラップから外したウインチをWC-51に取り付けるケースもあり、現存車両が工場出荷時の分類そのままとは限らない。そうしたことから基本的にはWC-51とWC-52は同一の車両と考えて良いだろう。そのため、ここでは便宜上ウインチの装備により、展示車両はWC-52として話を進めて行くことにする。

上陸用舟艇から下船するWC-52。

WC-52は、シリーズ共通となるクライスラー製のT214型230.2cu-in(3.8L)直列6気筒サイドバルブエンジンを搭載。組み合わされるギアボックスは4速MTで、駆動方式はパートタイム4WDを採用していた。ボディは軍用車らしくオープントップとなり、運転席の後方には広い荷台が設置されている。そして、貨客両用車として使用できるように、荷台には車体と並行に兵員用の木製ベンチシートが備えられている。

終戦後、ハンガリー軍に供与されたWC-51。余剰車両は各国軍に供与された。

余談ではあるが、じつは筆者はWCシリーズが昔から大好きで、小・中学生の頃にイタレリ社から発売されている1/35スケールのWC-51/52のほか、WC-56スタッフカー、WC-54野戦救急車を作った記憶がある(厳密にいうとWC-54はキャビンのパーツの合いが悪く挫折したが……)。このキットは日本にかつて存在していた旧MAX模型の金型が同社の倒産後に海外に流出したもので、設計・開発にはアニメーターであり、軍用ジープの研究家としての顔を持つ大塚康生氏が手掛けていた。

WCシリーズの設計は戦後民生車両のダッジ ・パワーワゴンに流用された。このクルマは改良を加えながら1980年代まで生産が続けられた。写真はハイアワサ(アメリカ・アイオワ州)の消防団仕様。

当時は大戦中の軍用車両を見る機会などほとんどなく、実車をはじめて見たのは社会人になって訪れた軍用車両のミーティングでのことだった。展示車両のコンディションは良好だ。この博物館は動態保存車両を映画やドラマの撮影に貸し出すこともあるようなので、あるいはこの車両も動態保存車両なのかもしれない。

WC-52の運転席。

運転席に座ってみるとジープよりも車高が高く、サイズも大きいので、大仰な機械に乗り込んでいるかの印象が強い。民生向けの乗用車とは違って、至るところ鋼板がむき出しで、ステアリングホイールを含めて操作系は武骨の一言に尽き、快適性のかの字もない。だが、そこが良いのだ。最近のクルマからはなくなった「悪路を走る」「人や物を運ぶ」「戦う」という機能だけに特化した機械らしいところに、あらためてWCシリーズの魅力を感じた。

アキツ号? みずしま? タンクはなんとメグロ! 正体不明のオート三輪

それ以外にも屋外展示場には興味深いクルマがあった。写真のオート三輪は、戦時中に水上戦闘機「強風」や二式飛行艇、局地戦闘機「紫電改」などを開発・製造していた川西航空機を前身とする明和自動車工業の「アキツ号」だ。海上自衛隊が運用中のUS-2救難飛行艇やダンプなどの特装車、機械式駐車場を製造する新明和工業は、敗戦に伴う企業分割時に分割された系列会社に当たり、アキツ号を製造していた明和自動車工業はのちにダイハツに吸収合併されている。

1949年型アキツ号A-2型をベースにした『福山自動車時計博物館』のオート三輪。

『福山自動車時計博物館』の収蔵車は1949年型アキツ号A-2型とされている。しかし、この頃のアキツ号はC33型で、1灯式のヘッドランプにバーハンドルはC33の特徴だが、ドアのない開放型のキャビンの採用は1953年型からとなるはずだ。

しかも、前面パネルと風貌のカタチはまったく異なり、その形状は新三菱重工の「みずしま」に近い。さらにフロントフォークは本来テレスコピック式のはずなのだが、なぜかガーターフォークとなっている。不思議に思って運転台を見ると、なぜかタンクにはメグロのエンブレムが……。さらに驚いたのが心臓部だ。搭載されていたエンジンはずっと新しく、ヤンマー製の汎用ガソリンエンジンG35が搭載されているのだ。

オート三輪の運転台。燃料タンクにはメグロのエンブレム、心臓部には最高出力5psを発揮するヤンマー製の汎用ガソリンエンジンG35が搭載されている。

実車を目の前にして車種が特定できず、ワケがわからなくなって博物館に尋ねると、ベースこそアキツ号A-2型だが、実走を優先してさまざまなパーツを寄せ集めて組み立てた車両とのこと。以前はクボタAHD型発動機に木炭ガス発生装置をつなげた代燃車仕様だったそうだが、ガス発生装置を取り去り、現在の仕様に改造されて今年11年ぶりに博物館に戻ってきたとのこと。

荷台には以前動力源として搭載して木炭ガス発生装置が積まれていた。

レストアされたばかりらしく、たしかに車両はピカピカ。新車同様とまではいかないものの、コンディションは良好のようだ。ナンバープレートはまだついていなかったが、おそらくは今後ナンバーを取得してイベントなどで活用されるのだろう。

何故ここにある? イギリスの大衆車フォード・ポピュラー103Eを発見!

屋外展示場には少ない数の乗用車も置かれている。ヤードとしての役割も多いのだろう。ピカピカにレストアされたクルマに混じって、くたびれてボロボロなレストアを待つ車両の姿も散見される。

その中で筆者が存在を見つけて驚いたのが、英フォード・ポピュラー103Eだ。このクルマは1954年にアングリア/プレフェクトが新型にモデルチェンジされた際に、旧モデルをベースにした廉価モデル。イギリスでは現在でも人気が高く、大排気量のV型8気筒エンジンに積み替えてブリティッシュHOTRODのベースとなることもある。

その名の通り、イギリスでは長年多くの人に愛され続けるポピュラーな存在な小田が、ここ日本ではまったく無名の存在だ。筆者も写真や映像で見たことはあっても実車を見るのは初めてとなる。

英フォード・ポピュラー103E。イギリスの小型大衆車として1950年代に人気を博した。

なぜ、このクルマが『福山自動車時計博物館』にあるのかはわからない。ポピュラー103Eの新車当時は外貨割当制度や輸入割当制度によって海外からの自動車の輸入が制限されていたし、ほとんど無名のポピュラー103Eをわざわざ中古並行で輸入する物好きもいないだろう。考えられるのは、日本在留の外国人がイギリスから持ち込んだことくらいだろう。

敗戦後、中国地方には進駐軍として英連邦軍が駐留していた。だが、英連邦軍は1950年の朝鮮戦争勃発とともに主力部隊は前線に移動しており、後方要員のみが残されたという。それらの部隊も1955年には日本を離れているので、そのような時期にわざわざ本国から新車を持ち込むとは考えにくい。

とすると、最初のオーナーは在日米軍の軍人なのだろうか? ヨーロッパに赴任していた兵士が日本への転属とともに輸入したということは考えられなくはない。もしくは軍属ではなく外交官などの民間人が持ち込んだのかもしれない。正直なところよくわからないが、なんとも来歴が気になる1台だ。

このポピュラー103Eは、のちにレストアされたのか、鮮やかなオレンジとブラックによるツートンのペイントはややくたびれてはいるものの、全体の雰囲気はシャッキリしている。こうした珍しい車両を所蔵しているのもこの博物館の面白いところだ。

南極観測隊の雪上車も!? 他にも様々なクラシックカーが並ぶ

ほかにも屋外展示場には、南極観測隊が実際に使用した中型雪上車のSM50S型SM505やハイショベルのMS-30型などの特殊車両展示されていた。

SM50S型SM505中型雪上車。
MS-30型ハイショベル。
南極観測隊が使用したトヨタ・FJ45Pランドクルーザー。

さらに、マツダ・ライトバスC型、トヨタ・FJ45Pランドクルーザー、トヨペット・クラウン、同マスターライン・ピックアップ、スバル360カスタム、ホンダ・ステップバンなどの懐かしいクルマが置かれていた。

マツダ・ライトバスC型。
トヨペット・マスターライン・ピックアップ。
スバル360カスタム。
トヨペットSBトラック。
いすゞFFジェミニ。

『福山自動車時計博物館』の収蔵車両は公開されているものだけではなく、ほかにも倉庫に100台ほどの収蔵車が眠っており、それらは適時レストアされて館内施設や屋外展示場の車両と入れ替えられているらしい。まだまだユニークで、珍しい車両があるようなので、中国地方を訪れる機会があれば、また立ち寄りたいと思う。

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