夏のドライブの必需品
カーエアコン夏のドライブの必需品だが、新車時に標準装備になったは30年くらい前からのことで、それ以前はメーカーオプションとして設定されていた。カーエアコンが登場する前は以前は冷房と暖房の機能が独立しており、冷風を放つのはカークーラーの役割だった。

こと車内を冷やすということにおいては、カーエアコンもカークーラーも仕組みは同じだ。その原理はエアコンのスイッチが「ON」に入るとコンプレッサーが稼働し、高温・高圧になった冷媒ガスが、細い管がつづら折りに配されたコンデンサー内を通ることで熱を放出。低温・高圧の液状冷媒へと変化させる。液状冷媒は一時的にレシーバータンクで蓄えられたあと、エキスパンションバルブで液状に噴霧され、車内のインパネ内部に設置されたエバポレーターにより、ブロアファンから送風された空気を冷やし、吹き出し口から冷風として放出される。そして配管を通して冷媒は再びコンプレッサーに戻され、循環することで車内を冷やすのだ。

カークーラーの場合、冷房機能しか持たないが、カーエアコンはヒーターと機能が統合されており、ミクスチャーダンパーと呼ばれる部品を介して冷風と、エンジンの排熱を利用した温風を混ぜることで車内の温度を適切にコントロールする。かつては温度の調整を手動で行うマニュアルエアコンが主流だったが、現在は自動制御で温度を一定に保つオートエアコンが普及している。
自動車用冷房の元祖はアメリカの「スワンプクーラー」
1939年にはコンプレッサーを使用したカークーラーが登場
今や自動車の必需品となったカーエアコンだが、前身となったカークーラーも含めるとその歴史は古く、1930年代のアメリカで普及が始まった。ただし、この当時使用されていたのは現代のカーエアコンとは異なり、冷風を作るのに水の蒸発による潜熱を利用したミスト散布式の「スワンプクーラー」と呼ばれるものだった。

これは内部にバルサ材のおがくずでできた円筒形の筒の入った容器をクルマの窓枠に取り付け、容器に水を入れて使用する。その仕組みは容器に導きかれた走行風を、水が蒸発する際に周囲の熱を奪う「潜熱」と呼ばれる現象を利用して冷やすというもので、原理としては現在の冷風扇に近い。だが、これは停車時には機能せず(のちに電動ファンを備えたものも登場する)、おまけに高温多湿の地域では効きが弱いという弱点があった。
コンプレッサーを使用した近代的なカークーラーは、1939年にパッカードが開発に成功し、同社の高級車にオプションとして設定された。しかし、当時の技術では小型化が上手くいかず、全長6mに達する大型車のトランクルームをほぼ占有してしまうことから、あまり実用的な装備ではなく、ほとんど普及しなかった。

自動車メーカーと家電メーカーが合併した
ナッシュ=ケルビネーター社が現代に通じるカーエアコンを発明
第二次世界大戦後、カークーラーは小型化に成功し、アメリカでは高級車を中心に徐々にオプションとして用意されるようになる。そのような状況にあって、現代車と同じクーラーとヒーターの機能を統合したカーエアコンを開発したのが、アメリカの中堅自動車メーカーのナッシュ=ケルビネーター社だった。

もともとこの同社は1917年にGM(ゼネラル・モータース)の副社長だったチャールズ・W・ナッシュが独立して起こした自動車メーカーである。彼の後継者として家電メーカー大手のケルビネーター社の会長兼CEOだったジョージ・W・メイソンを迎える際に、メイソンが両社の合併を条件としたことから、1937年に両社が合併して誕生した。

ケルビネーター社は、もともと冷蔵庫を得意としたメーカーで、その熱交換技術が自動車開発に活かされた結果、合併の翌年となる1938年に、冷却水を車内の小さなラジエーターに導入することで温風を生むカーヒーターを世界に先駆けて開発に成功する。さらに翌1939年には、サーモスタットを利用して自動で暖房温度調節機能を備える「ウェザーアイ」と呼ばれる近代的なヒーターシステムへと発展させた。

そして、1954年にトランクに内蔵されたコンプレッサー式のカークーラーと温水式ヒーターを組み合わせた「オールウェザーアイ」を発表。同社の高級車「アンバサダー」にオプションとして設定さした。

同社のカーエアコンは比較的安価に提供されたこともあって、数年後にはナッシュ社のラインナップのほとんどで選べるようになり、たちまち人気のオプションとなった。また、これに刺激を受けたライバル社も同社に続いたことから、アメリカでは次第にカーエアコンは珍しい装備ではなくなって行った。

日本初のカークーラーは輸入車販売でお馴染みのヤナセが開発
純正エアコンはトヨタによって誕生
一方、日本製のカークーラーが登場するのは1955年のことだ。開発に成功したのは自動車メーカーではなく、「クルマはつくらない。クルマのある人生をつくっている」のキャッチコピーで有名な大手輸入車ディーラーのヤナセであった。

「ゼネコン」の商品名で販売されたヤナセ製カークーラーは、助手席足もとに装着されるいわゆる「吊り下げ式」で、開発に当たっては、東大工学部出身で、戦時中に石川島播磨重工(現・IHI)で海軍の戦闘機の開発に従事していた津田茂氏が製品化を行った。販売価格が大変高価だったこともあり、当初売れ行きは低調だったが、高度経済成長期への突入もあって、7年後には販売台数を16倍以上の1000台へと伸ばすことになった。

なお、国内の自動車メーカーがカークーラーを純正オプションとして設定したのは、ヤナセ製クーラーの発売から2年後の1957年のことで、その第一号は初代トヨタ「クラウン」であった。
そして、1965年には日本車初のカーエアコンが2代目「クラウン」に設定される。現在、一般的な装備となりつつあるオートエアコンをはじめて搭載したのは、1971年型「センチュリー」であった。

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