峠の走りから世界のステージへ。日本が生んだドリフト文化の軌跡

昔は夜な夜な走り屋が峠を攻めていたとか。

ドリフトとは、クルマの後輪を滑らせながらコーナーを駆け抜ける走行技術である。現在では競技として確立され、世界各国で大会が開催されているが、そのルーツは1970年代の日本にあった。

当時、群馬県や長野県などの峠では、夜な夜な走り屋たちが独自のコーナリング技術を磨いていた。直線での速さではなく、コーナーでの速さと美しさを競う文化が形成されていったのである。

その中で、後輪を意図的に滑らせながらも制御を保つ技法が発展した。これが後に「ドリフト」と呼ばれる走りの原型である。

そして、1980年代になると、ひとりのドライバーがこのスタイルを全国に知らしめる。「ドリフトキング」の異名を持つ土屋圭市である。土屋は峠で培った技術をサーキットへ持ち込み、映像作品やレースで披露した。そこで、モータースポーツの中に「走りの美学」という新たな価値観をもたらしたのだ。

さらに、1990年代に入ると、ドリフトは映像文化とともに爆発的に広がる。「オプション」などのビデオ雑誌が全国の走り屋を特集し、リアルな峠文化を映像として残した。

また、漫画『頭文字D』が登場したことで、ドリフトはフィクションを通じて一般層にも浸透していく。群馬県の峠を舞台にしたこの物語は、実際の走り屋文化をモチーフとして描かれ、国内外で大きな人気を博した。

87号車 FAT FIVE RACING 世界の齋藤大吾選手 (C)Sunpros

そしてその後、D1グランプリ(D1GP)が2000年にスタートし、ドリフトは正式な競技へと発展する。競技の審査基準には、速度だけでなく、角度やライン、観客を魅了するスタイルが加えられた。

これにより、ドリフトは「走り」から「競技」へ、さらに「表現」へと進化したのである。そして現在、D1GPは世界各国で開催され、プロドライバーが日本式のドリフトを披露している。

かつて峠で生まれた技術が、国際的なモータースポーツとして確立された背景には、明確な日本文化の影響があった。

それは単なる運転技術ではなく、「美しく走る」ことを重んじる美意識の継承である。

パトカーの写真
行動でのドリフト走行は絶対にNGである。

しかし一方で、ドリフト走行は公道では危険行為として禁止されている。警察庁の交通安全啓発資料でも、急ハンドルやスリップ走行などの危険運転を厳しく戒めている。

また、道路交通法では、故意に車両をスリップさせる行為が整備不良や危険運転に該当する可能性があるとされている。そのため、競技としてのドリフトはサーキットなどの安全な環境でおこなわれる必要がある。

ドリフトは本来、峠文化から生まれた走りの美学であるが、それを正しい形で楽しむことが求められる時代となった。

D1GPに参戦中の80号車Team TOYO TIRES DRIFT 2 田野 結希選手 (C)Sunpros

現在では、国内のサーキットで初心者から上級者まで楽しめるドリフト走行会を各地で開催している。安全な環境で自分の技術を磨き、文化としての価値を守り続けることが、次の世代への継承につながる。

ストリート発祥のカルチャーが世界を魅了するまでになった今こそ、ドリフトは日本の誇る文化として新たな段階を迎えているのだ。

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公道から始まった走りが世界へ広がり、モータースポーツ文化の一翼を担うまでに成長した。その原点は日本の峠にあり、技術と美学が融合した唯一無二の文化である。

2025 TOKYO DRIFT (C)Sunpros

2025年D1グランプリシリーズ 第9戦&第10戦 お台場「2025 TOKYO DRIFT

開催日:2025年 11月15日(土)-16日(日)

会場:お台場特設会場