『タイムスリップ・ガレージ』の片隅にひっそりと置かれていた
実用自転車の山口自転車工場「マルワイ号」

『Mobility Culture合同展示 ~タイムスリップ・ガレージ~』ブース。
絶版車や競技車両など貴重なクルマやバイクが並んだ『タイムスリップ・ガレージ』は見た?【ジャパンモビリティショー2025】 | Motor-Fan[モーターファン] 自動車関連記事を中心に配信するメディアプラットフォーム

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『Mobility Culture合同展示 ~タイムスリップ・ガレージ~』の主な展示車両はこちら。

その時代を代表する名車が陳列される東京ビッグサイト・東7ホールの『Mobility Culture合同展示 ~タイムスリップ・ガレージ~』の展示品の中で、筆者がもっとも注目したのが、昭和の駄菓子屋を模したディスプレイの裏側に置かれていた山口自転車工場・マルワイ号だ。

昭和の駄菓子屋を模したディスプレイの裏側に山口自転車工場・マルワイ号はひっそりと置かれていた。会場を訪れた人も気がつかなかった人も多いのではないだろうか?

各自転車メーカーが生産を中止し、警察の警ら用自転車も軽快車(いわゆるママチャリ)に切り替わってしまい、現在では街中で実用車(業務車と呼称されることもあった)を見かける機会はほぼなくなってしまった。
だが、昭和の時代はフロントフェンダーに風切り板を備え、ヘッドチューブに立派なエンブレムが輝き、水平のトップチューブと大きな荷台を標準装備した26インチホイールの実用車こそが自転車の主流であった。

『Mobility Culture合同展示 ~タイムスリップ・ガレージ~』の会場片隅に置かれていた山口自転車工場・マルワイ号。おそらくは昭和30年代の製品ではないだろうか?

昭和30~40年までの自転車は、今よりずっと高価だったこともあり、庶民ににとっては貴重なパーソナルモビリティであるとともに、家財として大切にされたものだ。廉価な製品が普及した現在とは異なり、この時代の自転車……とくに実用車はしっかりとした作りで品質が良く、丈夫で長持ち、適切なメンテナンスさえ怠らなければ10年でも20年でも使うことができた。

実用車で出前を配達をする東神田『そば処 春日』の久保幸雄氏。若い頃の配達の様子は報道写真家の故・栗田格氏に撮影され、米TIME誌などでも紹介された。

『タイムスリップ・ガレージ』で展示されていた山口自転車工場・マルワイ号は、どうやらオブジェのひとつとして展示されたようで、解説パネルもなく、詳しい話を聞こうと説明員に声をかけたものの、残念なことに詳細はわからないという。会場に突然湧いて出たわけでもなかろうに、どこの収蔵品であるかさえ不明なのだ。自転車だって立派なモビリティだろうに、この対応はいささか不満に思った。

筆者は残念ながら自転車に対する知見を持ち合わせていないので、ハッキリしたことはわからないが、おそらくは昭和30年代に製造されたものだろう。

創業者とその娘は政治家としても活躍し、戦後はオートバイを製造

山口自転車工場と聞いてバイクファンや昭和の政治史に詳しい人ならピンとくるものがあるだろう。1914(大正3)年に創業したこのメーカーは、東京都台東区に本社となる「山口頭脳センター」を置き、戦前は自転車製造の最大手として知られていた。戦後も引き続き自転車を製造していたが、1952年からオートバイ製造に乗り出し(ブランド名は山口モーター)、最盛期には年間10万台以上を生産。一時は4大メーカーとがっぷり四つを組むほどの健闘を見せていた。

創業者はダット自動車製造(快進社)で技師として働いていた経歴を持つ山口重彦氏だ。彼はのちに日本社会党から立候補し、会社経営の傍らで参議院議員を2期務めている。また、重彦氏の長女は1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬し、39名生まれた日本初の女性代議士のひとりとなった山口シズエ氏である。

写真左の男性が山口自転車工場の創業者・山口重彦氏。写真中央の女性が重彦氏の娘で政治家として活躍した山口シズエ氏。彼女は政治家として活動する一方、1970年代に全日本女子格闘技連盟初代コミッショナーとして女子ボクシングと女子キックボクシングの普及などスポーツ振興に尽力。その名は墨田区にある老舗フィットネスクラブ『山口シズエガーデン』に残る。

もともと彼女は父の事業の手伝いをしていたが、大正・昭和期のキリスト教社会運動家・社会改良家であり、世界三大聖人のひとり(あとのふたりはガンジーとシュバイツァー)として尊敬を集めていた賀川豊彦氏の勧めもあって政治家へと転身。日本社会党の衆議院議員として売春防止法制定に尽力した。その後、彼女は無所属を経て自民党に入党。第3次佐藤内閣では経済企画政務次官に就任するなど活躍した。

山口シズエ氏は明るく快活な性格で支持者からは「下町の太陽」と呼ばれた。日本社会党、無所属、自民党と所属政党を変えながら30年以上にわたって国会議員として活躍した。

「幽霊工場」とも「日本オートバイ業界の七不思議のひとつ」とも……
山口自転車工場のオートバイ製造

さて、山口自転車工場の話に戻そう。戦後、同社は戦災によって台東区向島から埼玉県川口市に工場を移転した。だが、ここで作っていたのは自転車が中心だったらしい。それではオートバイはどこで製造していたかと言えば、これがハッキリしたことがわからないのだ。山口自転車工場はオートバイ生産に関しては秘密主義を貫いており、当時から「幽霊工場」や「日本オートバイ業界の七不思議のひとつ」などと言われていた。

1958年の山口モーターの広告。同社は125cc以下の小排気量車とモペッドを得意とした。

その実態はファブレス型のアッセンブリーメーカーだったらしく、自社で部品製造はもちろんのこと、組み立てさえも傘下の外部メーカーに委託していたようなのだ。山口頭脳センターでは製品の企画・設計のみを行い、生産は外部工場に委託していたようである。なお、オートバイの心臓部とも言えるエンジンはガスデン(のちに富士自動車に吸収合併するも、ブランドは残された)やホダカ製を使用していた。

このような製品開発では独自技術が育まれないと一般には思われがちだが、どうしてどうして山口自転車工場のオートバイは性能面ではライバル他社に引けを取らなかったのである。

1963年の倒産とともにオートバイの生産を終了
その系譜はアサヒサイクルは引き継がれて自転車製造を続ける

しかし、1960年の免許制度の改正によるモペッドブームの終焉により、小排気量車を得意としていた山口自転車工場は一気に苦境に立たされる。そして、岩戸景気の反動による昭和37年不況がとどめとなり、不渡りを出して倒産してしまう。

山口自転車工場・マルワイ号のフロントビュー。なお、現在のママチャリの原型を作ったのもこのメーカーである。

その後、山口自転車工場は丸紅傘下となり、丸紅山口株式会社に改称。このときにオートバイ事業から撤退している。1980年代に丸紅が資本引き上げしたのと入れ替わりに、関根自転車が資本参加し、セキネサイクルなどのブランドを持つ三和グループ入り。その結果、現在は三和グループから独立し、アサヒサイクル(サイクルベースあさひとは無関係)として現在も自転車の製造販売を続けている。

大型のヘッドランプとフロントフェンダー上の風切り板を備え、ヘッドチューブに立派なエンブレムが輝く。作りは丁寧で当時の職工の技術力を今に伝える。
だいぶ劣化が進んでいるが新品時から装着されていると思しき革製のサドル。

目立たない展示だったこともあり、『タイムスリップ・ガレージ』の会場でこの自転車に注目した人は少なかったかもしれない。だが、山口自転車工場・マルワイ号は、ラインオフから半世紀以上が経過してもなお、当時のものづくりを今に伝えている。過去に筆者は博物館で同社が製造したバイクを見たことがある。この自転車と同様に老舗自転車メーカーの製品らしく、フレームのデザインがなんとも美しく、丁寧に作り込まれていたことを今でもよく覚えている。

実用車の特徴のひとつとなる全チェーンケース。プレス加工によって「車転自口山」と横描き右読みで記されている。至るところに立派なメーカーエンブレムが入るのが、この時代の自転車の特徴。製品からは作り手の自信と誇りを感じる。

日本のオートバイ産業は最盛期には300社以上も存在したという。現在では歴史の闇に消えて行ったメーカーの製品は残存数も少なく、こうしたイベントなどで紹介される機会もほとんどない。メーカーが存在しない以上、今後このような企画展で展示されることも望み薄だろう。

大型のキャリアが実用車の特徴のひとつ。現役の頃はこの荷台に荷物を積んで配送などに活躍したのだろう。
フレームには山口自転車工場製との社名が入る。

しかし、今回『タイムスリップ・ガレージ』では思いもよらず、自転車ではあったが山口自転車工場の製品に出会えたことは行幸であった。現存するメーカーだけでなく、今は亡きメーカーの製品も日本人の移動や物流を支えてきた。展示の経緯など詳細はわからずじまいだったが、『タイムスリップ・ガレージ』でそのような歴史の生き証人が展示されたことは意義深いものであった。

ホンダが所蔵する自転車補助モーターのカブF型。当時、ホンダは車体の製造は行っておらず、市販の自転車に小型ガソリンエンジンキットを取り付けることで動力化した。写真の車両は山口自転車工場のマルワイ号にカブFキットを装着したもの。(PHOTO:ホンダモーターサイクルジャパン/近田 茂)
2ストのカブ!? 自転車と合体!? 希少な「カブF号」に乗った!|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]

1958年(昭和33年)に初代スーパーカブC100が発売。その6年前の1952年(昭和27年)、ホンダは老若男女を問わずに乗車できる、通称“バタバタ”と呼ばれた「カブF号」をリリース。実はスーパーカブC100が登場する前に、“カブ”は存在していたのだ。REPORT●北 秀昭(KITA Hideaki)RIDING IMPRESSION●近田 茂(CHIKATA Shigeru)撮影協力●ホンダコレクションホール/ホンダモーターサイクルジャパンPHOTO●ホンダモーターサイクルジャパン/近田 茂

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ホンダ・カブF号を搭載した山口自転車の試乗レポートはこちら。