後期型Y31セドリック4ドアハードトップV20ツインカムターボ グランツーリスモSV。

現在は経営不振が続き大規模な工場閉鎖、リストラ策を発表した日産自動車。だが、1980年代から90年代にかけての日産は、それこそ飛ぶ鳥を落とす勢いで数多くの名車を生み出した。その先頭バッターとも呼べたのが1987年にフルモデルチェンジして発売されたY31セドリック/グロリアだろう。

従来までの角張ったデザインから張りのある面へと生まれ変わったスタイル。

日産自動車を「オッサン自動車」などと呼ぶ風潮は当時からあるが、それは430型までのデザインを見れば明らか。重厚さを全面に押し出して高級車とはこうあるべし、と長年高級セダンに乗り続けてきた層へアピールするものだった。ところがY31へ切り替わると一転して若年層にも訴求する若々しいデザインへと生まれ変わる。さらに大きなトピックは販売の主軸を4ドアハードトップに据えて、スポーツ志向を高めたグランツーリスモを新たにラインナップしたことだろう。

ピラーレスのハードトップスタイルが80年代らしい。

Y31ではセダンよりハードトップの人気が高く実際によく売れた。ピラーレスによる開放感とスタイリッシュさは、まさに若々しさに溢れていた。この4ドアハードトップに設定されたグランツーリスモSVはVG20DET型エンジンを搭載しつつ、サスペンションを強化して優れたハンドリングを備えていた。スポーティな運動性能は当時の日産らしさに溢れたもので、その後追加されるシーマにも通じるものがある。それもそのはず、初代シーマはY31をベースにしていたから。当時の日産は「901運動」と呼ばれる目標を掲げて、1990年までに技術世界一を目指した。まさに運動性能の引き上げが図られていた時代の先陣を切るのがY31セドリック/グロリアだったのだ。

高級車でありながらリヤスポイラーが純正オプションで用意された。

セドリックのハードトップV20グランツーリスモSVの新車当時価格はデビュー時で349.1万円で、2リッタークラスとしてはほぼ上限の設定。にもかかわらず大いに売れたのは、やはりスタイルと運動性能の両立。デビュー当時グランツーリスモへ搭載されたV6ツインカムターボエンジンは185psを発生していたが、89年のマイナーチェンジで後期型へ移行するとインタークーラーの装備やハイオク仕様へと変更を受け210psにまで向上。さらにATが従来の4速から5速へ進化しており、より走りの資質を高めた。

後期型で210psを発生するようになったVG20DET型エンジン。

2025年5月に開催された「第6回北本ヘイワールド昭和平成クラシックカーフェスティバル」の会場では、やはり日産車が多数展示され、旧車イベントらしさが感じられた。とはいえ王道のハコスカ・ケンメリなどのスカイライン勢やS30フェアレディZなどよりネオクラシックカーの比率が高かったことが印象に残った。近年のネオクラ人気を受け、さらにはイベント参加条件の年式が大幅に新しい年式へと広げられたこともネオクラ参加が増えた要因だろう。その中に純白ボディのY31グランツーリスモを発見した。

当時はPLAZMAと名付けられたエンジン。タービンローターをセラミック化したことも特徴だった。

これまで数多くの旧車イベントを取材してきたが、Y31セド/グロを見かける機会はとても少なかった。あったとしても極端にローダウンされているような個体ばかりで、ノーマルを保っているY31を見つけたのは今回が初めてと言っていい。そこで近くにいたオーナーへ話を聞きに行くと、若い頃にスカイラインGTS-Rを所有していた石狩丸さんが所有するものだった。

本革巻きステアリングのホーンボタンにはグレード名が記されている。

石狩丸さんは今年61歳になる方で、Y31が現役だった頃はちょうど20代前半だった。当時20代でセド/グロに乗れる人は限られていた。まだバブル景気が盛り上がりつつある時期なので、90年前後のように後先考えず高級車を買おうとする例も少なかった。だからグランツーリスモの姿を見るたびに憧れの気持ちを強くしつつも、グッと我慢されてきたそうだ。だからその後、R31GTS-Rに乗ることになるのも、この時代の日産車が大好きなことを受けてだろう。

なんと走行距離は7万キロに達していない。

GTS-Rに乗っていたのは若い頃のことで、その後は日産好きではあるものの比較的新しいクルマを乗り継いできたそうだ。だが、グランツーリスモへの気持ちが薄れたことはなく、思いを実現させるには30年以上の歳月が必要だった。実に石狩丸さんがこのクルマを手に入れたのは2024年のことなのだ。還暦になったことで実際にY31を探し始めたため取材時でまだ1年も経ってなく、まさにこの日が晴れの舞台だったそうだ。

後期型で5速E-ATとなった。ハードトップでは足踏み式パーキングブレーキを採用した。

まさにホヤホヤな時期にお話を聞くことになったわけだが、まず第一に知りたかったのが今では希少車と呼んでいいY31をどう見つけたのかということ。すると整備工場が中古車も販売しておりY31を専門に扱っていることを突き止められた。しかも扱うY31は程度の良いものに限られているとか。店主が大のY31好きであることから程度の良い個体があれば仕入れてしまうようで、買う側としても安心できそうなお話だ。

運転席含め、シートにヤレは見られない。

良いお店と知り合えたようで、購入から1年近く経つ取材時までにトラブルの経験は皆無。自分でもクルマの手入れをするのが好きだそうで、オイル漏れを修理したりバックモニターを取り付けるなどしてきた石狩丸さん。やはり還暦を迎えるタイミングで、若い頃の憧れを実現させる人は多い。石狩丸さんの場合、それがY31グランツーリスモだったということなのだ。もちろん他にもクルマを所有されているが、いずれも日産車だというから筋金入り。パーツ供給という面からも何とか経営不振から脱却してほしいと多くの日産ファンは思っていることだろう。