Lanzante 95-59
一生分のF1をランザンテで見た

マクラーレンマニアの間では今や“聖地”のひとつと言っていいディーラーがある。マクラーレン・ピーターズフィールド。またの名を“ランザンテ”。
マクラーレンのVIPカスタマーにとって、ランザンテはなくてはならない存在だ。何しろ、F1ロードカーをはじめとするマクラーレンの“特殊車両”、歴史的なスペシャルマシンの重度なメンテナンスを完璧にこなせるのは、事実上、世界でもランザンテしかないからである。
筆者も何度かファクトリーを訪問したが、大量のF1が整備に入っているのにいつも驚く。中には彼らの代表作というべき「F1 GTR」のロードカーもずらりとあった。一生分のF1をランザンテで見た気がする。「世界で唯一、マクラーレンのシリーズモデルをショールームで展示販売しない正規ディーラーだよ」と事情通が冗談めかして語るほどだ。
今や世界の一流として認められた存在

その豊富な経験と技術力の高さはグッドウッドFoS(フェスティバル・オブ・スピード)に通い慣れた人なら承知のことだろう。近年、「マクラーレン P1 GTR」のロードバージョン「LM」(マクラーレンとの正規プロジェクト)や同「P1スパイダー」をリリース。さらにはロン・デニスとの絆から生まれた「ポルシェ 930 TAG ターボ」(F1で実際に使われたエンジンを積む930ターボ)を開発・販売するなど、その勢いは止まるところを知らない。マクラーレンだけじゃない。クラシック&ヴィンテージレーシングカーの整備やレストア、レースサポートなどでも今や世界の一流として認められた存在だ。
そんなランザンテが今年のグッドウッドFoSで“95-59”という「マクラーレン 750S」ベースの限定車を発表したことは本サイトでも既報の通り。筆者もFoS発表前のスニークプレビューに立ち会って実物をチェックしてきたが、その素晴らしくまとまったデザインから、ここにもひとつの正当な進化系マクラーレンがあった、という感想を抱いた。
重整備から学んだ経験で

それもそのはず、この“新型車”のデザインはP1を担当した元マクラーレンのデザイナー、ポール・ハウゼによるもの。当時のマクラーレンといえばフランク・ステファンとポールがデザインチームのビッグ2だったが、P1の基本的なスタイリングはポールのアイデアだったという。
そこにランザンテの豊かな経験が組み合わさった。彼らはF1やP1、スピードテールなどのメンテナンスに、質量とも世界一レベルで関わってきた。なかには重度な修復もあったことだろう。そこから学んだ経験が750Sの革新的なモノケージをセンターシーター+2に変更するというアイデアを可能にしたのだと思う。なかでも同じくセンターシーター、スピードテールの重メンテナンスによって得られた知見は大いに役立ったに違いない。
出るべくして出た特別なスーパーカー

ランザンテがマクラーレンにとって“特別な存在”になったのはいつだったのだろうか? 発表された新型車の名前にその秘密が隠されている。95-59、95はマクラーレン F1がル・マン24時間レースで優勝した年の数字、そして59は日本人の我々にもお馴染みのゼッケン番号。そうランザンテ・レーシングチームは1995年における59番優勝を導いた“張本人”だったのだ。
ポールと息子ディーンによるランザンテの躍進はそこから始まった。それゆえ95-59というF1 GTRオマージュにして優勝30周年記念の59台限定車はランザンテにとって、出るべくして出た特別なスーパーカーだと言えそうだ。
ちなみにランザンテのシンボルはヒンドゥー教の神ガネーシャ(4本腕の象)で、新規事業と商売の神様とされている。ガネーシャをマスコットに使うようポールにアドバイスしたのが、ビートルズのポール・ハリソンだったという。
3座スーパースポーツ「ランザンテ 95-59」がワールドプレミア「マクラーレン F1 GTRル・マン優勝30年記念」