「空力も気温も味方に」1km/hに執念を燃やした時代の証言者。

エスプリ前川さんに回想録的な取材というかインタビューを申し込むと、決まって返される一言がある。いわく、「今さらそんなんを記事にしたところで読者は面白がってくれるんか?」と。その言葉をもう何度も聞いているから、それに対するこっちの返答も慣れたものだ。

「当時を知ってる人は懐かしんでくれるし、知らない人には“こんな時代があったんだ”と思ってもらえればいいんです」。このやりとりは挨拶みたいなもので、別に前川さんは取材を受けたくないわけではない。いざインタビューを始めれば、当時のことをよく覚えていて何でも答えてくれるからだ。

若かりし頃の前川さん(左)と、ロータリーチューンの神様・雨さん(右)の貴重なツーショット。

今回、前川さんにお願いしたのは1990年代に成熟期を迎えた谷田部最高速の話。BNR32の登場以降、ベース車のポテンシャルが劇的に高まり、アフターパーツの信頼性やショップの技術力も飛躍的に向上したことで、それまで大きな壁として認識されていたオーバー300km/hの世界が一気に現実的なものになった。

そんな時代に、レシプロエンジンとロータリーエンジンの二刀流で最高速アタックを続けていたのがエスプリ。大半のショップがレシプロで挑み、ロータリーを扱うのは一部の専門店に限られるという今と大差ない状況だっただけに、エスプリの存在は極めて異端だった。

しかも、レシプロでもロータリーでも300km/hオーバーを達成。最高速を通じて見てきた両エンジンに、前川さんは何を思ったのか。

S14初の300km/h達成

「当時、4気筒エンジンを積んどってチューニングベースになりそうなFRスポーツと言ったら日産しかなかったろ。そう、シルビアや。クルマは軽いし、SR20もアフターパーツが出てきてからは非常にチューニングしやすいエンジンだったな」と前川さんが振り返る。しかし、いい印象だけではなかったようで、「よう壊れたんで、あんまり好きではなかった」と、思わず本音もこぼす。

エンジンはトラスト製87φ鍛造ピストンを組んだ2.1L仕様。インフィニティ用90φスロットルを使うため、サージタンクはワンオフされる。タービンはTD06-25G(12cm2)で最大ブースト圧1.5キロ時に500ps。アタック時は1.7キロを掛け、他のショップに先駆けて見事S14初の300km/hオーバーを達成した(OPT1994年12月号)。

なぜなら、最高速でエンジンを回し過ぎるとロッカーアーム飛びが頻発したからだ。そこで、ソリッドリフター化によって高回転に対応させるショップもあった。が、ストリート仕様に拘るエスプリでは敢えて油圧ラッシュアジャスターを残したままチューニングを進めた。

「考え方の問題やけど、回して壊れるなら、回さんで300km/h出せばいいだけの話や。そこでやったんが、ギヤ比やファイナル比の見直し。7000rpm前後で300km/hを狙えるようにセットアップしたんよ」。

他のショップが高回転化でトップスピードを伸ばそうとする中、違うアプローチを試みたエスプリはS14で見事に300km/h一番乗りを果たした。3.545ファイナルを組み、エンジン回転数7000rpm+αでの記録。それは、ほぼ想定通りの結果だったのだ。

パワーで空気を押し切る

最高速に話を限った場合、「空力的には不利なクルマだった」というのがS14に対する前川さんの評価。特に、このあと出てくるFD3Sと比べれば、見た目にもそれは明らかだ。一方、SR20はRB26ほどの耐久性こそ望めなかったものの、500psまでなら比較的パワーも出しやすかった。

「空力性能で劣ってる分をパワーでカバーする。それがS14で最高速を伸ばすポイントやったな。もちろん、SR20は高回転化に対して弱いところがあるもんで、その対策だけはきっちりやらんとあかんかったけど」。

また、谷田部では走る時間帯にも拘っていた。アタックは夜明け前の暗いうちにスタートする。パワーを1psでも稼ぎたい多くのショップは日が昇る前の気温が低い時間を希望したけど、エスプリはそうでなかった。前川さんが説明する。

「確かに気温が低ければパワーは出る。でも、空気の密度が高いもんで空気抵抗も大きい。逆に、気温が上がれば空気抵抗は減る。ま、どっちを取るかという話やけど、そこに気付いてたんで、ウチのクルマは後の方、明るくなってきてから走らせることが多かったな」。

万全のマシンメイクに加え、最高速をコンマ1km/hでも伸ばせる環境まで考える。S14で初となる300km/hオーバー達成は、そういう積み重ねの賜物だったのだ。

ロータリーを始めた発端

サイドポートを拡大した13BにTA51タービンが組まれたFC3Sドラッグ仕様のユーザー車両。最大ブースト圧1.2キロ、パワーは430psに達する。アタックはブースト圧を1.0キロに抑え、エスプリのメカニックが助手席でセッティングをしながら行なわれたが、それでも285.1km/hをマーク。FD3Sが登場し、すでに一世代前のモデルとなっていたFC3Sでも最高速における高い可能性を示した(OPT1994年6月号)。

今回ぜひ話を聞きたかったのは、「なぜエスプリでロータリーチューンを始めることになったのか?」ということ。昔も今もロータリーを手掛けるショップは基本的に専門店だから、そのきっかけに興味を持った。

「ある時、マツダ三重本社の人がお客さんとして来るようになってな。その人はロータリー乗りではなかったんやけど、聞けば毎日のようにロータリーエンジンをオーバーホールしてると。だったら、時間がある時バイトとしてウチに来てロータリーを組んでくれと頼んだわけ」。

それまで日産のLやFJ、トヨタの2T-Gに力を入れていた前川さんは、ロータリーは特殊なエンジンだと考え、興味を持つことがなければ、チューニングをするつもりもなかった。その後、バイトの人以外にマツダ三重から二人がエスプリに転職。図らずも、ロータリーチューンをやらざるを得ない環境が整ってしまったのだ。

「だから、初めは“ロータリーをやろう”という前向きなもんでなく、“ロータリーもできる”くらいの感じやった。ところが、ロータリーは構造が単純で積み木みたいなもんやし、パワーを上げるにもポート形状を変えるだけ。これは簡単や!!ってことで始めることになったんよ。もちろん、専門店に比べれば劣る部分があるのは分かってのことやったけどな」と、前川さんがその顛末を話してくれた。

FD3Sでも大台を突破

FD3Sが登場した時、実はロータリー専門店以外にも多くのショップがデモカーとして迎え入れ、チューニングに取り掛かった。だが、専門店を除き、谷田部で胸を張れる結果を残せたのはエスプリだけだった。すでにSA22CやFC3Sで実績を持つエスプリだったけど、ロータリーチューンには特有の難しさがあったようだ。

前川さんが言う。「大事なんは、まずポート形状や各部のクリアランスをどうするか。でも、安全マージンを取って燃調を濃くしたり、レシプロと同じようなブースト圧を掛けるのはダメ。一番困ったんが、エンジンブローしてもその原因が分からんかったこと。レシプロには必ずブローの痕跡が残っとるけど、ロータリーにはそれがない。そこをどうやって判断するかが難しかったかもな」。

エンジン本体はノーマルのまま、純正シーケンシャルツインターボに代えてギャレットT45Sをセット。当時HKSがRB26用キットとしてラインアップしていたタービンで、「排圧が高い13Bなら回し切れる」との判断からセレクトされた。最大ブースト圧は1.1キロで450psを発揮。空力性能に優れるボディに加え、ハイギヤード化した5速(0.806→0.762)と3.909ファイナルもあって300km/hの壁を大きく超えてみせた。

それでもトライ&エラーを繰り返しながら、ロータリーチューンの方法論を構築していった。例えばタービン。ブースト圧を高めるのではなく、風量を稼げる大きめのタービンを組み合わせることでパワーを出すといった具合。こうして速くて壊れないエスプリ流ロータリーチューンを確立した。

やがて、それが谷田部で大きな花を開かせる。デモカーのFD3Sで遂に300km/hの壁を超え、ロータリー専門店をも驚愕させる313km/hというトップスピードを記録した。

ここに、レシプロとロータリーでの300km/h突破という壮大なストーリーが完結。エンジンを問わず、そのチューニングに豊富なノウハウと高い技術力を持つことを、エスプリは最高速という極限の舞台で自ら証明してみせたのだ。

25歳で独立しエスプリを創業。1982年にキャブターボ仕様のDR30で初めて参加して以来、数々のデモカーを作り上げ、1990年代末まで谷田部最高速テストに足繫く通った。1955年生まれ70歳。血液型B型。趣味は鮎釣り。

前川さんは今でも工場にこもり、様々な作業を自ら行なう。「チューニングカーは見た目にも美しくないとあかん。そのために必要なんが細かいところまでの作り込み。そこはずっと意識してきた。昔からのお客さんが今でもウチに来てくれとるんは、そのへんに理由があるのかも分からんな」。

●取材協力:エスプリ 三重県鈴鹿市住吉3-19-1 TEL:0593-70-8080

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