『福山自動車時計博物館』でしか見られない「トクサンTF型」
地元の企業家でエンスージアストでもある能宗 孝(のうそう・たかし)氏のコレクションをもとに、1989年に開館した広島県福山市にある『福山自動車時計博物館』。施設内には自動車とアンティーク時計を中心にさまざまな懐かしの品が展示されているが、その見所は博物館の施設内だけには留まらない。博物館から歩いて50m以内にある3箇所の屋外展示場にも珍しい車両が展示されているのだ。
『福山自動車時計博物館』の紹介はこちら。
その中でも日本最大級のオート三輪「トクサンTF型」は残存数が極めて少ない。四国を中心に数台の個人所有車が存在するようだが、博物館の収蔵車両としては同博物館が所有する1台きりしかない。

筆者がこの場所を訪れた理由のひとつに、このトクサンTF型と再会したいとの思いがあったからだ。20年前に『福山自動車時計博物館』を訪れた際には、この車両は屋外展示場(というかヤード)の片隅にサビだらけの状態で放置されていた。貴重なオート三輪なだけにそのときは「貴重なクルマなのにもったいない!」との思いを抱いたものだが、最近になって博物館を訪れた人のブログを読む機会があり、その中で鮮やかなブルーでリペイントされたトクサンTFの姿が紹介されていたのだ。しかも、展示場所も移動し、車両の見学がしやすいように展示環境が整えられたらしい。

これはもう1度訪れるしかない。じつは筆者、かつては旧車のマツダT600を購入一歩手前まで行ったほどのオート三輪好き。そのときは試乗を済ませ、すっかり気に入って買う気満々だったのだが、条件面がどうしても合わず、泣く泣く見送った過去がある。それだけにキレイになったトクサンTF型をどうしても見たかったのだ。

そうしたわけで期待に胸を踊らせて『福山自動車時計博物館』を訪れると、クルマを止めた駐車場に隣接する展示スペースにお目当てのトクサンTF型があった。右ミラーが欠損し、フロントグリルは腐食がだいぶ進んでいるし、ルーフと荷台は手付かずでサビだらけの状態だが、キャビンが塗り直されたことで、20年前に見たときに比べてパッと見はかなり良くなっていた。

所在地:広島県福山市北吉津町3丁目1-22
電話:084-922-8188
休館日:年中無休
営業時間:9:00~18:00
入場料:大人900円/中高生・65歳以上・障がい者600円/小人300円(毎週土曜日は高校生以下無料)
大型ボンネットトラックを改造して製作?
南国・四国は高知で生まれた国内唯一の普通三輪トラック
トクサンTF型と言っても、ほとんどの読者は聞き馴染みがない車名であろう。このオート三輪は戦前から高知市本町筋にあった県内では最大手の自動車修了工場「高知県自動車工業」(以下、高知自工)が手作りで生産していたオート三輪であり、小型三輪トラックの枠外で製造された唯一の普通三輪トラックなのだ。
終戦直後、高知自工は物資不足の中、タイヤの闇取引の失敗で倒産しかけていた。そこに会社を救うべく、新たに社長に就任したのが山本直之氏だった。彼は会社の再建には自動車技術に明るいエンジニアが必要との思いから、戦前・戦中はトヨタで車体設計をしていたが、終戦後の混乱で郷里に戻っていたエンジニアの山崎寅一氏を専務に迎え入れる。山本氏と山崎氏らは高知空襲と昭和南海地震で被災した自動車のスクラップをかき集め、再生修理を行うことから会社の再起を図ることにした。
そのような再生修理作業の中で、1948年1月に山崎氏が中心となって自作のオート三輪「土佐号」の1号車を製造する。これはゼロからの新車開発ではなく、スクラップとなったボンネットトラックのシャーシを流用し、構造の単純なオート三輪へと改造。エンジンは中古のガソリンエンジンを搭載した。
なお、この車両はガソリン不足の戦時中、庶民の足として活躍した木炭自動車として制作され、運転台助手席側側面にガス発生炉を備えていたそうだ。
これが高知県内で評判となり、1951年までに20台ほどが製造されたようである。だが、土佐号には決まった仕様というものはなく、ありもののシャーシに手に入った適当なトラック用エンジンを搭載していた。そのため、車両ごとにスペックは異なり、最大積載量は2~4t、エンジンはそのときに手に入ったフォードやシボレー、トヨタ、日産、三菱、いすゞなどの3.0Lクラスの直列4気筒や直列6気筒エンジンを見繕って搭載していたようだ。
しかし、当時、ダイハツや東洋工業(現・マツダ)、くろがねなどのメーカー製オート三輪が、最大積載量0.75~1t、排気量1.0L未満の空冷2気筒エンジンを搭載していたことを考えると、まさに規格外の「化け物」だった。


密閉型キャビン、丸型ハンドル、ディスクブレーキ……
改造車ながら大手にも負けない先進性
高知自工の「土佐号」の商業的な成功に刺激を受け、野村興業と寺石自動車工業所も高知自工を真似て、1950年代初頭から改造オート三輪の事業に乗り出してきた。しかし、商標に対する権利関係がぞんざいな時代のことである。後発2社が製造した車両も「土佐号」を名乗ったのだ。
ここで面白いのは高知自工の対応だ。法廷闘争を回避して、同社を中心に「改造三輪車土佐号製作組合」を結成し、高知県の新たな産業として発展させることを誓い合ったのだ。
しかし、3社間の競争は熾烈だったことから「桃園の誓い」とはならなかったようだ。後発2社に追い上げを受けていた高知自工は、差別化のため1952年に従来のバーハンドルをやめ、一般的な自動車と同じ丸型ハンドルを採用。ライバル社の追い落としを図った。これは小型オート三輪ではじめて丸型ハンドルを最初に採用した愛知機械工業のヂャイアントと同じ年のことであった。
ただし、ボンネットトラックを改造した高知自工のオート三輪は、キャビン中央にエンジンを搭載し、カバーで覆う構造(「ブハンカ」ことロシアのUAZ452と同じような構造)だったことから、シート下にエンジンを収めたヂャイアントのように3人乗り仕様にすることができず、ふたり乗りとなった。

なお、この頃から高知では土佐号のことを誰ともなしに「特殊三輪車」を略した「トクサン」の愛称で呼ぶようになった。高知自工はこの名称を独占するべく、前述の改造三輪車土佐号製作組合を脱退して、1953年に新型車の「KA型トクサン号」として販売を開始した。

このKA型は依然として既存のトラックシャーシを流用して製造されたオート三輪であったが、全長4.9m、全幅1.86m、ホイールベース3.2mという威風堂々たるボディサイズに、ドアを備えたクローズドキャビンと前輪のボトムリンク式サスペンションを前方に大きく張り出したボンネットで覆う構造を採用。ノーズの先端には1灯式のヘッドランプを備え、大手メーカーの製品にも負けない近代的なデザインであった。

最大積載量は公称2tとされたが、実際には2~3倍以上の過積載も常態化しており、大型トラックからの改造車ということもあってKA型はへこたれることなく走ることができた。
当初、改造車であった高知自工製の改造オート三輪は、それまで地元高知に限定して使用が認められていたが、その名声は西日本各県にも届いており、オート三輪ならではの小回りと輸送力の高さに着目した林業関係者を中心に問い合わせが多く寄せられていた。

トクサン号の旺盛な需要に対し、高知県による新たな地場産業にしたいとの思惑もあって、1953年初頭に高松運輸局がKA型の保安検査を実施し、まず四国4県での使用が認められた。
続いて県は高知県陸運事務所や高松運輸局を動かし、東京の運輸省(現・国土交通省)本省にトクサン号の完成車種登録申請を認めるように積極的な働きかけを行った。その結果、1953年中頃には他地域での販売・登録が可能となり、西日本を中心にトクサン号が使用されるようになる。

それと時を同じくして、地元高知はホイールベースを3.55m、全長を5.48mに延長したロングボディ型のKB型を発表。その直後には他社に先駆けて前輪にディスクブレーキを備えた車両も製造している。
林業従事者からの支持を受け、国内で最後まで製造されたオート三輪となる
1954年にトクサン号KA型は、ダミーグリルと2灯ヘッドランプを備えたTB型にモデルチェンジする。この車両はトヨタBM型やBX型、FA型トラックの中古シャシーを使用した改造車であり、心臓部は中古のトヨタ製B型4.0L直列6気筒ガソリンエンジンか、いすゞ製DA型4.0L直列4気筒ディーゼルエンジンをオーバーホールして搭載していた。しかし、これらのエンジンが入手できないときには日産180型のほか、ときには新品のエンジンをトヨタに注文して使用することもあったようだ。

TB型は数度のマイナーチェンジを経て、1956年に最終型のTF型へと進化する。この車両の最大積載量は4tとされ、ヘッドランプから続くキャラクターラインがドアへと続くスタイリッシュなキャビンが特徴だった。
当時、大手メーカーが生産する小型三輪トラックの最大積載量は2tであり、走行性能の向上を狙って、最大排気量は1952年に1.5Lまで、1959年に2.0Lまでと段階的に引き上げられていた。また、1955年まで運輸省が車体サイズの制限を課していなかったことから、大手メーカーの小型三輪トラックの中には、全長6.0m弱・全幅1.9m・荷台長3.9mとトクサンに近いものも存在していた。

しかし、TF型の最大積載量と排気量はそれらの小型三輪トラックの2倍と圧倒するものがあり、大型トラックのシャシーを流用したことから過積載にもよく耐え、大排気量故に山間部の走行でもパワー不足を感じることはなかったという。そのような性能から林業を中心にトクサン号の引き合いは多く、地元四国はもちろんのこと、遠くは中国地方や九州地方からも引き合いがあった。

TF型の登場とほぼ時を同じくして誕生したトヨタ製の安価な小型トラック「トヨエース」(SKB型)によって、徐々に小型三輪トラックは下火となっていった。しかし、トクサン号はその特殊性から需要は堅調を維持していた。

社長の山本氏は旺盛な需要に対応するため、1966年に高知市郊外の朝倉に新工場を建て、社名を「トクサン自動車工業株式会社」(以下、トクサン自工)と改名している。しかし、1970年代に入ると山間部まで道路整備が進んだことや、輸入木材の価格が下落したことで林業そのものが衰退したことにより需要が急速に落ち込んで行った。そのようなことからトクサン自工はやがて自動車や重機の整備に軸足を移していった。
最後のTF型が製造されたのは1975年頃のことで、これはオート三輪市場に残った大手2社のダイハツ(1972年)、マツダ(1974年)の小型三輪トラックの生産終了よりも遅かった。

手作りで製造されていたトクサン号の総生産台数は1000台ほどとされているが、シャーシ番号による厳密な管理がなされていたわけでもなく、詳しい資料なども散逸している。さらにこの中には古いトクサン号を再生した車両も混じっており、今となっては正確な生産台数を知る術はない。

『福山自動車時計博物館』が所蔵するトクサンTF型は、1967年頃に製造された車両のようで、詳しい入手経緯は館長に話を訊くことができなかったためわからない。しかし、高度成長期の日本を縁の下から支え、使い潰されることなく、幸運にも生き残った個体であることは間違いない。

いずれにしても、いつでも見学が可能な一般公開されているトクサンTF号は『福山自動車時計博物館』の所蔵者しか存在しないのだ。お近くの方はもちろん、遠方の方もぜひ機会を見つけて、このクルマの見学のために1度この博物館を訪れてみてはいかがだろうか?

フォトギャラリー:『福山自動車時計博物館』の「トクサンTF型」
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