そしてLFPの技術は中国へ

Roewe750HEV:
2007年4月20日、上海車展での撮影。経営破綻した英・MGローバーは中国の上海汽車と南京汽車がそれぞれ資産を買収したが、中国政府は「二重投資である」と非難し、無理やり上海汽車に南京汽車を吸収合併させ南京汽車は消滅した。ローバー75の知的財産は上海汽車が持っていたため、これを利用したモデルの生産に漕ぎつけたが、フォードがROVERの商標を手放さなかったためにやむなく発音が似たROEWE(荣威=ロエベ)をブランド名に使った。HEV仕様の開発には海外企業が協力し、電池はA123システムズの中国工場から供給された。

万向集団がA123システムズのオーナーになったことで、のちにLFP技術は中国に拡散する。すでにA123システムズが中国に持っていた電池工場からは上海荣威のHEV「Roewe750」向けに納入されていたため、ある意味で技術の拡散は時間の問題だったと言える。

当時、筆者は中国で「万向集団の買収資金は北京政府が提供した」と聞いたが真偽のほどは定かではない。また、A123システムズの防衛関連事業は米企業のナビタスシステムズに225万ドルで売却されていたが「やろうと思えば万向集団でも米国防省向けの技術にはアクセスできる」とも聞かされた。

一方、米国ではGM、フォード、クライスラーの電池研究部門に米国政府が出資してUSABC(米国先進電池会議)が1991年に立ち上がったものの、大きな成果は現れていなかった。痺れを切らしたフォードが2001年8月にアイシンからHEVシステムを調達する契約を結んだときは「研究資金をもらっておきながら何事か」とひんしゅくを買った。

1997年12月にトヨタが初代「プリウス」を発売したことを受けて、1998年1月のNAIAS(デトロイト・ショー)はまさにプリウスショックだった。何社かのOEM(自動車メーカー)経営トップ同士が密かに会合を持ち、対応策を話し合ったことはあとで聞いた。おそらく「プリウス」登場も2001年のA123システムズ立ち上げの遠因だったと思われる。

BYDe6:
2010年12月の広州車展(広州モーターショー)にBYDオートが出品した同社初のBEV「e6」タクシー仕様。写真は報道公開日の12月20日に筆者が撮影したものだが、BYDブースの目玉という存在感はなく、このようにブースは閑散としていた。技術的な説明ができるスタッフもいなかったが、搭載しているLIBが親会社BYD(電池メーカー)から供給されるLFPであることは確認できた。

たしかにA123システムズは米国にとっても期待が大きかったが、当時はまだOEMが車両電動化には前向きではなく、GMが1996年に発売した鉛酸電池搭載のBEV「EV1」は1999年にNi-MH(ニッケル水素)電池へと改められたが、石油産業からの圧力もあってGMとエナジー・コンバージョン・デバイセズが共同開発した新しいNi-MH電池は「EV1」に採用されなかった。

一方、中国はA123システムズの資産を活用した。2011年にBYDオート(比亜迪汽車)が生産を開始し広州市のタクシーとして採用された同社初のBEVである「e6」はLFP系LIBを採用していたが、当時の中国車載電池メーカーではLFP系ではなく三元系(ニッケル/マンガン/コバルト=NMC系)が主流だった。LFP系を量産していたのはおそらくBYDだけだっただろう。

中国政府がLFP系を「推奨」するようになったのは、三元系LIBの発火事故が頻発するようになってからだった。三元系では無理な使用を続けるとデンドライトという物質が析出し、その「針」のような先端が成長するとセパレーターを突き破って内部短絡(ショート)が起き、発火する。

当時、筆者が情報交換していた中国メディアの記者氏は「三元系LIBを積んだ路線バスの発火事故を中国政府が重く見た」と語った。LFP系LIBの開発は中国政府が奨励し、おそらくそこではA123システムズの知見が何らかの形で拡散した可能性が高いと筆者は見ている。

いまでこそLFP系LIBは「燃えにくい(デンドライト発生が少なくショートにしくい)」「急速充電に強い」「劣化しくい」ことが知られている。その代わりセル電圧は三元系より低い、と。しかし2011年当時は、LIBそのものが世の中にはあまり知られていなかった。「燃えにくい電池が燃えた」との認識は、LIBの特性を知る人たちだけが共有した事実だった。(つづく)