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今日は何の日?■三菱基幹モデルのコルトの後継としてコルトギャラン登場
1969(昭和44)年10月20日、三菱はコルトの後継車となる新型大衆車「コルトギャラン」を発表(発売は12月1日)した。1970年の三菱自動車設立を前に、それまでの質実剛健的な三菱車のイメージを一新するため、スポーティかつスタイリッシュなデザインや初のSOHCエンジンの搭載などで新鮮さをアピールした。

三菱重工の自動車部門で始まった三菱の自動車づくり
1960年代初頭、三菱重工は本格的に自動車事業に参入し、1960年に三菱初の独自開発した小型乗用車「三菱500」を発売。三菱500は、1955年に政府が国内メーカーによる乗用車の開発を促進するために発表した国民車構想に呼応した小型乗用車である。


この三菱500を皮切りに、三菱重工は総合自動車メーカーとしての地位を確固たるものにするため、凄まじい勢いでフルラインナップ攻勢をかけた。1961年には、当時「スバル360」の爆発的な人気で活況を呈していた軽自動車市場に軽乗用車「三菱360」、翌1962年に「ミニカ」を投入し、軽市場で一定シェアを獲得することに成功した。

小型乗用車としては、三菱500の後継としてコルトシリーズを展開。1962年の「コルト600」、1963年の「コルト1000」、1965年に「コルト800」と「コルト1500」、1966年には「コルト1100」と「コルト1000F」、1968年「ニューコルト1200/1500」と、日本の自動車市場の要望に対応するかたちで新型車を市場に投入した。

1964年には、フラッグシップとなる高級乗用車「デボネア」を投入して、これにより本格的な総合自動車メーカーの道を歩み始めたのだ。

三菱自動車設立の前年に登場したコルトギャラン
大衆車のコルトシリーズで堅調な販売を続けていた三菱は、さらに若いユーザーの獲得を狙って、実質的にはコルト1500の後継に相当する新型車「コルトギャラン」を1969年12月に発売した。翌1970年4月には三菱重工の自動車部門が分離独立し、三菱自動車が設立された。

4ドアセダンのコルトギャランは、イタリアの巨匠ジウジアーロのデザインを三菱の技術者が手直ししたとされる、スポーティかつロングノーズのスタイリッシュなスタイリングと、三菱初のSOHCエンジンの搭載などで、従来の三菱車の質実剛健的なイメージが払拭された。



パワートレインは、最高出力87ps/最大トルク11.0kgmを発揮する1.3L 直4 SOHCエンジンと95ps/13.2kgmの1.5L 直4 SOHCの2種エンジンと、3速/4速MTと3速ATの組み合わせ、駆動方式は従来通りFR。ハイチューニングされた105ps/13.4kgmを発生するGSグレードでは、最高速度175km/h、0→400m加速は16.9秒と、当時クラストップの走りを誇った。


車両価格は51.8万円~71.1万円に設定。当時の大卒初任給は3.4万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で350万円~481万円に相当する。
コルトギャランは、スポーティかつスタイリッシュなデザインと俊敏な走りで人気を獲得。2代目以降は、コルトの冠が取れて単独名「ギャラン」となり長く三菱の中核モデルとして活躍。しかし8代目ギャランが2005年11月に国内販売を終了し、36年の歴史に幕を降ろした。
ギャランシリーズの名車
ギャランシリーズは、その長い歴史の中で以下のような名車を誕生させた。


・ギャランGTO(1970年~)
三菱重工から分離独立した三菱自動車として初めて投入した高性能クーペ。ダイナミックなスタイルと卓越した走りで新生三菱のイメージリーダーの役目を果たした。

・ギャランクーペFTO(1971年~)
GTOの弟分位置づけで、若者向けの比較的安価なクーペ。

・ギャランΣ(シグマ)(1976年~)
欧州車風のデザインを取り入れたラグジュアリーセダン、ギャランシリーズのなかで最大のヒットモデル。


・ギャランΛ(ラムダ)(1976年~)
斬新なスタイリングで三菱のイメージを一新した2ドアハードトップ。

・ギャランVR-4(1987年~)
WRC参戦を前提に開発、2.0L 直4 DOHCインタークーラーターボとフルタイム4WD、AWSを組み合わせたスポーツセダンを代表するモデル。
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三菱自動車が設立された当時は、技術的には優れているがデザインが今ひとつ…というのが三菱車のイメージだった。それを払拭するために投入されたのが、大衆セダンのコルトギャランとスポーティクーペのギャランGTOだった。両モデルともスポーティさをアピールして、イメージチェンジの役目は十分果たせたと思われる。
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