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今日は何の日?■国内生産累計1億台記念モデルのオリジン発売

2000(平成12)年11月1日、トヨタは1999年10月に国内自動車生産累計台数が1億台に達成したことを記念したモデル「オリジン」の発売を始めた。モチーフになったのは、1955年に誕生した初代「クラウン」であり、その特徴である観音開きドア、フロントグリルや縦長のテールランプを再現し、インテリアも本木目パネルや本革シートを装備して高級感が演出された。
生産第1号は政府からの要望を受けて完成したトヨタG1トラック
トヨタのルーツは、1926年に豊田佐吉氏によって設立された豊田自動織機製作所である。そして長男の豊田喜一郎氏は、1933年に豊田自動織機内に自動車製作部門を設置し、“日本人の手で日本に合った日本人のための国産車を作る”という理念のもと、エンジンからボディまで完全オリジナルの乗用車の開発を目指した。

1934年には、シボレーのエンジンを参考にしたA型エンジンの試作機が出来上がり、1935年5月にA型エンジンを搭載した試作車「乗用車A1型」が完成。ところが当時は戦時体制下であり、政府が求めたのは軍事にも使えるトラックだった。


トヨタは、急遽トラックの生産を優先させ、同じA型エンジンを搭載した「G1型トラック」を約半年で完成させ、1935年8月に発売を始めた。G1トラックは、先進的な流線形のスタイリングを採用した積載量1500kgのボンネット型トラック。フレームは、頑強なフォード式、フロントアクスルはエンジンとの関係からシボレー式、リアアクスルはフォード式を参考に設計された。

A型エンジンは、3.4L 直6水冷OHVガソリンエンジンで、最高出力65ps/3000rpm、最大トルク19.4kgm/1800~2000rpmを発揮。トランスミッションは、4速MTで駆動方式はFRだった。
G1型トラックは、車両価格3200円で販売され、総生産台数は379台にとどまった。ちなみに、当時の大卒の初任給は73円(現在は、約23万円)程度、単純計算では現在の価値で約1000万円に相当する。
国内自動車生産累計1億台を達成
トヨタは、上記の1935年のトヨタG1トラック発売以来、13年9ヶ月を経過した1986年に国内生産累計5000万台、そして64年1ヶ月の時を経て1999年10月に自動車生産累計1億台を達成した。



これを記念して同年10月4日には、トヨタ元町工場において国内生産累計1億台達成記念式典を開催。式典では、トヨタの生産第1号車である「トヨダG1型トラック」、トヨタ初の生産型乗用車のトヨダ「AA型乗用車」、初代「トヨペットクラウン」などが展示され、関係者およそ300名が見守る中、国内生産累計1億台となる「クラウンロイヤルサルーンG」の記念ラインオフ式が行なわれた。


累計1億台達成記念モデルのオリジン

2000年11月この日、国内生産累計1億台の記念モデルとして「オリジン」がデビューした。オリジンは、トヨタが長年にわたって伝承してきた“匠の技”と最新自動車技術との融合を図り、“小さな高級車”と呼ばれた「プログレ」のプラットフォームと主要コンポーネンツが流用された。

スタイルのモチーフは、1955年に誕生した初代クラウン「トヨペットクラウン」であり、観音開きドアやボリューム感のあるエンジンフードに丸目2灯ヘッドランプ、メッキ式フロントグリル、縦長のテールランプなどを再現。室内も、本木目パネルや本革シートを備えるなど、高級感が演出された。

パワートレインは、最高出力215ps/最大トルク30.0kgmを発揮する3.0L 直6 DOHC・VVT-iエンジンと電子制御4速ATの組み合わせ。足回りは4輪ともダブルウィッシュボーン/コイルの独立懸架である。
車両価格は、ベースの「プログレ」の約2倍の700万円で、生産台数は限定1000台だった。
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オリジンの開発は、1955年に主にタクシーに利用された「トヨペット・マスター」を開発した関東自動車(現在は、トヨタ自動車東日本)が担当した。関東自動車の「センチュリー」生産ラインの熟練工によって、トヨタの匠の技が集約された1台だった。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。


