日本は、この中国式掛け算を打破しないと勝てない

では、日本はどうか。日産は「2028年ごろの量産を目指す」と言っていたが実現できるだろうか。筆者は人海戦術&物量投入の中国のほうが量産開始は早いのではないかと思う。

経済学者諸氏は「日本は労働生産性が低い」「労働時間の規制を緩和しても生産性は上がらない」とおっしゃる。この手の人文系学問的発想は、経済学のような個人研究に近い領域ならまだしも、電池製造のようにコンセプト決定からチームでの商品開発へ、さらに量産体制の確立へと進む「実体物」には絶対に当てはまらない。

生産技術のエンジニア諸氏も、いわゆる「働き方改革」の網にかかっている。残業が制限されているだけでなく、いままでは当たり前だった「社外で仕事用のノートPCを開く」ことが、情報セキュリティのため現在はほとんどの企業でできない。残業もダメ、家に仕事を持ち帰るのもダメとなると、人手を増やすしかないが、いまの日本企業ではそれができない。

しかも新技術を用いる製品開発はひとりではできない。ある規模の市販前提プロジェクトとなるとまず20人、30人のエンジニアが携わる。試作段階ではもっと増え、実証段階ではさらに増え、量産準備に入れば生産技術部門とサプライヤーを巻き込むため、あっという間に100人を超える。しかも、全員が役割を持たされ、タイムスケジュールどおりに仕事をこなさなければならない。

「生産性の低い開発」など、まずあり得ない。手の足りないなかで、時間も足りないなかで開発は進む。経済学者と厚生労働省は、こんなことも理解できないのだろうか。

中国のある電池メーカーでは、すでに当たり前になっている996(朝9時から夜9時まで週6日勤務)のうえ、他社から人を引き抜いたり海外から人材を募集したり、設備コンサルティングを入れたりという体制で、高度成長期の日本のような「号口(発売)直前突貫工事」が敢行されつつある。「こういう人材はいないか」とヘッドハンティング会社に声をかけ、金を積んで引き抜く。高価な機械もポンと買う。

しかも、実証段階で多少の問題があっても量産準備を進め、他社よりも先に「ウチが完成させた!」とぶち上げ、世の中に製品を出す。トラブルは承知のうえ、である。だからSSBのサンプル出荷は早かった。しかし「危なすぎる」という理由でサンプル出荷を止める電池メーカーが実際にあった。

欧州の研究開発は階層構造だ。車載用LIBでほとんどロクな実績を残していない理由は、上の階層だけが充実した「頭でっかち」だからであり、たいてい試作から量産準備の段階ででつまずく。過去にメディアが「画期的」などと紹介した欧州の新しい電池技術は、まだどれひとつとして実用化されてはいない。ラボだけで終わった開発も多い。

労働生産性が高いはずの欧州なのに、いまだに液系電解質LIBさえ、まともには量産できていない。量産まで漕ぎ着けても、こんどは歩留まりが悪すぎるなどの理由で利益が出ない。破綻したスウェーデンのノースボルトは、量産前の段階で前に進まず、一部量産に入った製品は歩留まりが悪過ぎた。しかし生産設備を改良できなかった。つまり量産技術が手の内になかったのだ。中間より下の階層が極めて手薄だった。

中国の製造現場は、いまだに人海戦術的な部分が残っている。中国全体で見て、けして労働生産性は高くない。しかし電池は大量に作っている。いまや電池攻防戦は「どれだけ人と金を確保できるか」である。その「人」の中には高度なエンジニアから現場労働者までのあらゆる職種が含まれる。そして「人手×996」で何とかしてしまう。

日本は、この中国式掛け算を打破しないと勝てないのだ。