前回は無念のドクターストップ。されど、その歩みは止まらず

今回で17回目を迎え、2026年1月25日にモロッコ・タンジェをスタートし、2月7日にセネガル・ダカールでゴールを迎えるアフリカ・エコレース(2023年は中止)は、かつてのパリ・ダカール・ラリーに匹敵する過酷さで知られ、2輪・4輪を問わず、日本からも故・篠塚建次郎氏など多くの挑戦者が参戦してきた。なかでも、ダカール・ラリーに2019年大会まで参戦し続けて最多連続出場のギネス世界記録を持つ、日本クロスカントリー界のレジェンド・菅原義正氏は、ダカールからの引退後も挑戦の歩みを止めず、2020年大会からアフリカ・エコレースへ参戦されている。

菅原氏はその昔、月刊『モーターファン』誌でテスターを務められていた経歴を持ち、実は『モーターファン.jp』とは旧知の間柄。そのご縁もあって、渡航直前の多忙な時期ながら、私的な壮行会において今回の抱負を伺うことができた。
「前回(第16回大会)は、実はドクターストップがかかってリタイアしちゃったんだよね。お客さんとして楽なつもりで行ったんだけど、そこはやっぱりアフリカ大陸のラリーレイド。渡航前にドタバタして睡眠不足とかストレスとかあったみたいで、走ってるうちに、なんだかバテバテになっちゃって。で、向こうの軍隊の病院に連れていかれて検査したら、血糖値が上がってるって言うんでドクターストップ。自分でクルマのハンドル握らなかったからかな。面目ないね。でも、参加賞はもらったから“連続参加記録”は切れてないらしいよ。今回はレース参戦だから、ちゃんと自分でハンドル握って運転します(笑)」
前大会、主催者提供の衛星測位情報で示された菅原氏搭乗車の位置が病院の駐車場から長らく動かなかったため、一時、現地の状況がわからない日本の関係者の間では、「交通事故で重体」などという不吉な情報が流れたが、真相はこういうことだった。とは言え、「もう参戦をやめて完全引退する」という選択肢は菅原氏には無いようだ。
ヒトの準備は万端、クルマはジムニー・シエラ、しかし4AT
「今回は夏にラリー・モンゴリア(モンゴルで行なわれるラリーレイド競技)に練習と訓練を兼ねて出て、みんなの予想に反して完走できたから(笑)、体調含めて人間の方は大丈夫だろうと思います」
菅原氏はすでに今年、ラリーレイド競技に出場して完走済みだった。恐るべし…。「それでは今回の体制は?」と問うと…。
「いつも通り、チーム体制そのものは、色々な方々に助けられてのプライベーター参戦です。で、今回はお約束通りに競技参加します。クルマはスズキのジムニー・シエラ。前々回は軽のジムニーだったけど、今回は普通車規格のシエラの方。実は前々回の参戦の時に、軽と一緒に中古で買ってたの。で、どっちでレースに出るかとなった時、“車両費が抑えられて、みんなが参加しやすくなるから、軽の方が良いかな?”と思って軽にしたら、これが苦労の連続だった。
それに、恥ずかしい話なんだけど、軽とシエラって、似ているようで実は共通するパーツがほとんど無いことを知らなかったのね(笑) そんなわけでシエラが丸まる1台浮いちゃったのよ。何もしないでそのまま中古車で売るのも何か違ってる気がしたから、“よし、じゃあ、今度はシエラだ”と。で、前々回に使った軽は、“欲しい”という人がいたので、ちゃんと公道走行できるように戻して売っちゃった」
菅原氏が今回使用するジムニー・シエラはどこかのレーシング・ガレージが仕立てた競技車両を買ってきたわけではなく、本当に普通の中古車屋で売られている市販車だ。何しろ聞いて驚く4AT、オートマ車なのだ。それを最低限の改造で競技仕様に仕立て上げている。
「本来はマニュアル車、5MTを選ぶべきなんだろうけど、4ATです。もともと部品取りのつもりで買ったクルマだから。最初は“失敗しちゃったなぁ”と思ったんだけど、“いや、待てよ”と。もしAT車で完走できたら、競技参加の敷居が下がるんじゃないかと考えちゃったんだよね。だったら“このままAT車で良いや”と。私の生涯の目標は、モータースポーツに親しんでくれる人を増やすことだから」
「ミニの菅原」が原点。“小さなクルマ”を選ぶワケ
前回は“乗客”という立場だったとはいえ、トヨタ・ハイラックスを選んだ菅原氏だが、なぜ今回は再びジムニー・シエラという“小さなクルマ”を選んだのだろうか?

「小さなクルマで大きなクルマに挑んで勝てた時は素直にうれしいじゃない。まず、これが一つ。それと、モータースポーツは、お金をかけようと思えばキリがないでしょ。自分で限度を決めておかないと、金も人も手間も際限なく注ぎ込むようになっちゃう。限られた条件の中でベストを尽くすから美しいんじゃない? なんかキザだけどさ(笑)
もともと原点はサーキットレースだけど、その時からずっと小さいクルマでやってたからね。ホンダのS600から始めてミニクーパーSにスイッチした。606ccから1275ccね。なんか今回のジムニーからジムニー・シエラみたいだね(編注:658ccから1460cc)(笑)
とにかくミニクーパーSで走ってた時は、1968年…かな、『全日本鈴鹿300kmレース 全日本ツーリングカー』ってレースでクラス優勝、総合3位に入っちゃった。まぁ、前にはトヨタ1600GTとかいすゞのベレット1600GTがいたんだけど、大量にエントリーしていたプリンス・スカイライン2000GT軍団よりも前でゴールできたのよ。すでに前年の『富士12時間自動車耐久レース』と、この年に続いた『全日本スポーツカー富士300kmレース』でクラス3連勝したおかげで、「ミニの菅原」なんて呼ばれるようになったのね。これで“小さいクルマ”に完全にのめり込んじゃった。
サーキットレースをやめた後、ファラオラリーにはホンダの軽トラのアクティで出たし、パリダカの時もカミオンだと言ったって、最も小さな排気量の日野のカミオンたちだったわけだしね。ただ、前回の軽ジムニーにしても昔のS600にしても、小さ過ぎるのは苦労したから、ちょっと余裕があるヤツの方が良いのかな、と。だからシエラは自分でも期待してます。ATが大丈夫かなと心配なぐらいで。とにかく、まずは完走だね。楽しんで走ろうと思います」
菅原義正、84歳。果たしてこの“旅”はいつまで続くのだろう。「見事に完走」の吉報を待ちたい。








