登壇したのは、本国スウェーデンのボルボ「セイフティセンター」のトーマス・ブロバーグ氏。
約30年に渡ってボルボの安全研究・開発を手掛けるエキスパートだ。

ヨーロッパ勢は自動車の安全意識が高く、ベンツもそうだが、ボルボも昔から自社製品の「安全」を積極的にPRしてきた。
クルマを積み重ねたり、ビルの屋上から地面に落としたりしてボルボ車の頑丈さをアピールするコマーシャルを見たことのあるひとは多いと思う。
だいたい、ELR(エマージェンシー・ロッキング・リトラクター(緊急時固定巻取式))の仕掛けはともかく、センターピラー上端寄りと下端、そしてフロアセンターにベルトを固定する3点式シートベルトを考案したのはボルボだ。
考案したのもえらいが、その特許を無料公開したのはもっとえらかった。
いま、日本では高齢者ドライバーによる事故が社会問題になっている。
それはセミナーで示された、日本の「状況別65歳以上事故死者数割合」のグラフを見ても明らかで、平成元(1989)年には11.1%だった65歳以上の乗車中の死亡事故割合が、令和5(2023)年には30.8%と、34年の間に19.7ポイントも増えている。

1989年には私は中学生だったが、2023年の65歳になったとたんに亡くなったひとは、1989年時点で31歳。
当時の私から見て若々しい兄貴分(おねえさんでもいい)の姿だった(はず)だったことを思うと、誰でも年を取って事故を心配するようになる年齢になるんだなあとしみじみ思う。
いっぽうのボルボの本国、スウェーデン。
彼の地でも高齢者の事故件数増加は同じらしく、65~74歳までの層は他の層よりいくらか多いにとどまっているが、75歳以上になると顕著に増加する。
どうやら高齢者ドライバーの事故増加は日本もスウェーデンも同じようなもののようだ。

ところで人間も機械も、長い時を過ごす間に必ず劣化する方向に向かう。
自動車なんぞ、乱暴に扱わなくたって各部が汚れたり減ったりする。
だから普段の面倒見(メンテナンス)が必要なわけだ。
ボディサイドやバンパーをガリッとこすってついた表面傷とて、やはり補修が必要だ。
手の甲のしもやけじゃないんだから、自然治癒というわけにはいかない。
人間も同じで、運動能力、判断力は劣るし、視力は落ち、視野も狭くなる。
個人的なことをいわせてもらえば、筆者は運転免許を取ったのは21歳になるちょい手前、20歳と11か月のときだった。
学生の頃のことだから、最初は親のクルマを借り、働くようになって自分のクルマを買って乗るようになったが、まじめに、上手に運転できたピークは、自分じゃあ28歳あたりまでだと思っている。
自分でいうのも何だが、あの頃はそりゃあそりゃあていねいだったもの。
初心者マークの頃に知らないひとが乗る(例:販社ディーラー試乗車で助手席に乗るセールスマン)ときなど、「初心者とは思えない」といわれたことが複数回あるし(この場合、「こいつにクルマ買わせよう」というおべんちゃらだった可能性は否定できないからノボセちゃあいけない)、車庫でクルマから降りるとき、運転席ドアを開けて地面に右足をついた瞬間、今日の運転は、どの場面がよくなかったかと反省しながら降りていたものだ。
しかしそれもこれも28歳まで。
以降、いまに至るまで、どこか慣れと我流で運転しているところがある。
もちろんいまだって惰性で運転しているわけじゃないし、常に周囲に目を配り、それなりにひっちゃきになってハンドルを握っているつもりなのだが、「あのときほどではなくなっているんだろうなあ」とどこか自分を疑っている。
ただ、幸いに事故を起こしてはいない。
だが、こう書いているいまだって、明日はどうなるかわからないと思っているのは事実だ。
小さい頃からなかったと自信を持っていえる運動能力はともかく、判断力、視力、視野の広がりがはたしてあのときのままといえるかどうか。
高齢化による変化の定義づけ
いま書いたのは筆者自身のただの自覚だが、トーマス氏は運転に於ける、年を経るにおよんで劣化(あえていう)をもっと踏み込んで要素別に定義している。
それが次の図だ。

「身体的要因」はすぐわかる。
自覚がたやすいのは「視覚」と「筋肉」だろう。
先行車を見ているとき、視野の端っこに入ってきた歩行者や自転車の存在がつかめるかどうか、同じく視野端のドアミラーに後続車の接近が認識できるかどうか、など多数ある。
突然横っちょからクルマや自転車が飛び出してきたときの、アクセルからブレーキへの踏みかえは、筋肉(と反射神経も)がものをいう。
トーマス氏はさらにほかの要素も付け加えている。
「心理的&認知的要因」「ミスを補う行動」だ。
自分に当てはめて考えてみると・・・
「心理的&認知的要因」を構成する「注意」「認識」「意思決定」も、いまンとこ自分じゃあ大丈夫と思っているが、いっぽうで「その意識があぶない」と思っている。
自分じゃ大丈夫と思っていても、他人の目にどう映っているかわからないことを認識すべきだ。
「ミスを・・・」の中の特に「経験」は納得できる。
ひとや他車にぶつかりそうになって「ヒヤリ」とした経験を持つ人は多いだろう。
そんな経験はしないほうがいいのだが、ないよりはあったほうがいいともいえなくない。
過去の「ヒヤリ」経験が蓄積されると、「もうあんな目に遭いたかねえ」という警戒心にもつながるからだ・・・いわば必要悪である。
もっとも、経験を活かす気がサラサラないひとは困るのだが。
トーマス氏は、この3つの仮設(?)のもと、次の2つの研究を行なったという。
研究1.交差点における視覚の動きの傾向・・・どこを見ているのか
実験内容を示したのが次の写真で、それ以降の写真が実験結果だ。




年齢層による目の動きや視野の違いのみならず、首の動きに着目したところがさすが専門家だが、結果を見ると、若年層に対してシニア層は、首=頭の回転移動量が少ないことがわかる。
ハジをさらすと、筆者は2月のカーメイトの非金属チェーン実践取材の際、平素の運動不足が災いし(?)、チェーン取付作業中に右のあばら骨に何かの無理な力がかかったかひねったか何かで、全治2~3週間の目に遭った。
首を寝違えたときなどもそうなのだが、こうなると普段難なく行っている運転操作に支障が出てくる。
乗り降り、シートベルトの脱着、左右確認など、乗車から発進操作までの流れ・・・参ったのはバックだ。
上半身を後ろにひねった状態で、手は前のハンドルを動かすという、何とはなしに行っている動作にも激痛が走ったから、普段とっている何気ない動作もいかにいろいろな筋肉を使っているかがわかる。
だいたい、この期間中、寝起きも寝返りも難儀だったのだ。
これはたまたま私の身に起きた一時的なものだが、加齢で身体が硬くなると「身体の動かしにくさ」が共存することになる。
やはり加齢による身体の変化は自覚しないといけない。
視野についてはいまのところ筆者は問題ないが、これもいずれ自分はと自認しておくべきだ。
「若いドライバーは動く物体により注意を向ける一方、シニアは静止した物体に集中する傾向がある」なんて初めて知った。
これはすなわち、自分に接近する他車、歩行者、自転車などに気づくのが遅れることを意味する。
仮説にあるとおり、年を取ると視野が狭くなるばかりでなく、動体への反応が鈍くなることを知っておいた方がいい。
もうひとつ、話がちょい外れるが、筆者の知識を付け加えると、年齢問わず、ひとの心理は光そのものに目を向ける性質があるものなのだそうで、対向車の光がまぶしいときは光のやや左下に目を向けるといいそうな。
最近のクルマのヘッドライトがやったらまぶしく感じるとしたらそれはあなたの加齢のせいでも目の病気なのでもなく、光源のLED化で光量が増しているせいだ。
いま増えているアダプティブ配光のランプは、ちゃんと眩惑を防ぐコントロールがなされているはずなのだが、対向車からすると、実際にはひと目まぶしく感じるものが少なくない。
もうちょい技術で煮詰められんものかと思っているのだが、まぶしいならすれ違うとき、このことを意識するといい。
次の研究・・・
研究2.路上における評価テスト
これもトーマス氏が掴みたかった内容とその結果をさきに載せてしまおう。





・・・・・・・・・。
・直線道路であっても、シニアドライバーは適切な速度調節に苦労する傾向がある。
・交差点では注意力に関連するミスが発生する。
「運転の結果・・・」にあるこのふたつは、いまは何とはなしに行っていることであるが、自分もいずれ年を取ると、気づかずにこうなってしまうのかなあと思うと嫌になる。
ところで、「研究からの結論」のうち、筆者が注目した頭の3つをここに抜き出してみよう。
・速度への適応
複雑な交通状況では、観察して判断・操作する時間を確保できないほどの高い速度で走行してしまう。
→ 10m先に前のクルマが止まっていることを認識するのに10秒もかかるようなら、たとえ一般に「のろい!」と思うような時速10km/hでも速い速度になる・・・これじゃあ気づいていないのと同じだ。
・交差点での視覚的注意不足
交差点での視覚的注意は、シニアドライバーにとって課題となりやすい。
→ 加齢で視野がせまくなっているから、周囲の状況を見落としやすい。
・自己認識
道路状況に合わせた運転ができていないことを意識できない傾向にある。
→ 自分が周囲を認識していないことを認識していない。
資料ではシニアの「典型的特徴」と謳っているが、そのうちのこの3つは、シニアでなくてもやってしまっていることだと思う。
あなたも筆者も見かけるたびに顔をしかめざるを得ない、ドライバーがスマートホンをいじっているクルマの動きに似ていないだろうか。
隣の車線のクルマがスマートホンいじりをしているのを見ると、画面を上下にスクロールさせるほどじっくり見ている奴もいる。
運転している最中にまで触るなんて、一体何の画面を見ているんだと思うのだが、「凝視」とはいわないまでも、ナビのチラ見の域を超えているし、画面に気を取られているなら周囲の状況把握は不足しているに違いなく、いま自分が周囲の流れを乱す要因になっていることにも気づいていないだろう。
自分にそのつもりはなくとも運転への集中力は落ちていていることに認識していない。
いいかえれば、スマートホンを操作しながらの運転は、シニアドライバーの危険な状態を疑似的に再現しているといってもいいような気がした。
シニアでなくても認識すべき、安全運転のための10ポイント
最後、トーマス氏は、シニアドライバーが安全に運転するためのポイントを10点掲げている。
1.速度を控えめに
おっしゃるとおりで、速度が低ければ低いほど、判断時間が相対的に長くなる。
それを自覚しているひとは、市街地や、特にスクールゾーンでは車速を落とすべきだ。
ただ、ものには程度というものがあり、後ろのクルマをイラつかせるほど低速なら迷惑なだけ。
だから速度を上げるのではなく、ちゃんと後ろを見て後続車が迷惑そうにしているならそれを察して左に寄り、道を譲るべし。
世の中のあおり運転事故&事件の発生原因の半分は、前走車にあると思っている。

2.焦らず、意図をはっきり伝える
リバースランプはともかく、テールやストップ、ターンシグナル、ヘッドライトは、他車、他者に自分の存在と、次の自車の動きをどうしたいかの意志表示のためにある。
つまり、道を行くのは自分のクルマだけではないことが前提になっているわけだ。
自分の意思表示は明確に。

3.周囲への注意を高める
無意識のうちに注意が低くなっているから問題になるわけで、まあ、これは思い出したときに意を改めることを繰り返すしかないか。

4.運転の練習を続ける
ときに自分の運転の技量を再確認すべく、レッスンを受けるのもいいだろう。
ただ、申し込みが煩雑だったり、レッスン料が安くなかったりで敬遠しがちだろうから、もうちょい気軽に、無料で受けられるしくみになるといい。
政府(スウェーデンじゃなく、日本の)も、高齢者運転の事故を問題視するなら、少なくとも高齢者は無料で受けられるようにしたらどうか。

5.カップルや夫婦の場合は、運転を交代で担当し、2人とも練習できるようにするべし。
「・・・2人とも運転できるように・・・」の間違いじゃないかと思うが、加齢で疲れやすくなっているなら、交代要員として複数で運転できるようにしておくのが得策だ。

6.交通量の少ない時間帯・昼間に走る
これが可能な地域に住んでいるひとは実践したほうがいいだろう。

7.事前にルートを計画
ナビを活用というわけだが、あって便利なものはじゃんじゃん使えばいい。
ただ、あまりに頼りすぎると、実際の道路状況とナビ地図の相違に出くわしたときにあわてるので過信されませぬよう。
ときにナビを無視して走る場合のルートもひとつ頭に描いておくといいかも知れぬ。

8.安全性能の高いクルマを選ぶ
こればかりは諸手を挙げて賛成しかねる。
クルマはおいそれと簡単に買えるもんじゃないし、安全デバイス面については、新しいクルマほどいいとは思うが、進化が著しいがために新車価格が跳ね上がっている現実がある。
軽自動車なんて、ちょいオプション付けたら乗り出し200万円超がザラなのがいまの日本だ。
新しいクルマがいいのはわかっちゃいるが、筆者が安易に「ぜひそうすべき」とはいえない。
財力に応じて各々で決めるべし。
いまは中古車市場にも安全デバイス付きのクルマが出回っているはずだから、最新ではないにせよ、ないよりはましだから、安全装置付きの中古車から選ぶのもいい。

9.正しい着座とシートベルト
たるみやねじれがないように、正しく装用するように。
補足すると、拘束を緩和するクリップや、衣服の汚れを防ぐカバーなどをつけているひとがいるが、衝突時に作動するプリテンショナーやフォースリミッターなどの正しい働きを妨げる恐れがある。
シートベルトには余計なものをつけてはいけない。

10.駐車操作はサポート機能を活用
バックやアラウンドカメラだけでバックしないようにというが、じゃあ後ろを振り向いての目視ですべてが見えるかというとそうでもない。
ガラスから見える範囲以外=パネルに隠れた部分は見えず、逆にカメラはその死角部分をも映し出してくれる。
同時に、逆にカメラに映らない場所が窓から見えるばあいもあるわけで、カメラだけ、目視だけというのではなく、相互補足の意味で使いながら駐車操作を行ないたい。

日一日、誰もが歩んでいる高齢化への道
誰でも免許取得後の1年=初心者マーク期間を過ごしてきた挙句にいまがある。
認識しなければいけないのはここからで、明日、不慮の事故に遭い、身障者マーク付きで運転しなければならなくなる可能性は誰にでもある。
そしてさきざき病気にもならずけがもせず暮らしたとしても、都市だけは誰でも順調に取る。
つまり初心者マークに身障者マーク、高齢者マークは、運転する誰にとっても無関係ではいのだ。
筆者もあなたも、いずれはあのWindows XPか、Windows 7のパソコンのスイッチを入れたときに出てくるロゴみたいなマークを愛車につけるときが訪れる。
トーマス氏が掲げたこの10ポイントをよく眺めてみると、何もシニアだけじゃなく、非シニアだって頭に叩き込んでおくべきものばかりだ。
もしこれをお読みの方・・・シニアの方はもとより、シニアでない方もそのときのことを視野に入れ、いちどご自分の運転スタンスを見直してみてはいかがだろうか。
筆者もこれを機に振り返ってみようと考えている。
