平成は、こんなクルマを本気で作っていた!

平成のクルマ史を振り返ると、理屈よりも熱量が先に立つ存在がいくつも浮かぶ。その象徴のひとつが、1997年に登場したシビックタイプR(EK9型)である。タイプRという名はNSXで先行していたが、EK9はそれを「誰もが手にできる実戦主義のスポーツカー」へと引き下ろした存在だった。軽量なシビックをベースに、レースで勝つための要素を惜しみなく注ぎ込む。快適性や装備は削ぎ落とされ、赤いエンブレムが掲げるのは速さへの忠誠心のみ。その潔さこそ、平成だから許された尖り方である。

自然吸気エンジンとして世界最高峰の高出力、リッター当たり116馬力を実現した1.6L DOHC VTEC タイプR専用エンジン(185PS/8,200rpm)を開発。

EK9型シビックタイプRは、当時のCセグメント・ハッチバックの常識から明確に逸脱していた。心臓部は1.6L自然吸気のB16B型エンジン。量産NAとして異例の185PSを発生し、8,000rpm超まで一気に吹け上がる。専用クロスミッション、ヘリカルLSD、スポット増し溶接されたボディ、軽量フライホイール。カタログを飾るための数字ではなく、走らせた瞬間に違いが分かる部品群が与えられていた。ステアリングを切り、アクセルを踏み込めば、クルマが一体となって前へ出る。速さとは感覚であり、信頼であるという思想が、ここにはあった。

1.6Lエンジンとしては驚異的な185馬力をたたき出すB16Bエンジン。B16Aから10馬力もの向上は並大抵のことではなかったという。

速ければ正義だった時代のシビックタイプR

このクルマが生まれた背景には、1990年代半ばのホンダの置かれた状況がある。F1からの撤退、バブル崩壊後の市場縮小、スポーツカー冬の時代。そんな中でホンダは、モータースポーツのDNAを市販車にどう繋ぎ止めるかを模索していた。EK9はその答えのひとつであり、「レースで勝つ技術をそのまま公道へ」という、極めてホンダらしい結論だった。特別な富裕層のためではなく、走りを愛するユーザーのために作る。その姿勢が、タイプRをブランドではなく思想として定着させた。

1998年にTIサーキット英田で開催されたTI400kmスーパー耐久レースを戦ったギャザズ・ドライダー・シビック。山本泰吉と辻本聡がドライブした。 画像:auto sport web

ただ、当時の反応は決して一様ではない。軽量化のために遮音材を削った内装、硬質な乗り味、価格に対する割り切りの強さに、戸惑いの声もあった。一方で、走りを理解する層からは熱狂的に支持され、サーキットでは即座に結果を残した。雑誌の比較テストや草レースの現場で、EK9は「最初から完成している」クルマとして語られ始める。評価は徐々に定まり、「タイプR=本気」というイメージがこの時代に固まっていった。

ホールド性を高める真っ赤なレカロ社製バケットシート(可倒式)とコーディネイトしたインテリア。シフトノブはショートストロークでチタン削り出し。

EK9がレースで最強だった理由は明快だ。ベース車の軽さと剛性、自然吸気高回転エンジンのレスポンス、前輪駆動でありながら破綻しない足まわり。そのすべてが、ドライバーの操作に忠実だったからである。限界域での挙動が読みやすく、腕がそのままタイムに反映される。マシンが速いのではなく、速く走らせやすい。その性格が、ワンメイクやツーリングカーレースで圧倒的な強さを発揮した。

ハッチバック車のリヤ周り剛性不足を補うために板厚をアップして対応。リヤクロスメンバーには補剛パーツも追加されている。

シビックを“ただの大衆車”で終わらせなかった一台

シビックタイプR EK9型がもたらした最大の価値は、「FFでもここまでできる」という認識を決定づけた点にある。ホンダはこの一台で、実用車メーカーという枠を超え、走りの思想を持つブランドとしての印象を強くした。以降のタイプRは世代ごとにキャラクターを変えながらも、速さを誤魔化さないという軸だけは一貫している。その源流がEK9であることに異論はない。

当時の新車価格(税別)は、ベースグレードで199万8000円、軽量化されたレースベース車は169万8000円と、現代では考えられない程の手頃な価格設定だった。

デザイン面でも影響は小さくない。派手なエアロではなく、機能に裏付けられた造形。赤バッジ、白ボディ、シンプルな3ドアハッチという記号性は、後のホットハッチ文化に強い影響を与えた。速さは装飾ではなく、構造から生まれる。EK9はそれを視覚的にも示した存在だった。

カーボン調メーターパネル

デビューイヤーである1997年という年を振り返ると、このクルマの立ち位置がより鮮明になる。消費税は5%に上がり、山一證券は破綻し、社会は先行きへの不安を抱えていた。一方で、プレイステーションが普及し、若者文化は熱を帯びていた時代でもある。閉塞感とエネルギーが同居する平成9年に、EK9は理屈抜きの「走る楽しさ」を提示した。だからこそ今でもシビックタイプR EK9型は、名車として語られる存在なのだ。

同じく1997年には、SUPER GTの前身となる全日本GT選手権で「NSX-GT」がデビュー。ベースとなるのは1996年に登場したNSX type S。エンジンはベースモデルの3.2Lから、3.5Lへと拡大されていた。