「個人競技の選手は孤独なものですが、僕は一人じゃなかった。そこに12回目のタイトル獲得の大きな喜びがありました(黒山選手)」

トライアルバイク「TY-E」で、史上初となる電動バイクによる全日本チャンピオンに輝いた黒山健一選手

「チャンピオンが決まった瞬間、もっと喜びが爆発すると思っていました。ただ、自分でも不思議なんですが、そうはなりませんでした。団体競技を戦って、掲げた目標をみんなの力で成し遂げた。自分はその勝利に貢献したメンバーの一人。そういう感じだったのかもしれません」

2025全日本トライアル選手権で、じつに12回目となるタイトル獲得を決めた黒山健一選手。百戦錬磨のレジェンド、黒山選手にとっても、今回のタイトル獲得はこれまでとは違った味わいだったようだ。

電動トライアルバイク「TY-E」、そしてその開発者やチームとともに勝ち取った、史上初、電動バイクによる全日本最高峰クラスの王座だった。

黒山選手が「TY-E」に初めて跨ったのは2017年。「“若手の技術者たちが、自主的に電動トライアルバイクを試作した。ぜひ一度、乗ってみてほしい”という依頼でした」

その時の印象は、「(競技車としては)パワーが足りない。でも、ホビーバイクとしてはおもしろいかもという程度でした。自分も電動バイクに対して理解が足りなかったし、ヤマハのような会社が本気を出した時の集中力、その爆発するようなエネルギーのすごさを知らなかった。いま思えば、そういうことでした」と続ける。

「ワクワク・ドキドキは、僕の人生のモットー。『TY-E』とのチャレンジは、まさにワクワク・ドキドキの連続だった」と黒山選手。ともに戦った佐藤監督と

黒山選手を驚かせたのは、まず、その驚異的な開発スピードだった。

「伸びしろしかない『TY-E』の戦闘力を、開発者たちがものすごいペースで上げていきました。それはエンジン車の開発とは、アプローチやスピード感がまったく異なるものでした」

その一方で、戸惑いや苛立ちを感じたこともあったという。「ライダーはプログラムがわからない。エンジニアはライディングがわからない。共通の言語や感覚という架け橋がないなかで、意思疎通には互いに苦労もあった」と振り返る。

2023年からの3カ年プロジェクトをともに歩んだ佐藤美之監督には、忘れられないシーンがある。3年前の体制発表会だ。

「彼は記者の皆さんを前に、『(電動バイクで全日本に出場する道を選んだことで)黒山健一は終わったと感じる人がいるかもしれない』と話しました。その言葉の裏に強烈な決意を感じましたし、私たちも彼を絶対に勝たせなければならないという強い責任を感じました」

電動でエンジン車を凌駕する――。黒山選手自身が立てた目標は、1年目にランキング6位以内、2年目に3位以内、そして3年目にチャンピオンというものだった。そして、そのすべてを実現してみせたのである。

「エンジニアの皆さんは、“わかり合う”という架け橋を根性で渡ってきて、そのうえで、発想や提案で最後は僕を超えてきた。本当にすごい、と。個人競技の選手は孤独なものですが、僕は一人じゃなかった。そこに12回目のタイトル獲得の大きな喜びがありました」

チャンピオン獲得の2日後には、「ジャパンモビリティショー2025」で豪快なパフォーマンスを披露。インドアでのアクションも、電動ならでの魅力のひとつ

黒山選手は「全日本100勝」まであと3勝に迫っている。2026年も大いに期待できそうだ。

ヤマハ発動機「電動トライアルバイクの研究開発」