
彼女の子ども時代に家にあったクルマは90系のマークⅡだったという。
マークⅡは、子どもにとって分かりやすい「かっこよさ」を持ったクルマではなかった。低く構えたボディはスポーツカーほど鋭くなく、かといって家族向けの実用車ほど親しみやすくもない。
正直、まわりの友達の家が次々とミニバンに切り替え、学校で休日の家族でのお出かけの話を聞かされるのが少しうらやましく、「ウチも早くミニバンに買い換えないかな」とさえ思っていたという。世間の「かっこいい」という基準が、徐々に3ボックスセダンから箱型のミニバンに変わりつつあった。

マークⅡは、どこか端正で、きちんとした佇まいをしていた。そのせいか、どこか微妙にフォーマルなクルマという印象だけは、強く記憶に残っているのだと。マークⅡの「かっこよさ」に気付いたのは、彼女が結婚して新しい家族を持ち、世の中からマークⅡというクルマ自体がなくなってからだった。

マークⅡが家にあった頃、万年課長の彼女の父は、そのクルマで郊外に新築した戸建て住宅から毎日仕事に出かけていった。
スーツ姿でキーを差し込み、エンジンを始動する。滑らかな音が一瞬だけ高まり、すぐに落ち着く。毎朝、その音を聞くと、家の中の空気まで引き締まるように感じた。「マークⅡのおでかけ」は、父が“仕事モード”に切り替わるための儀式のようでもあった。

室内は広く、シートは柔らかすぎず、硬すぎない。
後席に座ると安定感があり、揺れは少なかった。後席の常連客だった子どもにとっても“難所”だった近所のデコボコ道もうまくいなして、静かに進む。その感覚は、子ども心にも「大人のクルマ」という印象を残した。走りと乗り心地に余裕がある。そんなクルマだった。

休日になると、彼女の父は家の前の小さな駐車場で、飽きずにマークⅡを洗車していた。
角張りすぎないボディラインや、控えめなメッキ部分を丁寧に拭き上げる姿は、仕事道具を整えているようでもあった。特別、他人に愛車自慢をするわけではないが、雑に扱うこともない。その距離感が、このクルマの性格だったのかも知れない。
マークⅡは、家族の中心になるクルマではなかっただろう。
休日のアウトドアのレジャーに連れ出されることも少なく、子どもの思い出を量産する存在でもなかっただろう。それでも、毎日確実に走り、父親を職場へと運んでくれる。その役割を結局は十年以上も、何事もない顔でこなしてくれた。

今振り返ると、マークⅡの落ち着いた走りと、目立たず、誇張せず、しかし確かに信頼できた当時の父の背中は、不思議なほど重なって見えるという。マークⅡは、あの時代の「働く父親」に最も似合うクルマのひとつだったのかもしれない。彼女の夫もまた、マークⅡに似ているのだろう。だから40代も半ばを迎えた今、彼女はマークⅡの「かっこよさ」に気付いたのだ…と思う。


