自動車アナリストの仕事とは?

「アナリスト」とは何者なのか。筆者は、30年以上自動車産業を専門に調査をするアナリストの肩書を維持してきた。20年間は証券会社の調査部に在籍し、株式市場で投資家の判断材料となる調査と推奨を行う証券アナリストとして過ごした。
2014年からは独立系調査会社の自動車産業アナリストとして、幅広いステークホルダーに向けた産業と企業経営の目線から世界の自動車各社を調査し、意見を発信してきた。
あえて「アナリスト」という肩書を掲げ続ける理由は二つある。第一に、調査対象の会社からは報酬を得ず、利害関係の無い「中立的」な立場から意見を述べる立場を維持するためである。
第二に、企業価値という客観的な尺度を通じて産業を見続けるためだ。企業価値とは株価と評価(バリュエーション)であり、この軸に沿って商品、技術、販売の戦略を評価し、自動車メーカーが選択すべき方向性を示すことである。
モータージャーナリストはハンドルを握ってクルマの良し悪しを見抜く。一方、アナリストは財務諸表と株価の動きから、自動車会社の課題、選択すべき商品・技術戦略、開発すべきいいクルマが見えてくるのである。
しかし数字だけでは分析に限界がある。商品知識は勿論、試乗会への参加、各国規制の分析、技術動向の追跡、世界中のモーターショーを巡り、現地取材で得た一次情報と資本市場の評価を掛け合わせて将来を予測する。これこそがアナリスト視座なのである。
日本の自動車メーカーが抱える課題

現在、自動車産業は構造転換の只中にある。競争軸は「電動化」から「知能化」へ移行し、AIを核とするSDV(ソフトウェア・デファインド・ビークル)が産業の中心概念となった。テスラや中国メーカーはこのトレンドの最先端を走り、その中で日本車はしばしば「出遅れた存在」として語られる。
中国勢は欧州、東南アジア、豪州、南米へと急速に拡大している。日本車の中国市場シェアは2020年の25%から2025年には12.5%へと半減した。かつて80%の市場シェアを誇ったASEANにおいても日本車シェアは60%にまで後退しているのである。
車両価値の定義も変化した。走行性能だけでなく、車内空間のデジタル体験、OTAによる継続的アップデート、自動運転機能が評価軸となる。クルマは完成品からスマートフォンのように進化し続けるプラットフォームへと変わりつつある。
この分野で日本メーカーが課題を抱えていることは否定できない。日本車はSDVの製造コスト競争力、ソフトウェア開発速度、ユーザー体験設計において、先行勢との差は存在する。
今後も中国SDV、テスラなどの新興勢、ウェイモや百度などのロボタクシー陣営が産業の変革を一段と加速化させる見通しである。その重大なトレンドの下で、日本車メーカーの「勝ち筋」を如何に追求していくかは、わが国自動車産業にとって重大な課題である。

企業価値の評価軸の一つにPBR(株価純資産倍率)がある。これは「株価が、企業の純資産(資産-負債)の何倍で評価されているか」を示す指標である。純資産は、極端に言えば今日会社を畳んだときに残り得る価値に近い。企業が今後も価値を創造できるとの評価を得れば1倍を上回り、価値を喪失すると評価されれば1倍を割り込む。
東証プライム市場の平均PBRが約1.5倍であるのに対し、国内自動車メーカーは平均0.7倍前後にとどまる。欧州勢も0.5倍程度、韓国車が0.8の低評価である。一方、テスラは16倍の高評価である。
エンジンとメカを中心する車両の売り切り型のビジネスモデルを有す自動車会社を「伝統的自動車メーカー」と呼ぶが、その企業評価は総じて低水準にある。成熟あるいは衰退産業として、事業モデルそのものが一括りにディスカウントされているのである。
自動車産業がソフトウェアやデータを軸とするモビリティ産業へと進化するなかで、伝統的自動車メーカーは「製造業の枠を超えられない」と市場から評価されているともいえる。
テスラや中国メーカーは、大規模AIと高性能半導体を実装した革新的なSDVを推進し、「EV」×「自動運転」の組み合わせが生む新たな空間価値を前面に打ち出している。クルマ単体の進化を急速に加速させ、その結果、SDVを武器とする新興勢は過去5年間で世界シェアを約10ポイント、伝統勢から奪取した。
すべての日本メーカーが後退しているわけではない

しかし、すべての日本メーカーが後退しているわけではない。トヨタやスズキは市場シェアを維持、あるいは拡大している。この現象は何によってもたらされているのだろうか。両社に共通することは、多様なパワートレインを併存させる「マルチパスウェイ戦略」を採用してきた。クルマ単体の進化にとどまらず、社会インフラとの調和を重視し、保有ベースからの価値連鎖(バリューチェーン)を収益源としようとしてきた。ここには日本車の勝ち筋が見える。
SDVは、究極の安全性に加え、周辺データを掛け合わせることで生まれる新たな価値や体験、新サービス、さらには社会コストの低減といった広範な価値連鎖をもたらす。例えば、国内から自動車事故が無くなれば、年間約10兆円規模の社会的損失の削減につながる可能性がある。SDVとは、クルマの提供価値全体を再定義し、自動車産業およびその周辺産業に構造的な変革をもたらす概念である。
これは好機なのである。日本車ならではのモノづくりの力とクルマだけに閉じない周辺産業との連携の中には、新しい提供価値が生まれてくるだろう。
日本車進化論とは、技術競争の勝敗を論じる物語ではない。より本質的には、事業モデルがどの程度スケーラブルで、どれだけ高い成長を長期にわたって持続できるかという点である。日本車は進化していないのではなく、進化の形が異なるのである。
