就職先を3ヶ月で辞めオクムラに転職

 加藤選手は京都の工業高校に通っており、京都ならではの染物の科だった。卒業後は染色関係の会社に就職したのだが、「ウチで働かないか?」という奥村社長の誘いを受けて、オクムラエンジニアリングに転職。染色関連の就職先は3ヶ月で辞めることになった。

 オクムラエンジニアリングに就職した加藤選手は、実家の京都を離れ、八尾市山賀町にあったオクムラエンジニアリングの近くで一人暮らしを始める。定時は9時から18時だったが、多忙を極めていたオクムラエンジニアリングでは20時くらいまで残業するのが当たり前だった。日夜チャンバー作りに明け暮れた加藤選手は、この頃、チャンバー作りを習得することになる。ちなみに奥村社長はシリンダーのポート加工やスイングアームなどのアルミの加工品作成などを担当していた。

加藤選手の自宅には立派な作業場があり、そこに保管されている当時モノのオクムラチャンバー。音量規制が厳しくない当時なのでサイレンサーが小さく、形状からパッソル用かパッソーラ用だ思われる。
当時のモトチャンプにカラーで掲載されたオクムラエンジニアリングの広告ページ。この時のヘルメットやツナギは今でも加藤選手の自宅で大切に保存されている。

身内やライバルには錚々たるメンバーが

オクムラエンジニアリングのライダーは加藤選手と富田選手、現マジカルレーシングの蛭田選手とオクムラエンジニアリングの社員たちだった。スクータークラスでのライバルは富田選手、ミッション社のライバルはキタコから出場していた辰巳選手(その後ブルーポイントというショップを立ち上げ)などだった。