連載

真冬のさいはてを走る北海道路線バス
音威子府から枝幸へ向かう道道。日没は急速に訪れる。
17時、「えさし号」は枝幸バスセンターに到着。この日の乗客は3人。


到着してすぐに行なわれるトイレ抜き作業。
氷点下のなかの洗車作業はきびしい。タオルはたちまち凍ってしまう。

1月、北国の日暮れはあっという間に訪れる。黄昏どきの余韻を感じることもなく、舞台劇の暗転のように、闇は深さを増しヘッドライトが投げかける光芒だけが頼りだ。計器やスイッチの照明すらまぶしさを感じさせる。

油断のならない凍てついた道道は下りにかかり、道の両側にあてどのない闇が続く。ときおりすれ違うのは枝幸町から歌登方面への家路をたどる通勤車だろう。氷点下20℃を割りこめば、道路表面の水分は完全に凍るからスタッドレスタイヤは威力を発揮する。滑る原因のひとつが路面上の水分であることを、北国のドライバーは経験的に知っている。

ようやく人家の灯がちらほらと見えてくる。しかし、アイヌ語のエサウシ(岬)を語源とする枝幸の町にも人通りはない。夕方というのに町はすでに夜の気配が濃い。風が強まり、地吹雪がますます激しさを増すなか、「えさし号」は正17時、定刻に枝幸ターミナルに到着した。 

3人の乗客を降ろすと、小雪が舞う中、バスは下水設備のある一角に移動し、トイレ抜きと呼ばれる作業に入る。係員が太いホースをつなぎ、汚物を吸い出す作業は鉄道の車両基地でもみられる。それが終わるとターミナル内を移動し、別のスタッフが給油作業に入る。軽油400ℓを入れるのには意外に時間がかかる。水銀灯に照らしだされた給油所に横付けされた「えさし号」の車体が吹雪にかすみ、作業は2回に分けて黙々と続けられる。

今井氏は運転手の制服から完全防寒着に着替える。渓流釣りに使うような下半身をすっぽり包むゴム製のブーツと防水キャップで身を固め、厳寒のなかでバスの洗車作業に取りかかる。

まずホースでボディに水をかける。タイヤハウスのなかは巻き上げた雪がガチガチに凍り付いているから温水スプレーの水圧で飛ばすのだが、それでも凍り付いて取り除けないときは氷塊を叩き落とさなければならない。冬場は泥汚れも半端ではない。ボディの汚れを水圧で落としていくと、水が跳ね返ってずぶ濡れになるからやっかいだ。気温は氷点下10℃に近く、一向に吹雪は弱らない。いつの間にか雪空は漆黒に塗り込められてきた。

水を噴射しながら長いボディを一周して汚れを落とすと、今度は長い柄のついた水切りとバスタオルで水気を拭き取っていく作業に移る。これが一番つらい。さいはての寒気は容赦がなく、水気を拭き取った窓に残った水滴がみるみる凍っていくと、今度は拭き取りバスタオルが凍ってきてバリバリに突っ張ってくる。バス車体の大きさ、窓の多さが恨めしく思える瞬間だろう。凍てつく300kmの道を運転したあとで、なおボディ洗車の重労働。車体洗いの専属職員が配置されている鉄道に較べて、長距離バス運転手の仕事は過酷である。

「冬場の洗車も大変ですが、夏になるとフロントガラスにびっしり虫の死骸がこびりつくのです。これは落とすのに時間がかかります。営業所に着いたら給油時にフロントガラスに洗剤水をかけて汚れを浮かせておくわけです。一度、深川でバッタの大群に遭ったときは前が見えないほどでした。走行中に虫の死骸が付いたときはワイパーは使えません。虫の油が広がってまったく前が見えなくなるので、がまんしてそのまま走るしかない。そういうときに雨が降ってくれると助かります」(今井氏)。

安全運行のためのきびしいアルコールチェック。

給油、点検、洗車を終えて翌朝の仕業にそなえる

宗谷バス札幌営業所に籍を置く今井氏が乗務するのは、札幌-枝幸(えさし号)、旭川-枝幸(えさし号)、旭川-鬼志別(天北号)の都市間バスである。この日は札幌-枝幸間の行程で、枝幸に一泊して翌日の枝幸ー札幌便を運転して札幌へ戻る。枝幸に着いた晩に翌日の準備を終わらせ、点呼を受けると枝幸の借り上げアパートに宿泊することになる。

宗谷バスは運転手のアルコールチェックにきびしい社内基準を設けている。道路交通法は呼気1ℓにつき0.25mg以上のアルコール分が検出された場合を酒気帯び運転としているが、宗谷バスはアルコールチェッカーに反応すれば乗務を認めていない。朝の点呼で0.01mgでもアルコール分が検出されれば乗務停止となり、たいていは運転手経験のある営業所所長や運行管理者が乗務を代行する。かつての国鉄のように、乗務員運用に予備組と呼ばれるピンチヒッターを常に用意しておく余裕は、現代のバス会社にはない。

令和4年11月2日付の朝日新聞に「蒸しパン食べてアルコール検知 市バス運転手を処分」の記事が掲載されている。

「市交通部によると、運転手は10月23日午前9時過ぎ、営業所に車で出勤。乗務前のアルコール検査で、呼気から、市の内規で定める基準値(1リットルあたり0・07ミリグラム)を超える0・11ミリグラムのアルコールが検知された。市交通部によると、この蒸しパンに含まれる「酒精」という食用に使われるアルコールが、検知器に反応した可能性が高いという。市交通部ではパンのほか、栄養ドリンク、うがい薬、キムチなどの発酵食品も、検知器で反応する可能性があるとして、乗務直前に食べないよう、営業所内で貼り紙をするなどして注意喚起していたという」。

1日1本、札幌に直通する「えさし号」は地域の貴重な交通手段だ。
前方に宗谷本線がみえるともうすぐ音威子府
朝8時の音威子府駅(交通センター)。鬼志別発旭川行きの「天北号」(右)と札幌行きの「えさし号」が接続し、目的地によって乗換えが可能だ。

音威子府駅は道北バス交通のジャンクション

枝幸発札幌行き上り「えさし号」の発車は午前7時。今井氏は6時15分に出社し、さっそく始業点検を行なう。タイヤを点検してエンジンを始動、バスを引き出し、プレヒーターによる冷却水の予熱、車内点検など忙しく立ち回り、300kmを走るバスの完調を確認する。点呼でアルコールチェックを受け、天候、道路状況などを確認するうち乗客がターミナルに集まってくる時刻になる。

明けきらぬ雪空の下、定刻、ターミナルを発車した「えさし号」は枝幸町内の新港町、商工団地前で男性客を乗せる。一晩中降り続いた雪で町内もかなりの積雪だ。樋口前を過ぎたところで右折、オホーツク海を背後に道道12号を歌登に向かう。路面は圧雪状態。不快な微振動もなく、時おり氷塊を踏みしだく小さな衝撃が伝わるばかりだ。「えさし号」は真っ白な雪に覆われた緩い勾配を力強く登っていく。枝幸から音威子府までおよそ50km。ダイヤではこの区間を1時間5分で走ることになっているから、雪道を知り尽くしたベテランドライバーでなくては務まらない。

7時57分、音威子府に着くと駅前に濃紺の宗谷バスが停まっている。稚内と浜頓別の中間地点、鬼志別を朝6時5分に発車した旭川行きの「天北号」である。上り便に限り、「えさし号」と「天北号」は音威子府で接続を取り、乗り換えを可能にしている。音威子府から、美深を経由して札幌へ直通する「えさし号」に対して「天北号」は名寄、士別で客扱いをするから、枝幸から高度医療を受けられる名寄市立病院に行くには音威子府で「天北号」に乗り換えればいいし、鬼志別、浜頓別から札幌に向かうなら「天北号」から「えさし号」に乗り継げばいい。毎朝8時に2台の都市間バスが接続する音威子府は、交通ターミナルの面目躍如である。この朝も何人かの乗客が乗り換えのためそそくさと旭川行きのバスに乗り込んでいった。「えさし号」の乗客は音威子府から乗ってきた数人を加えて10人余。札幌へ行く人、札幌へ帰る人、こもごも旅人の思いを乗せて8時10分の発車を待っている。

鬼志別ー旭川間を走る「天北号」のダイヤは、令和6年4月から実施された「自動車運転者の労働時間等の改善のための新基準」、いわゆる2024問題の影響を受けた。1日の休息期間が従来の「継続8時間から、継続11時間を基本として9時間下限」に変わったことで、折り返し乗務に従事するバス運転手が大きな制約を受けることになった。

  旭川-鬼志別間の「天北号」のダイヤは下記のとおりだ。

● 旭川15:30→名寄市立病院17:35→音威子府18:40→鬼志別20:28

● 鬼志別6:05→音威子府8:05→名寄市立病院9:00→旭川11:10

「天北号」を運転して鬼志別に20時28分に到着した運転手は、翌日6時5分発に旭川行き「天北号」に乗務して鬼志別を発車する。このダイヤでは規定の休息期間9時間に対する余裕は、わずか32分しかないことになる。終業点検や点呼、翌朝の車両検査や始業点呼などに要する運転外の時間を考えると、実際の休息期間は規定の9時間ぎりぎりである。223kmを走る「天北号」は、冬場の悪天候や高速の通行止めとそれにともなう迂回などでまま遅れることがある。仮に30分遅れて鬼志別到着が21時になれば、翌朝の発車を少なくとも30分は遅らせなければならなくなる。休息期間9時間の壁が定時運行を旨とするバス会社の前に大きく立ちはだかる格好だ。折り返し時間に余裕を持たせるため、宗谷バスは旭川行きの鬼志別発車を1時間繰り下げる案を検討したが、名寄市立病院の到着が10時になってしまうことから時刻改正を見送った。鬼志別、浜頓別、枝幸などから高度医療設備を備える名寄市立病院に通う乗客は意外に多いのである。結局、繰り下げ時間を30分とする苦肉の策で現在も運行を続けている。

天候回復。バスは一路札幌へ

道央道も路面凍結による速度規制50km/h
美深町を走る名士バス(名寄、士別)は住民の貴重な足
砂川サービスエリアで15分停車の「えさし号」。
今日も「えさし号」は定時に札幌駅前に到着。

定刻8時5分、ひと足先に「天北号」が旭川に向けて発車していく。道北から内地へ向かうなら新千歳空港より旭川空港を利用する方が便利だ。旭川駅前で連絡バスに乗り換えれば、空港まで30分もかからない。冬でも道内の空港のなかで、内陸の帯広と並んで旭川空港はトップクラスの就航率を誇っている。ちなみにもっとも欠航が多いのは稚内空港で冬は就航率が50%を切っている。

8時10分、札幌行きの「えさし号」は5分遅れで発車。気温は氷点下10℃。いつの間にか風はやんで雪も小降りになってきた。「えさし号」はサロベツの丘陵を越え、見渡す限りの雪平原を突っ切り国道40号を南下していく。

前方に雪まみれの路線バスが現われ、しばらく雁行を余儀なくされる。恩根内-美深-名寄駅前を結ぶ名士バスは1日8往復。所要時間はおよそ1時間だ。美深付近から名寄市立病院に通院する住民にとって欠かせない足であり、恩根内を7時に出る始発バスは通院の乗客で混雑するほどだという。名寄市の北方、内淵には陸上自衛隊名寄駐屯地があり、かつては名寄駅前から直通バスが運行されていたし、現在でも名士バスの車内には自衛官募集広告が掲示されている。

街中、いたるところで除雪作業が行なわれている名寄、士別を通り抜け、士別剣淵から道央自動車道に乗る。インターチェンジに「日本最北の料金所」のサイン。車内に貼られている北門神社の交通安全札には「日本最北の神社」の文字がある。

吹雪もおさまり、風も止んだ。空も明るさを増している。バスは石狩平野の真っ只中を西進し札幌を目指す。岩見沢、江別、野幌。石狩湾から吹き込む雪雲が豪雪をもたらすこの地域も今日はおだやかな天候に恵まれている。

12時35分、「えさし号」は札幌駅前に到着した。枝幸、浜頓別、鬼志別と200万人都市・札幌を結ぶ1日1本のスジは今日も守られたのである。

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