ヤマハが描く二分した電動アシスト自転車への「架け橋」
世界初の電動アシスト自転車を発明したのはヤマハだ。幼稚園や保育園に迎えに行った子どもを乗せ、帰りに買った夕飯のおかずや牛乳を積んでも、坂道を楽に上がることができるのはヤマハのおかげなのだ。1993年に発売した「PAS」は、それまでの自転車の概念を大きく塗り替え、今日の電動アシスト自転車市場の礎を築いていった。

電動アシスト自転車の実用部分の裾野をPASで広げていきながら、本気で遊ぶことが大好きなヤマハは、オフロードからマウンテンまで幅広く遊べるYPJシリーズをリリースするなど、違った方向へも拡大していく。そうして30年以上が経過した現在、同社はその市場に新たな課題を見据えている。実用のPASシリーズと、スポーツのYPJシリーズとの間に、大きな谷が存在していたのだ。

「価格帯においても主要用途においても、両者は大きく離れています。PASが20万円以下で買えるのに対し、YPJシリーズは30万円後半から70万円まで。市場のボリュームがどうしても偏ってしまっていたのです」と久保田さんは語る。

さらに、もうひとつ見えてきたことは、電動アシスト自転車と非電動アシスト自転車のあいだに「見えない壁」が存在していることだ。コアな自転車愛好家にとって電動アシスト自転車は「無関係なもの」に映りがちで、逆に電動を選ぶユーザーは自転車趣味の世界には踏み込みにくい。実用とスポーツ、日常と非日常、人力と電動——これらを隔てる境界線をどう結ぶか。それらの問題を解決する方法を模索する、それが今回のプロジェクトの始まりだった。

ヤマハ発動機にキャリア転職し今年で3年目の久保田さんがこのプロジェクトに手を挙げたのは2024年半ばのこと。前職はマーケティングリサーチ会社で、クライアントの調査課題に対してリポートを納品する仕事をしていた。しかし、分析した結果「世の中に必要だ」とわかったものを形にするところまでは関われない。その歯がゆさからヤマハ発動機へと転職。PASの商品企画担当となった。
前職での経験も活かし調査すると、PASの置かれる電動アシストの実用車市場は成熟しきっており、コスパ競争が激化している。一方のYPJはヨーロッパやアメリカではeバイクとして大きく市場が広がっているが、日本では導入から10年が経つにもかかわらず、欧米ほどの普及には至っていない。「新しい領域を開拓できるようなものが必要なんじゃないか」というムードの中で、ちょうど社内のコンセプト検証グループとの連携もあり、その活動とともに「eバイクで新しいものを作っていこう」と外部デザイナーも交えたワークショップを重ねた。そうして、ひとつの方向性を見出していった。
きっかけのひとつは、それまで足を運んだことのなかったイベントへの参加だった。「バイクロア」(現在は「バイクランド」に改称)では、峠道やダウンヒルを本気で走って楽しむ自転車とは違った世界が広がっていた。ストリートカジュアルな服装で、ピスト、マウンテン、グラベルなど多種多様な自転車を持ち込み、ゆるいレースをしながら音楽やキャンプを楽しむ。ペットと一緒に自転車で走ったり、カメラやラジコンまで持ち込む者もいて、多様なカルチャーが交差する場だった。


コンセプトが明確だったからこそ、モビリティショー展示車の開発は迷いなく進んだ
「こんな世界があるんだということを肌で感じた。勢いもすごく感じていた」と久保田さんは振り返る。
自転車の世界では今、スペックやパフォーマンスを追い求めるのではなく、原点回帰の流れが起きているという。ちょうど自動車やモーターサイクルでも旧車がもてはやされているように、黎明期のマウンテンバイクのパーツを集め、レストアしつつ愛でる文化や、4輪で言えば空冷ポルシェを最新の技術で究極のポルシェを目指す「Singer(シンガー)」に代表されるレストモッドのような世界もある。グラベルバイク、カーゴバイクなど、スタイルを自由に楽しむ層が拡大し、かつてのサブカルチャーがメインカルチャーへと移行するような時代の変化を、非電動アシスト自転車の世界で感じた。しかし、電動アシスト自転車の世界では、カスタムの文化はまだほとんど根付いていない。そこにこそ、未開拓の可能性があると久保田さんは確信した。

電動アシスト自転車の新しい世界が「カスタムのベース車両」というコンセプトとして固まってきたころ、ジャパンモビリティショー2025への出展チャンスがありエントリーした。久保田さんらから技術・研究・デザイン本部 プロダクトデザイン部 EV&SPVグループの寳田さん、宮本さんに声がかかったのは、2025年の春頃のこと。製品化検討の俎上に上げる前段階として2025年10月のモビリティショー出展のコンセプトモデルを設計、試作するまで、時間的余裕はほとんどなかった。
「滑り込みの中の滑り込みみたいな感じ」と寳田さんは思い起こして苦笑する。しかし時間が無いながらも、コンセプトが明確であった。マーケティングのプロが積み上げたバックグラウンドがあり、「あれもこれも」ではなく、きちんと整理されていたがことが功を奏した。

こうしてカスタマイズベースの電動アシスト自転車「Y-00B:Base」誕生へと繋がっていくのである。
ヤマハ・プロダクトデザインの5つの哲学とは?
Y-00B:Baseのデザインには、ヤマハ発動機のプロダクトデザイン哲学を規定する「動感・対置・情感・機能美・品格」の5要素が貫かれている。

最小限のバッテリーを搭載した軽快な外観のデュアルツインフレームで動感を表現。その繊細で流麗な鉄フレームの構造と、メカニカルで力強い電動システムという背反する要素の共存を対置。ドライブユニットのヒートシンクをあえて露出させ、往年の空冷エンジンのような佇まいを演出し情感に訴える。トラス構造のトップチューブや巻き付け構造のシートバインダーは機能美に溢れ、ミニマルなバッテリーインジケーターやスイッチボックスなどHMI(ヒューマンマシンインターフェース)は品格ある佇まいとした。

特徴的なフレームは、ヤマハ発動機eバイクのフラッグシップ「YPJ-MT Pro」で採用されたデュアルツインフレームと同様の構造で、トップチューブとダウンチューブがそれぞれ2本の計4本のトラス構造で構成され、ダウンチューブの左右のフレームの間にバッテリーを挟み込む。特許取得されているこのフレーム構造は、オートバイのクレードルフレームでエンジンを抱え込むという着眼点だ。「一般の自転車メーカーとは違う、オートバイメーカーのヤマハだからこその発想、差別化でもあります」と寳田さんは説明する。









最大の技術的難題はバッテリーの小型化だった。今回はプロトタイプであるものの、『実現可能』を前提にイチから考えて作っていった。
「バッテリーが大きくて重くなると、見た目だけでなく使い勝手も損なわれる。でも嘘はつけない。ちゃんと実現可能な形でなければ意味がない」とプロジェクトチームはバッテリー関連開発者と膝を突き合わせ、セル配列から見直した。新たに逆T字断面で設計した着脱式バッテリーは、ツインチューブフレームの間に下から挿入する構造で、立ち目線からは殆ど見えない。容量はYPJ-MT Proの約半分だが、取り外し可能とし、そのバッテリーをカフェに持ち込み、スマホのようにUSB Type-Cで充電できる。「ガレージで充電するのが前提の海外仕様では意味がない。大都市圏のユーザーが使うことを考えると、バッテリーに施錠できること、取り外して手軽に充電できることは絶対に譲れない条件だった」と寳田さん。
ちなみに、YPJシリーズの市販型は、ユーザーの身長に合わせ2種類のサイズを用意することが多いが、今回は小さなサイズを前提でバッテリー搭載を検討した。大きなフレームへの転用の際は容易に搭載可能となるためで、ここからもお祭に用意した『夢のコンセプトモデル』ではなく『製品化が可能かを見極めるプロトタイプ』であることが伺い知れる。

仕上げを担当したのが、CMFG(カラー・マテリアル・フィニッシュ・グラフィック)パーツ選定担当の宮本大暉さんだ。Y-00B:Baseは塗装を施さず、素材本来の色味や質感、溶接による焼き色をそのまま残し、あえて無骨さや無機質さを残すことでベース車両としての余白を強調するカラーデザインとしている。「これはあくまでベース車両なんです。この車両をもとに個人の好みに応じてパーソナライズしていくイメージです。」また、アッセンブルされているパーツに関してもすべて市販されているものが使用されおり、同一の規格であれば取り換えなども可能だと宮本さんは言う。
愛好家以外のエントリー層にも十分な手応え
その名の通りY-00B Baseをもとに、カスタマイズの例のひとつを示したのが「Bricolage(ブリコラージュ)」だ。

ブリコラージュは、ヤマハ発動機創業70周年の節目に合わせ、同社初の製品であるオートバイ「YA-1」をオマージュしした。黒一辺倒だったオートバイ黎明期に、『赤トンボ』の愛称で親しまれた赤栗色に近いレッド系カラーを纏わせ、当時としては画期的な白系部分も思わせるホワイトパーツもコーディネートした。YA-1が体現した「2輪メーカー最後発であるヤマハの挑戦」を、新ジャンルへ打って出ることと重ね合わせたのだ。

宮本さんは2025年5月にキャリア入社し、このプロジェクトが初の仕事となった。以前は国内自転車メーカにて4年間デザイナーとして働いたが、2023年のモビリティショーでヤマハブースを訪れ、同社の取り扱う商材の幅広さやプロダクトに対する思いに触れ興味を持った。「これまでの経験や知識を活かしながら、新しいことに挑戦してキャリアを広げるには、自転車もバイクも手がけるヤマハしかない」と転職を決意した。







ジャパンモビリティショーではアンケートも実施し、自転車愛好家層だけでなく、これまであまり自転車に乗ったことがないエントリー層からも「これなら乗りたい」という声が寄せられた。モビリティショーへの展示の後、いよいよこれらのターゲットそのものと言えるカスタマイズ層、自転車マニアたちも集まるバイクランドへの出展も実現させた。
「電動自転車には興味ないという反応があるんじゃないか、と覚悟していましたが、予想に反して『これなら乗ってみたい』という声が多かったです。市販のパーツを自由につけられる自由度があるというコンセプトが、まさにその方々に伝わったと思います。ニッチな層だけでは台数規模が見込みにくいかもしれないが、裾野の広い層にも受け入れられる可能性が見えてきました」と久保田さんは手応えを実感している。コンセプトを可視化しただけでなく、モビリティショーへ出展できた意義は大きかった。商品化の検討はこれからだが、チームは大きな自信を持った。
御神体ともいえる「YA-1」への挑戦も受け入れるヤマハらしさ
最後に、それぞれが感じるヤマハらしさとはなにかをお聞きした。
偶然にも、このプロジェクトを動かした3人は全員、キャリア採用による入社だ。マーケティングリサーチから来た久保田さん、海外の大手自転車メーカーでデザインを経験し、ヤマハで2輪デザインを手掛けてきた寳田さん、国内自転車メーカーからやってきた宮本さん——それぞれのキャリアが重ね合わさりこのプロジェクトが形になった。
「自分たちが新しいものを生み出していくんだという気持ちをすごく強く感じます。デザインでも型にはまったものではなく、必ず新しい要素を組み込もうとする姿勢が社内に溢れていて、想像していた以上に挑戦することに対して貪欲です。」(宮本さん)
「新規開拓領域でも、やりたいと言えばそれを後押ししてくれます。各部門のプロフェッショナルが高い専門性とクリエイティビティを持ち寄ってくれるから、今回の私の漠然としたアイデアもきちんとした形になっていきました。そうした後押しのある環境がすごく整っていて、おかげで今回、やりがいと楽しさを感じました。」(久保田さん)
「YA-1はある意味、”御神体”のようなものなので、オマージュにするということ自体が許されないのではと懸念の声もあるなか、怒られる覚悟でその意図を説明したところ、以外にも首脳陣からも後押ししてくれました!
当社は『鍛錬の娯楽化』を唱えています。社長も含めブランドを理解するうえで、プライベートの時間も本気で遊び、PDCAサイクルを回して体得できる工夫を大切にしています。もしその探求の過程で失敗や怪我をしたとしても、次に繋がる糧や教訓、課題が得られるとして奨励してもらえる社風があります。だからゼロからイチへの挑戦ができるんです!
その上で、自転車でもモーターサイクルに準ずるポリシーで調律するところもあり、各部門の専門性を超えた、各々が乗り手としての知見や経験を持ち寄り、人機一体になるまで徹底的にやる。それがヤマハらしさでもあり、大好きな部分です。」(寳田さん)

皆、他社を経験してきたからこそ、その文化の希少さが良く見えるようだ。
電動アシスト自転車を開発した会社が、その市場に対し自ら問い直し、ジャンルの壁を越える「架け橋」となるモデルを探り始めた。Bricolageというフランス語は「DIY」や「手近にあるものを組み合わせて作る」という意味を持つが、その言葉通り、オートバイ作りで培った哲学のもと、多様化するカルチャーに対応し、3人の異なる経験を用い、周囲をも巻き込みつつ、まずは手作りで力を合わせ電動アシスト自転車の新ジャンルを世に送り出した。このまま製品化されるかは未知数ながら、その挑戦は必ず次のモビリティに生かされていくこととなる。その繰り返しこそがヤマハそのものであったし、これからもそれは続いていくに違いないだろう。

