
昭和30年(1955年)、終戦から10年を経た日本は戦後の傷跡を癒し、復興に向けて歩み始めていた時代でした。この年、トヨタが発表した初代クラウン(トヨペット・クラウン)は、日本初の本格的な量産乗用車として、歴史的な一歩を刻みました。高度経済成長が始まりかけていたこの時期、街角には街頭テレビが並び、庶民はプロレスや力道山の活躍に熱狂していました。一方で、家庭には洗濯機、冷蔵庫、テレビの“三種の神器”が夢の象徴として広まり始めていた頃でした。

そんな中で登場したクラウンは、アメリカ車のノックダウン生産に頼ることなく、設計から生産までを日本人の手で完結させた、いわば“純国産”の誇りを示す車でした。クラウンは、日本の工業技術の自立を宣言する存在となり、その先進的な設計として、セミモノコック構造やトーションバー式フロントサスペンションなどが採用されました。重厚感のあるフォルムと相まって、クラウンは官公庁やタクシー業界を中心に広く普及し、日本における高級セダンの概念を確立しました。

名前の“クラウン(王冠)”が象徴する通り、これは単なる車ではなく、敗戦から立ち上がろうとする日本の“誇り”そのものであり、やがてトヨタが“世界のトヨタ”へと成長していく礎となった記念碑的なモデルだったのです。


