アドバンスグループから生まれたオリジナル原案
時代の名車探訪・初代セリカも第6章。
今回はセリカのエクステリアデザインを述べていく。
果たしてデザイン素人の奴が、うまくデザイン語りができるのかどうか。
お読み苦しい点がございましたら、どうか他の記事なりサイトなりに飛んでくださいませ。
セリカは既存のセダンから派生したクーペではなく、生まれながらのクーペコンセプトである旨をこれまで何度となく書いてきた。
トヨタ2000GTやフェアレディZのよう本格派スポーツだと気構えるし、かといってセダン派生の2ドアクーペではどこか生活臭がついてまわる。
若いひとにも買える、専用ボディをまとう新しいコンセプトの2ドアクーペはできないか・・・
そんな思いがあったからかどうかわからないが、セリカは、思想そのものが新しいクルマだけに、そのエクステリアデザインも通常とは異なるプロセスで生まれている。
通常、新型車企画は、サイズはこれくらい、エンジンはどれくらいで性能はこう、デザインはこのようにといったものを決定した上で進められるが、ことセリカデザインに関しては、トヨタのデザイン部の中の、セリカ開発着手時点で発足間もないアドバンスグループが手がけた。
諸元も去ることながら、初代セリカに限っては(?)、デザインが先行したのである。
いま、技術にしてもデザインにしても、どこのメーカーにも先行開発といったグループがあるが、このときのトヨタデザイン部のアドバンスグループは、先行デザイン開発の走りかも知れない。
モーターショーのコンセプトモデルに見られるように、先行デザインは、実現性や量産化、実用性などを考慮せず、まずはイメージありきでデザイン開発を行う。
他メーカーの話だが、タイヤなんかない発想だってあたり前に行なう場合もある。造形する側にとってはエンジンなんか邪魔で、「クルマにエンジンなんかなきゃいいのに」という人もいるくらいだ。
エンジンばかりか、先行デザインを考えるデザイナーにとっては、たぶん保安基準なんぞくそくらえで、ワイパーだってバックミラーだってじゃまっ気だろう。灯火の配光特性なんて何のその、ライトなんてデザイン演出のひとつに過ぎない(たぶん)。
そのアドバンスグループが手がけたスケッチなりスケールモデルなりを経て実車になったセリカ(といっても、この時点で「セリカ」名はまだないはずだが)は、実は異例のクルマなのだ。
アドバンスグループ案8点
当時のアドバンスグループが描いた先行イメージスケッチがこれらだ。
勝手にA、B、C・・・と付与して話を進めていく。

実際には無数のスケッチが描かれたはずだが、ここに掲げられるのはサイド視8点。
いずれも当時流行していた(?)ロングノーズである点が共通している。そしてキャビンは前席優先で最小限、リヤオーバーハングを極力短くしていることも共通点に挙げていいだろう。
実際のセリカは独立したトランクを持つノッチバックで登場したが、スケッチ段階では当然ノッチ付きに限定せず、自由に発想している。
サイド視だから推測でしかないが、A~D案はどうやらガラスごと持ち上がるハッチバックを志向しているようだ。AとC、Dはルーフをなだらかに延長したハッチであるいっぽう、Bはむしろ初代ミラージュのような2ドアハッチバック風であり、当時にとっての未来派シティコミューターの趣がある。





E~Hはまた違う枠組みの発想に見える。
EとFはやはりルーフからリヤが連なっているが、開くのは下半分だけで独立したトランクを想定したのではないか。そうと決めてかかると、何ものにも似ていないE案はともかく、Fのサイドガラスのシルエットとリヤボディなんて、「これを没にこのままするのはもったいない」とばかり、そのモチーフが後年のパブリカスターレットクーペに活かされたのではないかと想像すると楽しい。




この中にあって、明らかに独立したノッチを持っているのはGとHだ。
Gなんてこの8つのスケッチの中でキャビン~リヤボディにかけての造形が一番生産型に近く、ノッチ付き2ドアという点で2ドアセダンと同じなのに、生活臭は一切感じられない。

異質なのはHだ。唯一セダン派生の2ドアセダンに見える。
作者には悪いが「何でこれが?」といいたくなるサイドビューで、若者のスポーツ心をつかむにはほど遠い形をしている。逆にこの姿から4ドアセダンを生み出すことができそうですらある。

とここまで書けば、選ばれたのはG案で、スケールモデルに進展していったと思うだろうが、意外や意外、このアドバンスグループスケッチの中から採択されたのは、さきほど何ものにも似ていないと書いたE案。
当時アドバンスグループに配属されていた藤田昌雄さんの作だった。
そしてこのスケッチは、もともとは下のように描かれていたものだ。

後の生産型セリカに対し、リヤピラーからトランクにかけての流れがなだらかで、ノッチが明確でないからこれがセリカの原案とは思わなかった。しかしよく見ればフェンダー先のくの字や、くの字の折れ点から始まるキャラクターライン、そしてそのラインのリヤフェンダー上でのうねりも生産型に続いている。目を凝らせば、リヤサイドガラスの輪郭は、G案のほうが生産型に近いが、すぐ後ろの縁取っているところは生産型に活かされている。
選ばれた藤田案が次に進んで製作されたスケールモデルの第1段階がこれだ。
たぶん縮尺はたぶん1/6ぐらいだろう。


スケッチからスケールモデルに移行するとき、モデラーの腕にもよるのだろうが、たいていはどこか矛盾が生じ(?)、スケッチほど斬新でなかったり、スケッチの特徴が必ずしも立体化できなかったりするものだが、このスケールモデルはスケッチを忠実に再現したように思える。
前フェンダー先が空気を切り裂くような鋭いエッジ、さきのサーフィンラインよろしくプレスラインのリヤフェンダーでのうねり、サイドガラスの輪郭やリヤボディのなだらかさなど、スケッチどおりに立体化しているし、フード脇のフェンダー折れ線がフロントドアに差し掛かったとたんに、まるで彗星のしっぽのごとくスッと消えているところなんてうまい。
素人でもわかる相違点といえば、スケッチではホイールアーチが前は上部がフラットだったのがスケールモデルでは通常どおり円弧を描くようになっていること、後ろでは後輪とラップしていたのがいくらか緩和されていることくらいだ。
スケールリヤモデル向こうに見える斜めフロントスケッチからわかるように、フロントランプはもともと異形2灯ランプで考えていたようだ。スケールではグリルがないので、昔の暴走族の改造車を思わせて怖いし、スケッチで見ても改造車みたいだが、生産型で丸目4灯になったのは、怖い顔を緩和するための変更かも知れない。
リヤスタイルも生産型からほど遠い。
国産車に於いて、造り手や自動車メディアは、デザインにしても性能にしても、何かといえばヨーロッパ勢と比べたがるが、私の見解では、この頃の国産車デザインはアメリカに憧れを抱いていたように思えてならない。
ウエストラインのうねり=コークボトルラインや、トランクが下がったローデッキデザインもアメリカ発祥で、当時のカローラやサニー、セドリック/グロリアなんて顕著な例だと思う。





藤田モデルも思いっきりトランクを下げたから、ランプの収まるバンパーとのすき間なんてもはやスリットだ。そのスリットに細いランプを押し込んでいるが、さすがにナンバープレートはサイズが変えられないのでバンパーが譲歩し、受け皿形状になっている。
この藤田モデルがさらなるブラッシュアップを受け、1/1化したモデルがこれだ。


対抗する量産デザイングループ案
ところで当時のモーターファンでは、このセリカは採用されたアドバンスデザインに生産要件が織り込まれ、そのまま市販化したような記述があるが、実際には藤田案に対する別チームとのコンペも行なわれている。
ここまでは藤田さんの属するアドバンスグループ(リーダーは不明)の話だったが、対抗案を手掛けたのは、後のトヨタの東京デザインセンター長を務めることになる畔柳俊雄さんのグループだ。そのグループのひとり、内田邦博さんの案が畔柳グループの中で残り、藤田案への対抗モデルになった。
内田案のスケッチはないが、1/1原寸大対抗モデルの写真があるのでお見せしよう。





・・・・・・・・・。
この内田案の斜め前、斜め後ろを見ると、これはこれで生産型セリカに近い。前後ガラスの傾斜角や、リヤピラーからトランクへのつながりなど、その後のセリカそのものである。
仔細に見れば内田案の丸目2灯フロント顔は2代目カローラを彷彿させるし、真後ろはテールとバンパー、ナンバープレートの配列はのちのセリカと同じものの、クジラクラウンの雰囲気がある。サイドガラスの輪郭も生産型によく似ているが、リヤサイドガラスは内田案の方が大きい・・・実際のセリカより格が上に感じられ、カローラフェイスのフロントを除き、全体的に重厚感が漂う。
もうひとつ、畔柳さんの案1/1モデルもあるのでお見せする。


畔柳グループの意欲作・内田案だったが、結論をいうと、内田案は藤田案に敗れ、藤田案が承認を受けて量産化に向けてのリファインが進められていくことになる。
そしてそのリファインは、出どころのアドバンスグループからバトンタッチされた畔柳チームが手がけることになった。
ここから先は通常のモデルチェンジと同じになる。市販化に向けての量産化作業なら、市場と無縁であるべきアドバンスグループでなく、通常のデザイン部の手で行なうのが自然な流れだ。
畔柳さんや内田さんに他のメンバー(もかかわったはずだ)の他、手離れしている藤田さんもアドバイスしながらブラッシュアップされたのが、私たちが知る初代セリカなのである。
ここに掲げた藤田案、内田案、畔柳案を見てから初代セリカを見ると、アドバンスグループ発祥の藤田モデルが単独で進められたのではなく、リファインを手掛けた内田さん、畔柳さんのモデルのエッセンスが融合したのが量産セリカデザインに思える。
特に、さきに少し触れた畔柳案。
内田案に重厚感が漂うのに対し、畔柳案で際立つのはのびやかさだ。軽快感もある。このふたつの要素が藤田案のリファインに加味されたようにも見えるのだ。
量産手直しの最中に生まれたEX-I
ここで少しだけお話を第1章の概要編に戻し、第16回東京モーターショー1969に展示されたコンセプトモデル「EX-I」を再びお見せしよう。
このEX-Iは、量産モデルがおおかた見えてきた段階で製作されている。


EX-Iには、セリカ量産に向けてブラッシュアップされていったデザインのエッセンスが与えられている。
空気を切り裂くかのようなアロー型をなしたフェンダー先端、フード長さを誇張するまでに延ばした先の透明のアクリル素材はショーモデルのための演出だろう。消えたのが量産へのリファイン時点と思われる、藤田モデル初期スケッチ&縮小モデルでの異形ライトはEX-Iに活かされた。そのライトがフード、フェンダー、バンパー(?)がぐるりと囲んだ奥に置いてあるところなどはリファイン中のセリカからの移植だろう。
全体の印象は量産セリカからかけ離れた風体をなしているが、ところどころ、量産セリカのエッセンスが活かされていることからしても、そして1970年発売予定のクルマの生産準備が1969年におおかた済んでいないはずはない=量産デザイン決定済みであることからしても、筆者が第1回で、「ショーモデルEX-Iの好評がセリカ実現に結びついたのではなく、この時点で新しいスペシャルティクーペを予告するエクスペリメンタルモデル」と書いた理由がおわかりだろう。
というわけで、セリカデザイン誕生のプロセス解説はここまで。
次回は初代セリカで忘れちゃいけない、もうひとつの話をテーマにする。
ではまた次回。
【撮影車スペック】
トヨタセリカ 1600 GT(TA22-MQ型・1970(昭和45)年型のレストア車・5段MT)
●全長×全幅×全高:4165×1600×1310mm ●ホイールベース:2425mm ●トレッド前/後:1280/1285mm ●最低地上高:175mm ●車両重量:940kg ●乗車定員:5名 ●最高速度:190km/h ●最小回転半径:4.8m ●タイヤサイズ:6.45H-13-4PR ●エンジン:2T-G型(水冷直列4気筒DOHC・縦置き) ●総排気量:1588cc ●ボア×ストローク:85.0×70.0mm ●圧縮比:9.8 ●最高出力:115ps/6400rpm ●最大トルク:14.5kgm/5200rpm ●燃料供給装置:ソレックス型ツインキャブレター ●燃料タンク容量:50L(プレミアム) ●サスペンション 前/後:マクファーソンストラット式コイルスプリング/4リンク・ラテラルロッド付コイルスプリング ●ブレーキ 前/後:ディスク/リーディングトレーリング ●車両本体価格:87万5000円(当時・東京店頭渡し価格)
