スバルのクルマづくりの原点となったスバル360

富士重工の起源は、戦時中に戦闘機とそのエンジンを作っていた中島飛行機である。終戦とともに飛行機の生産を停止し、一旦分割されたものの、1950年にその中枢が富士産業として再出発し、さらに1953年に航空機と新たな自動車開発のため、富士重工が設立された。

自動車開発のリーダー的な存在となったのが、中島飛行機出身の百瀬晋六氏だった。百瀬氏が、最初に手がけたのは当時としては珍しいモノコック構造のバス「ふじ号」だが、次に開発したのは1955年に政府が提唱した国民車構想に呼応する形で、1958年にデビューした「スバル360」だった。

スバル360は、フルモノコックボディやRRレイアウト、4輪独立サスペンションなど大胆な設計思想で、軽自動車として初めて4人乗車を実現。最高出力16ps/最大トルク3.0kgmを発揮する356ccの空冷2気筒エンジンをリアに横置きし、最高速度は83km/hを達成した。一般的なクルマが500kg程度ある車重を385kgまで軽量化するなど、随所に航空機づくりで培った高い技術が盛り込まれていた。

スバル360は、実用性の高さに加えて、キュートなスタイルから“てんとう虫”の愛称で親しまれて大ヒット。


デビューから10年間販売トップの座に君臨したスバル360は、日本独自の軽自動車市場を切り開くという重要な役目を果たした。
スバル360の高度なメカニズムを継承したサンバー
サンバーが誕生したのは、スバル360誕生の3年後1961年2月。開発の指揮を執ったのは、スバル360と同じく百瀬晋六氏である。

スバル360の商用車版と言われるように、多くの機構と部品が流用された。最初に軽トラックがデビューして、“スバル360の優れた性能を貨物車として最も合理的に実用化したスマートなデザイン、安定の良い丈夫な低床式荷台”を謳った。

具体的には、スバル360のシャシーと機構を流用した当時珍しかったキャブオーバータイプの商用車で、駆動方式はRRでホイールベースもスバル360と同じだった。サスペンションも流用され、フロントがトレーリング式、リアがスイングアクスルの4輪独立サスペンションが採用された。

パワートレインは、スバル360のエンジンをパワーアップした18ps/3.2kgmの356cc 2気筒空冷エンジンをリアに横置き。エンジン位置がスバル360よりリア側に搭載されたので、サンバーの方が静かだった。

同年9月には、ライトバンが追加され、サンバー人気はさらに沸騰した。バンの折り畳み機能を持つ後席スペースはスバル360より広く快適だったので、荷物を運ぶだけでなく、レジャー用として楽しめることも人気に拍車をかけた。

RRと4輪独立サスで特徴づけられるサンバーの魅力
サンバーが、なぜ当時の商用車としては先進的なキャブオーバーのRRレイアウトと4輪独立サスペンションを採用したのだろうか。もちろん、スバル360のメカニズムを流用すれば、開発リソース低減や開発期間の短縮ができることも大きな要因だが、何よりも商用車としてメリットを追求する狙いがあった。

当時の軽トラックやバンとしては、スズキの「スズライト・キャリイ」やダイハツ「ハイゼット」などがあったが、多くはフロントにエンジンを搭載したFRレイアウトだった。この場合、運転席の前にはボンネットがつくが、サンバーの場合は、リアにエンジンを搭載したRRなので、前輪の上が運転席となるキャブオーバーとなり、荷室や荷台を広く取ることができるのだ。

さらに、リアに重いエンジンがあるので坂道でもスリップが少なく、安定して走ることができるというメリットもある。また、商用車では贅沢な4輪独立サスペンションを採用していたので、しっかりとトラクションがかかり、乗り心地も優れ、何よりも荷台に載せた品物の損傷が少ないという商用車としては大きなメリットがあった。

またサンバーは、荷台のフロアを低くして積載性を高めるために、スバル360が採用したモノコック構造ではなく箱型断面のラダーフレームを採用した。荷台の広さに加えて、荷台のフロア面の地上高も350mmと最も低く抑えられていた。
いつしか農道のポルシェと呼ばれたサンバーの進化
サンバーは、RRレイアウトと4輪独立サスペンションの組み合わせを、生産終了の2012年まで一貫して頑なに堅持しながら進化したことから、いつしか“農道のポルシェ“と呼ばれるようになった。ただし、もう一つのポルシェの特徴である水平対向エンジンは採用しなかった。



1961年の発売後、1973年の3代目「ニューサンバー」で2サイクル2気筒エンジンは空冷から水冷になり、快適性が向上。1977年には、軽の新規格に対応してボディを拡大し、エンジン排気量を550ccにした水冷4ストロークの2気筒SOHCに換装。1980年には、軽トラック/バンとしては初のパートタイム4WDが搭載され、走破性に磨きがかけられた。

1982年の4代目では、好調だった4WDモデルにフルタイム4WDを追加。軽商用車として初採用した前輪ディスクブレーキも話題となった。1990年の5代目で、エンジンは550cc 2気筒から660cc直4エンジンに換装、さらに最高出力55psのスーパーチャージャー搭載モデルも追加された。1993年には、レトロ調の「サンバークラシック」が追加され、当時流行ったレトロブームの火付け役となった。


1999年に6代目に移行した後も引き続き堅調な販売を続けたが、スバルは軽自動車の自社生産からの撤退を決断。サンバーは、2012年2月に生産を終了し、51年続いたサンバーの自社生産は終了した。2012年の7代目からは、ダイハツ「ハイゼット」のOEMモデルとなり、サンバーの名は引き継がれた。

サンバーが誕生した1961年は、どんな年
1961年にはサンバーの他に、トヨタ「パブリカ」や日野自動車「コンテッサ900」などが発売された。日野自動車は、戦時中に軍用車を作っていたが、戦後はトラックやバスを生産し、一時期小型車事業にも進出していた。
パブリカは、1955年に政府が提唱した国民車構想に呼応して開発され、日本の小型大衆車の先陣を切って登場した。日野コンテッサは、当時ルノーとの製造・販売提携を結んでいたことから、メカニズムはルノー4CVをベースにして開発され、第1回日本GPでクラス優勝するなどモータースポーツでも活躍した。

その他、この年にはソ連が人類初の有人(搭乗は、ガガーリン飛行士)宇宙飛行に成功、横浜マリンタワーが開業した。また、明治製菓のマーブルチョコレートが30円で販売開始、ガソリン44円/L、ビール大瓶125円、コーヒー一杯62円、ラーメン48円、カレー112円、吉野家牛丼120円、アンパン12円の時代だった。
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RRレイアウトと4輪独立サスペンションという商用車として贅沢な仕様で長くユーザーの心を掴んだ「サンバー」。乗用の国民車としてヒットしたスバル360に続いて、商用の国民車にするというスバルの心意気がうかがえる、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

