目次
125ccのシティコミューター、東海道に挑む!
夜明け前から気合マックスで準備したのに、モタモタしてたら日本橋を走り出したのは午前10時。すっかり日が高くなってからの旅立ちになってしまった。
今回タカハシが乗っているのはヤマハ シグナスX。2021年冬に水冷をエンジン搭載した新型マシン、シグナスグリファスが登場したが、シンプルな空冷エンジンと車体の軽さでシグナスXは、通勤バイクとしてまだまだまだまだ!市民権を得ている。そして今回の舞台となる日本橋あたりの東海道は、誰もが知ってるとおり旧街道とは名ばかりの無機質なビル街の一角にすぎず、もちろん旅情のカケラもない。
栄えた街が失ったもの
おおまかにいえば東海道は、日本橋から京都へ向かう国道1号のことだ。だが旧東海道と現在の国道1号には、あちこちにズレがあるのも事実。人馬がゆるゆる行き交ったかつての街道を、大型トラックがぶっ飛ばす自動車道路に作り直したんだから、多少のルート変更があったとしても無理はない。
東海道川崎宿もそのひとつ。旧街道の宿場は、現在の国道1号と並行して走る国道15号側に2kmほどはずれたところにある。
市街地をダラダラ走るだけじゃ退屈だから、川崎宿の本陣(大名などが泊まった最高級の宿)、田中本陣跡に立ち寄った。かつて江戸の浮世絵師、安藤広重は、この川崎宿を東海道のイケてるスポットのひとつとして美しく描きだしている。
だが、200年近く経った現代の川崎宿はすっかり変わり果て、ごく控えめに行儀よく表現しても、せいぜい「無味乾燥でめっちゃつまらないただの道ばた」と化していた。
かつての宿場の面影は、川崎の町からきれいさっぱりデリートされている。商店街の片隅に取り残されたような石の道標が、かすかに往時のなごりを感じさせていた。
ろくに見るもののない川崎宿にがっかりして再び走り出したとたん、6つあるフューエルメーターの目盛りがひとつ減った。日本橋から25.3km地点のことだ。
ほどなく東海道は川崎市を抜け、横浜市に入った。フューエルメーターの目盛りはさらに減って残り4つに。
だいぶ暴力的なペースでガンガン激減りしてる気もするが、一目盛り減ったかと思うと、次の瞬間にはまたフラッと元に戻り、そのままけっこう走れたりもするから、メーターの表示なんて、けっこうアバウトな単なる目安だと思っておくほうがよさそうだ。
タカハシとシグナスXは、国道1号をひたすら西へ。途中でMのマークが目印の量産型ハンバーガーを胃に詰め込んだほかは、わき目もふらず走り続けた。
タカハシのミッションは、東海道を東京から京都までワンタンクのガソリンで走りきることだ。タカハシ的には別にやりたくもないし、そもそもたいていのバイクは京都に辿り着けないんじゃないかとも思うが、編集のモジャ山田ヒゲ男くんが、どうしても京都へ行け、そして早く原稿をあげろといって、夜ごと執拗に電話してくる(のがめっちゃ怖い)からやむを得ない。
が、さすがの鬼編集・モジャ山田くんだって、多少の寄り道なら見逃してくれるだろう。ちょっとズルをして国道1号を離れ、藤沢から南に折れて県道308号で海岸に出ることにした。
ここは湘南、オシャレ人類(←クソが!)の聖地
太陽がいくらか黄色っぽくなってきた16時、湘南・辻堂海岸にバイクを停めた。聞きなれた昭和の俗謡の一節のまま、たしかに江の島が遠くにボンヤリ寝ている。
自慢たらしく白い歯をキラキラさせたサーファーや、キャッキャウフフ系おしゃれ女子がそぞろ歩くこの海岸は、たそがれのAFOライダーには目を射るばかりに眩しい。今も昔もタカハシには金輪際まるっきり縁もゆかりもツテも思い出のカケラすらもない、サザンオ〇ルスターズ的世界観が一点突破全面展開するウルトラ異空間だ。
不愉快きわまるオシャレ海岸を後にしてさっさと西に向かう。平塚市街でみつけたビジホに入るとソッコーでシャワーを浴びてベッドにもぐりこんだ。
この日の走行は73.5km、フューエルメーターは残り3目盛りだった。