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[Day 2] 箱根を越えて
平塚を走り出したとき分厚い雲に覆われていた空は、大磯で青空に変わった。松並木を抜け、箱根の峠道に取りつく。まともなライディングウエアを持ってないので、とりあえず長袖ならいいだろうと、ぺらんぺらんのユニクロ的ダンガリーシャツを着てきたが、夏とはいっても朝の箱根は肌寒い。
箱根に入ると、一度は晴れた空がまたメソメソぐずり出し、箱根ジオパーク駐車場で雨宿りすることに。気づくとフューエルメーターの目盛りが2つ減り、4つになっていた。日本橋からの走行105km地点のことだ。
芦ノ湖めざして国道1号をさらに西へ。国道1号最高地点ではフューエルメーターの目盛りはさらに減り、残り3つになった。
峠に強いCT125ハンターカブは、雨上がりの箱根をパワフルに駆け上がる。さすがにエンジンはやや回しぎみだが、中低速トルクたっぷりだからブン回す必要はない。きつい上りのあとには必ず同じ標高差の下りがあることを思えば、多少のアップダウン程度なら、いちいち燃費を気にすることもなさそうだ。
幽霊船ぽい遊覧船がぷかぷか浮かぶ芦ノ湖に到着。湖畔のコンビニで買ったエナジーバーを缶コーヒーで流し込んで昼食をすませた。これなら食事なんてものはほぼ瞬時に済む。ツーリングライダーに限らず、なんらかの追手から逃走中の人、またはなんらかの敵と交戦中の人にも便利な時短テクなので、諸賢の中に犯罪者や軍人がいたら覚えておくといいだろう。
芦ノ湖から国道1号をさらに西へ。三島スカイウォークあたりでオドメーターは5300km、フューエルメーターは残り3目盛りになった。ガソリンの減りが早くなった気がするが、それが山坂道のせいなのか、ただのメーター表示の癖なのかよくわからない。
バイパスの迷路へ
静岡県富士市では、国道1号をわずかにはずれ、ちょっと寄り道。しばらくダートで遊ぶことに。ここらは古くから富士の見どころ「望嶽の地」として知られるが、晴れていたのに、なぜか富士だけに厚い雲がかかり、山頂を拝むことはできなかった。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」などと東海道の難所をうたったのは昔の話。原付&原二ライダーにとって、東海道最大の難所は国道1号周辺に張りめぐらされたバイパス群だ。
静岡県下の国道1号バイパスは、部分的に125cc以下通行禁止になっていて、うっかり進入すると、とんだ懲罰をくらう。しかも走れるかどうかは分岐直前に現れる標識を見るまでわからず、したくもない違反をさせられるケースもある。
バイパスを管理する静岡国道事務所は、いずれ改善すると言ってるが、いずれなんてケチなことはいわず、明日とか1時間後とか、なんなら今すぐこの瞬間からでも、スカッと全線通れるようにして、一刻も早く安全・円滑な交通の確保につとめてもらいたい。
静清バイパスにも125ccでは通れない区間があり、いやおうなしに静岡市街に降ろされた。フューエルメーターは、そこで早くも残り1目盛りに。これじゃもうガス欠するなとビビりながら走っていたが、いつの間にか持ち直し、気づくと残り2目盛りに戻っていた。メーターの表示は車体の姿勢によってずいぶん揺れ動くようだ。
静岡市葵区まで走ったところで目盛りは再び残り1つに。さらに静岡市を西に抜ける頃、ピコピコ点滅、いよいよガス欠警告が始まった。日本橋からの走行距離211km地点のことだ。
駿河路は猛暑と雨
真夏の日差しは焼け付くばかり、猛暑で頭がくらくらする。それだけなら我慢するが、スマホの画面が真っ黒に落ち、「高温のためやけどの危険があります。アプリの使用を中止し、充電はやめてください」とかいう恐ろしい表示が現れた。スマホのナビがないと、知らない道は走れない。
手近なハンバーガー屋に飛び込むと、乱暴なのは承知のうえで、チュンチュンに熱くなったスマホに水道水をじゃーじゃーかけて強制冷却。スマホの熱は落ち着いたが、このまま炎天下を走り続ければ、スマホどころかライダーまで危険にさらされる。立て続けにコーラをがぶ飲みし、乗員もきっちり冷却してからまた西へと走り出した。
静岡市の西のはずれ、丸子(まりこ)めざして走り出した直後、いきなり空が暗くなると、ばらばらと雨が降り出し、またたく間に視界もけむる本降りに。コンビニの軒先で雨宿りを強いられた。
雨上がりを待って走り出し、丸子へ。ここは東海道の宿場のひとつ、丁子屋というとろろ汁を食わせる店があり、江戸時代からの名物になっている。あわよくばそのとろろ汁でメシを済ませようと思っていたが、あいにく定休日だった。
間の宿に雨が降る
丸子からさらに西、旧街道へと分け入ると、宇津ノ谷の集落に行きあたる。東海道には、五十三次として知られる正規の宿場間に、「間の宿(あいのしゅく)」と呼ばれる非正規の宿場っぽい場所があり、旅人の不便をまかなっていた。この集落もその名残だ。
またも降り出した雨はみるみる強まり、ひなびた家々を暮色に染めてゆく。ここから東海道を西に進めば距離は稼げるが、あいにくこのルート上には、しばらく現代の宿がない。西に進むのはあきらめ、レインコートを着込むと、今夜の安宿を求めて静岡市街へ引き返した。