【アストンマーティンアーカイブ】ザガートとのコラボ「DB7ザガート」と「DB AR1」

V8ヴァンテージ・ザガート以来となるコラボモデル「DB7ザガート」と「DB AR1」【アストンマーティンアーカイブ】

ワイドでグラマラスなボディを持つ「DB7ザガート」。
ワイドでグラマラスなボディを持つ「DB7ザガート」。
好評を博した「DB7」だが、モデルライフが末期に近づくにつれ新鮮味、話題性に翳りが見えていた。そこでザガートに対し、V8ヴァンテージ以来となるコラボレーションを打診。ザガート伝統のダブルバブル・ルーフと、ワイドでグラマラスなボディをデザインした「DB7ザガート」と「DB AR1」が誕生した。

DB7 Zagato / DB AR1(1999-2003)

V8ヴァンテージ・ザガート以来のコラボ

当初は200台の限定生産と発表されたが、実際に販売された車両は99台。

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ワイドでグラマラスなボディを持つ「DB7ザガート」。

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インテリアに関してはザガート・エンボス加工が施されたアニリン・レザーシート、そしてリヤにラゲッジシェルフを備え、完全2シーターとした以外は、基本的にDB7を踏襲している。

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DB7ザガートのオープントップバージョンとなる「DB AR1(DB American Roadster 1)」。

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DB7ザガートのオープントップバージョンとなる「DB AR1(DB American Roadster 1)」。

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ザガート伝統のダブルバブル・ルーフと繋がる凝ったダブルバブルのリヤガラスを持つDB7より短く、ワイドでグラマラスなボディをデザイン。

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当初は200台の限定生産と発表されたが、実際に販売された車両は99台。

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DB7ザガートのオープントップバージョンとなる「DB AR1(DB American Roadster 1)」。

「より多くの人々にアストンマーティンを」というゴーントレットの意思を受け継ぎ、1994年に誕生した「DB7」は好評をもって受け入れられ、1999年に新設計のV12エンジンを搭載した「DB7ヴァンテージ」に進化することで、新生アストンマーティンの基礎を築き上げることに成功した。しかしながら、一方でそのモデルライフが末期に近づくにつれ新鮮味、話題性に翳りが見えているのもまた事実であった。

そんな折、2000年にアストンマーティンのCEO兼会長に就任したDr.ウルリッヒ・ベッツは、2001年に行われたペブルビーチ・コンクール・デレガンスの会場で会った、ザガートのアンドレア・ザガートに対し、V8ヴァンテージ・ザガート以来となる両社のコラボレーションを打診。それを受けザガートではチーフデザイナーの原田則彦が、DB7ヴァンテージ・ヴォランテのホイールベースを詰めたシャシーをベースにデザイン。ザガート伝統のダブルバブル・ルーフと繋がる凝ったダブルバブルのリヤガラスを持つDB7より短く、ワイドでグラマラスなボディをデザインした。一方、インテリアに関してはザガート・エンボス加工が施されたアニリン・レザーシート、そしてリヤにラゲッジシェルフを備え、完全2シーターとした以外は、基本的にDB7を踏襲している。

アストンマーティンでは、ザガートのデザインをベースにヘンリック・フィスカーが生産用にリファインし、“ジョージア”と呼ばれるプロトタイプを製作。メカニズム面ではDB7ヴァンテージ譲りのV12エンジンが441PSへとパワーアップされたほか、6速MTの採用、ファイナルギヤの変更のほか、アルミ製ウイッシュボーンや専用ショックアブソーバーの採用など、各部に改良が加えられた。

こうして「DB7ザガート」は2002年6月にロンドン・サヴィルロウにあるギーブス&ホークスで正式発表。その後ペブルビーチやパリ・ショーでも公開され、販売に移された。

販売された車両は99台

ザガート伝統のダブルバブル・ルーフと繋がる凝ったダブルバブルのリヤガラスを持つDB7より短く、ワイドでグラマラスなボディをデザイン。
ザガート伝統のダブルバブル・ルーフと繋がる凝ったダブルバブルのリヤガラスを持つ。

DB7ザガートの生産は、まずイギリスで作られたローリングシャシーがイタリアへと送られ、ミラノのザガートのファクトリーにおいてイタリアOPAC社でプレスされたアルミパネルを架装。塗装が施されたのちに再びブロッサムの工場に戻され、機関、内装などのアッセンブリーが行われるという工程で、1台あたり250時間をかけ製造された。ボディカラーはアクア・ヴェルデ、ザガート・ネロ、マーキュリー・グレーの3色が標準で用意されたが、多くがビスポークでオーダーされたという。

当初は200台の限定生産と発表されたDB7ザガートだが、実際に販売された車両は99台(そのほかに1台がアストンマーティンで保管されている)。しかしながら専用のショートホイールベースシャシーのホモロゲーションが取得できず、北米市場での販売は見送られた。その対策としてアストンマーティンでは、スタンダートの「DB7ヴァンテージ・ヴォランテ」をベースとした「DB AR1(DB American Roadster 1)」と呼ばれるDB7ザガートのオープントップバージョンを企画する。

簡易的なインテリアのレインカバーを装備

エンジンはDB7ヴァンテージ・ヴォランテと同じ426PSの5.9リッターV12ユニットで、5速タッチトロニックATを搭載。そのほかのメカニカルパートもベース車を踏襲していた。一方のボディは、ザガートの手によってオープン用にリデザインされたものであったが、幌やハードトップの設定はなく、簡易的なインテリアのレインカバーがあるのみであった。

DB AR1は2003年のロサンゼルス・ショーで発表。当初は、他のDB7シリーズと同様にブロッサムの工場で生産される予定だったが、ブロッサム工場が予定より早く閉鎖されたために、新たに設立されたゲイドン工場でDB9とともに2003年から生産がスタート。99台が販売されたが、アメリカだけでなく、8台がヨーロッパで、1台(唯一の右ハンドル仕様)がイギリスで販売されている。

実質的な後期型DB7として役割を果たすことになった「DB7 V12ヴァンテージ」。

V12エンジンを搭載したハイパフォーマンス・バージョン「DB7 V12ヴァンテージ」【アストンマーティンアーカイブ】

V12エンジンの搭載を前提に設計されていたXJSのシャシーをベースとした「DB7」。アストンマーティンはV12エンジンを搭載したハイパフォーマンス・バージョン「DB7 V12ヴァンテージ」の開発に着手した。そのパフォーマンスはヴァンテージの名に恥じないもので、実質的な後期型DB7として役割を果たすことになった。

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藤原よしお 近影

藤原よしお

クルマに関しては、ヒストリックカー、海外プレミアム・ブランド、そしてモータースポーツ(特に戦後から1…