Porsche 909 Bergspyder
906 カレラ6でヒルクライム王者に
1967年のヨーロッパ・ヒルクライム選手権「オロン・ヴィラール」で、ポルシェ 906 カレラ6 KHをドライブするリンツ。この年、彼はチャンピオンに輝いている。
ポルシェのレース活動を伝える生き証人として、現在もリンスは様々なヒストリックイベントに参加している。写真は2018年グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて、左からギュンター・シュテッケニヒ、ギース・ファン・レネップ、リンス、マンフレッド・シュルティ。
ポルシェのレース活動を伝える生き証人として、現在もリンスは様々なヒストリックイベントに参加している。
80歳のビッグバースデーを迎えた、ルディ・リンス。現在も精力的にヒストリックイベントへの参加を続けている。
80歳のビッグバースデーを迎えた、ルディ・リンス。現在も精力的にヒストリックイベントへの参加を続けている。
1970年のセブリング12時間レース、ポルシェ 917 KHで参戦したリンス。
1970年のセブリング12時間レース、ポルシェ 917 KHで参戦したリンス。
1970年のル・マン24時間レース、ポルシェ 908/02 スパイダー LHで参戦したリンス。
ありし日のルディ・リンツ。
1970年のル・マン24時間レース、ポルシェ 908/02 スパイダー LHで参戦したリンス。
1970年のタルガ・フローリオ、ポルシェ 908/02 スパイダー KHで参戦したリンス。
1970年のタルガ・フローリオ、ポルシェ 908/02 スパイダー KHで参戦したリンス。
Porsche 909 Bergspyder 906 カレラ6でヒルクライム王者に ルディ・リンスは1944年6月28日、オーストリアのフォアアールベルク州ブルーデンツで生まれた。幼少期から彼の生活の中心にあったのがクルマだった。彼の父はブルーデンツでフォルクスワーゲンの公認ワークショップを経営。このワークショップは、オーストリア国内で最初のポルシェ・ディーラーでもあった。 メカニックになるための訓練を受けた後、リンスは家業に携わりながら、オーストリアで開催されたヒルクライムレース「アクサマー・リツム(Axamer Lizum)」にポルシェ 356 Sで参戦。レーシングドライバーとしてのキャリアをスタートさせている。 その後、彼はオーストリア・ヒルクライム選手権タイトルを3年連続で獲得。1967年、リンスはポルシェ 906 カレラ 6でヨーロッパ・ヒルクライム選手権を制し、キャリアの頂点を極めることになった。以来数十年が経った現在で、リンスはこの美しいミッドシップスポーツカーを絶賛している。 ポルシェのレース活動を伝える生き証人として、リンスは様々なイベントに参加。写真は2018年グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて、左からギュンター・シュテッケニヒ、ギース・ファン・レネップ、リンス、マンフレッド・シュルティ。 現在も多くのヒストリックイベントに参加 1970年代、リンスはハンス・ハーマンとコンビを組み、ポルシェ・ザルツブルグKGから様々な耐久レースにポルシェ 917で参戦した。そして、1971年6月に911 Sでツェルトヴェーク1000kmを最後に、リンスはモータースポーツのキャリアに終止符を打った。 ウォータースポーツとウィンタースポーツの愛好家であったリンスは、その後数年間を旅に費やし、70年代半ばには父親からワークショップとディーラービジネスを引き継いだ。引退後、リンスはポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムのイベントに数多く参加。また、ヒストリックラリーでもクラシックポルシェのステアリングを握っている。。 ポルシェAGの開発担当取締役を務めるミヒャエル・シュタイナーは、リンスへのお祝いのコメントを送った。 「ルディ・リンスの80歳の誕生日をお祝いするとともに、ポルシェのために多くのレースを戦ってくれたことに感謝します。私たちは、1960年代に彼がポルシェのワークスドライバーとして、906 カレラ6で数々の勝利を勝ち取ったことを誇りに思っています」
ありし日のルディ・リンツ。
ヒルクライム用に開発された「ポルシェ 909 ベルクスパイダー」のステアリングを握る、ルディ・リンス。
ルディ・リンスは1944年6月28日、オーストリアのフォアアールベルク州ブルーデンツで生まれた。幼少期から彼の生活の中心にあったのがスポーツカーだった。彼の父はブルーデンツでフォルクスワーゲンの公認ワークショップを経営。このワークショップはオーストリア国内で最初のポルシェ・ディーラーでもあったのだ。
メカニックになるための訓練を受けた後、リンスは家業に携わりながら、オーストリアで開催されたヒルクライムレース「アクサマー・リツム(Axamer Lizum)」にポルシェ 356 Sで参戦。レーシングドライバーとしてのキャリアをスタートさせる。
その後、彼はオーストリア・ヒルクライム選手権タイトルを3年連続で獲得。1967年、リンスはポルシェ 906 カレラ 6でヨーロッパ・ヒルクライム選手権を制し、キャリアの頂点を極めることになった。数十年が経った現在でもリンスはこの美しいミッドシップスポーツカーを最良の1台として絶賛している。
現在も多くのヒストリックイベントに参加
ポルシェのレース活動を伝える生き証人として、現在もリンスは様々なヒストリックイベントに参加している。
1970年代、リンスはハンス・ハーマンとコンビを組み、ポルシェ・ザルツブルグKGから様々な耐久レースにポルシェ 917で参戦。そして、1971年6月に911 Sでツェルトヴェーク1000kmを最後に、リンスはモータースポーツのキャリアに終止符を打った。
ウォータースポーツとウィンタースポーツの愛好家であったリンスは、その後数年間を世界各地への旅に費やし、1970年代半ばには家業のワークショップとディーラービジネスを引き継いだ。引退後、リンスはポルシェ・ヘリテージ&ミュージアムのイベントに数多く参加。ヒストリックラリーでもクラシックポルシェのステアリングを握っている。
ポルシェAGの開発担当取締役を務めるミヒャエル・シュタイナーは、80歳を迎えたリンスへお祝いのコメントを贈った。
「ルディ・リンスの80歳の誕生日をお祝いするとともに、ポルシェのために多くのレースを戦ってくれたことにあらためて感謝します。私たちは、1960年代に彼がポルシェのワークスドライバーとして、906 カレラ6で数々の勝利を勝ち取ったことを誇りに思っています」