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F1史に残るレースから30年目
1994年5月、イタリア・ボローニャ近郊のイモラ・サーキットで開催されたF1サンマリノ・グランプリは、F1史に残る悲惨なレースとなった。金曜の予選ではジョーダンのルーベンス・バリチェロがクラッシュで負傷し、土曜の予選ではシムテックのローランド・ラッツェンバーガーがクラッシュして死亡するという悲劇が続いた。そして日曜の決勝では、当時F1界で最大のヒーローだったアイルトン・セナが事故で命を落とした。
このレースはモータースポーツ以外の多くのメディアでも取り上げられ、今でも語り継がれている。この歴史的なレースから30年目となる今年、私はイモラ・サーキットを訪れる機会を得た。
訪問の目的は、イモラ・サーキットで開催されるフェラーリのレーシングイベント「フィナーリ・モンディアーリ」の取材だ。このイベントは、フェラーリ・チャレンジの欧州シリーズおよび北米シリーズの最終戦として、ここ数年イモラとフィレンツェ近郊のムジェッロ・サーキットで交互に開催されている。フェラーリが大好きなイタリア人らしく、あいにくの雨模様にもかかわらず3万人以上の観客が集まり、イベントは大いに盛り上がった。
あの頃のクルマ好き青少年は皆F1に夢中だった
実のところイモラ行きが決まった時から、サーキット内には1994年のレースで亡くなったラッツェンバーガーとセナを追悼するモニュメントが設置されていると知人から聞いていた私は、ぜひ訪れたいと思っていた。事故当時、熱心なF1ファンではなかったが、あの頃のクルマ好きの青少年は皆F1に夢中だったと記憶している。特にセナは、事故時のチームはウイリアムズだったが、ホンダエンジンのマクラーレンに乗っていた期間が空前のF1ブームと重複していることもあって、多くのファンに愛された存在だった。
フィナーリ・モンディアーリ最終日となる日曜の夕方、取材を終えてホテルに戻る前に、セナのモニュメントを訪れることにした。イベント終了後のグランドスタンドから観客が引け始め、静まり返ったサーキットで、私はプレスルームのあるピットの2階からコース沿いの道を歩いた。モニュメントはセナが亡くなったタンブレロコーナーの内側にあるという。
所狭しと飾られたファンからのメッセージ
10分ほどでタンブレロコーナーに到着すると、モニュメントは想像以上に静謐な佇まいで、そこにあった。数メートル先のフェンス越しにはレーシングコースが広がり、その日最後の余興かフェラーリのロードカー数台がコースを走っていた。遠ざかる排気音を聞きながら見た、俯いたセナのほぼ等身大のブロンズ像は、なんとも寂しげな表情が印象的だった。しかし、台座にはファンからのメッセージが書かれた旗や花が所狭しと飾られ、セナの人気が今なお世界中で健在であることを感じさせた。
モニュメント周辺は公園として整備されており、訪れた時間にはベビーカーを押す家族連れが散歩する姿も見られた。その像は一見寂しげだが、台座に彫られたセナの在りし日の姿──マシンのコクピットで格闘する姿や、表彰台でのシャンパンファイト──が、往時のレースでの輝きを鮮明に思い起こさせてくれた。やはり来てよかった。モータースポーツは危険だが、多くの人の心にこれほど刻むパワーを持っていると再確認できた。イモラを訪れたら、ぜひ立ち寄っていただきたい、設立から30年目に知った、F1の聖地だ。