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Porsche 911 GT3 (996)
ナンバープレートは「S-WR 996」
「まるでタイムマシンに乗ったような気分ですよ」と、ポルシェのブランドアンバサダーも務めるヴァルター・ロールは、クラブスポーツパッケージが装着された、完璧なコンディションの911 GT3(タイプ996)を前にそう言った。
ロールが対面したのは、1999年のジュネーブ・モーターショーにおいて、ポルシェが発表したアークティック・シルバーメタリックの911 GT3。この個体は、20年以上も前にロール自身が社用車として乗っていたクルマそのものだ。「S-WR 996」……当時のナンバープレートが、誰の愛車だったかを示している。
ロールは耐熱・耐炎ノーメックス製バケットシートに座った。御年77歳、身長196cmの彼は、ロールケージを軽々とすり抜ける。ステアリングはまるで長年使い込んだ手袋のようにフィットした。
鋭い眼差しで、5基の特徴的な円形メーターへと目を落とした彼は、「ファンタスティック……」とつぶやいた。「当時、初代911 GT3 は公道で最もスポーティなポルシェでした。初代 911 GT3 は公道で最もスポーティなポルシェだったのです。限りなくピュアで、唯一無二の存在。このまま、そこらを1、2周しましょうか?」と、いたずらっぽい笑みがロールの顔に広がった。
911 GT3を愛する者が集う隠れ家
ロールと911 GT3で向かうのは、ドイツ・シュヴァーベン地方の街フラハト近郊にあるガレージ。このプライベートな“隠れ家”を情熱的に運営するのは、ポルシェの愛好家グループ「FL8WERK(フラハトヴェルク)」。ヴィンテージのネオンサイン、ポスター広告、ピンボールマシン、ビリヤード台、そして居心地の良いリビングエリア……。
「ひとつひとつのパーツにストーリーがあるんです」と説明するのは、FL8WERKの共同設立者であり、アークティックシルバーメタリックにペイントされた、ロールの社用車を所有するティモ・コンラッドだ。
コンラッドは、あらゆる種類の書籍やオートモビリア(自動車関連蒐集品)、様々なスケールのモデルカー、そして無数の記念写真が収められた展示ケースを案内してくれた。そのひとつひとつが、ポルシェに対する深い愛情を示している。
「私たちは10年ほど前から一緒にドライブツアーを企画し、おしゃべりを楽しんだり、クルマをいじくりまわしたり、911 GT3の歴史を勉強したりしています。このガレージは、ただ楽しむための場所です。『FL8WERK』のメンバーのほとんどは、他の分野で働いています」と、コンラッド。
初代「911 GT3」だけが持つピュアな魅力
今回、コンラッドは、ロールを迎えるにあたって、ノガロブルー、ラピスブルー、レインフォレストグリーン・メタリックといった珍しいカラーをまとった、希少な911 GT3 クラブスポーツを7台以上も集めてくれた。
FL8WERKの共同創設者であるアレックス・シュワデラーは、「モータースポーツ向けに設計された911 GT3は、初代996の生産台数のうち、わずか20%しか製造されなかったと言われています」と説明する。
各年代の仕様の違いは、サイドエアバッグの有無、センタートンネル上のバッテリーマスタースイッチ、ノーメックス製バケットシート、固定式ロールケージなど、様々なディテールによって識別できるという。6点式ハーネスと消火器は、すべての仕様で標準装備だった。
FL8WERKのもうひとりの創設者であるクレト・ディ・パオロは、「私たちが初代911 GT3で特に気に入っているのは、ダイレクトで純粋なドライビング体験です。車幅が狭く軽量でエンジンは完璧。すべてのバランスがよく、ステアリングホイールを握るたびにダイレクトなフィードバックが得られるでしょう」と、熱く語ってくれた。
「現在のようなドライビングアシスタンスシステムがないので、純粋な“ドライビングスキル”が問われることになります。でも、それこそが私たちの好きなところなんです」
911の歴史に新たなカテゴリーを創設
1997年、ポルシェは液冷エンジンを初導入した第5世代911(タイプ996)を導入。スポーツカー市場において、快適性、安全性、効率性などに冠して新たなスタンダードを打ち立てることになった。その2年後に投入された911 GT3は、サーキットを想定したドライビングを好むカスタマーに向けて開発。「GT3」のモデル名はレーシングカテゴリーに由来している。
「当時、私はポルシェのエンジニアだった、ローランド・クスマウルと仕事をすることが多かったですね」と、自らも911 GT3の開発に携わったロールは振り返る。
「彼と開発チームのエンジニアは『公道走行が可能なレーシングカーを開発する』という明確なビジョンを持っていました。この過激な996の派生モデルの成功によって、現在までそのコンセプトはポルシェのラインナップに息づいています。『GT』を冠したモデルは、911の各世代において、アヴァンギャルドな存在であり続けているのです」
3.2リッター水平対向6気筒はベースモデルから60PSパワーアップし、最高出力は360PS。シャシーとボディにファインチューニングが施され、軽量化のため快適装備の多くが取り除かれた。また、固定式リヤウイングは、すべての世代のGT3で受け継がれている。ポルシェはかつて、911 GT3のパンフレットにおいて「最後の1mmまで、最高のパフォーマンスのために設計されています」と謳ったほどだ。
知らずに購入したロールの「S-WR 996」
コンラッドは、911 GT3 クラブスポーツに強く惹かれてきた。レインフォレストグリーン・メタリックの初代モデルを所有していたが、数年前にアークティック・シルバーの“ジュネーブ・モーターショー・カー”に乗り換えている。
「南ドイツ在住のオーナーから購入したのですが、当初はその歴史について何も知りませんでした(笑)」と、コンラッド。ところが、登録書類に記載された最初の所有者は「Dr. Ing. h.c. F. Porsche AG」。そう、この個体はファクトリーカーだったのだ。
「まるで考古学者のような気分でした。もちろんジュネーブ・モーターショーでのワールドプレミアされた写真は、よく知っていた。そしてある時、ピンときたんです」
パズルの最後のピースは、登録書類に永遠に記されていたナンバープレート「S-WR 996」だった。
「あるイベントでヴァルター・ロールに会う機会がありました。その時、彼自身にこのクルマについて尋ねたんです。彼はこのクルマのことを昨日のことのように覚えていましたよ。こんな幸運はめったにありません(笑)」と、コンラッドは笑う。
20年ぶりにかつての相棒、911 GT3 クラブスポーツのステアリングを握った瞬間、ロールは心からの安らぎを得たという。イグニッションを回すと、シングルマス・フライホイールの典型的なガラガラという音がする。「この音を知らなかったら、エンジンが壊れるんじゃないかと思うでしょうね」と、ロールは笑う。
「ニュルブルクリンクのノルドシュライフェで、タイプ996の911GT3で、 7分56秒のタイムを記録しました。公道走行可能な911が8分切ったのは、これが初めてでした。当時、このクルマはセンセーションを巻き起こしましたよ。そして、それは今日まで、その興奮は変わっていないのです」