【フェラーリ名鑑】フェラーリのロードカー、もうひとつの主流「2+2」

「望まれたGT」フェラーリ「2+2」ストーリー(1960-1967)【フェラーリ名鑑:11】

フェラーリ名鑑、2+2モデルヒストリー
フェラーリの2+2レイアウトモデル、250 GT 2+2。デビューは1960年で、写真は最終型のシリーズ3。
フェラーリのストラダーレ、即ち公道モデルは、レースシーンを彷彿させる2シーターが中心だった。しかし、もっと使い勝手の良いグランドツーリングモデルを欲するカスタマーも多く、とりわけフェラーリの主要マーケットである北米向けに、フェラーリは後席を備えた「2+2」をリリースしていく。今回はフェラーリ製2+2モデルのヒストリーを追う。

アメリカ市場を狙い「2+2」を開発

写真は1960年のパリ・サロンでデビューした250 GT 2+2。本項メインカットの写真は63年にマイナーチェンジを施したシリーズ3で、ドライビングランプが移設されテールライトのデザインも変更された。

前項では、1960年代にマニファクチャラーズ・チャンピオンシップが懸けられていた、スポーツ・プロトタイプ・レースに対するフェラーリの戦略。そしてより低価格なフェラーリともいえるディーノの登場を中心に1960年代のフェラーリを振り返ってみた。すでにフェラーリの総帥であるエンツォは、この頃にはオンロードモデルの販売には、レースほどの意欲を持っていなかったともいうが、実際には12気筒の275 GTBや6気筒のディーノなど、魅力的なモデルを誕生させている。

フェラーリにとって当時最も重要だった市場は、もちろんアメリカだ。したがってアメリカのカスタマーがどのようなモデルを望むのかは、フェラーリにとって最も重要で有益な情報であり、エンツォはアメリカ仕様ともいえるモデルを常にラインナップしてきた。少し時間は戻ることになるが、ここではそれらのモデルを簡単に紹介しておくことにしよう。

250 GT 2+2は前席後部に2人掛け可能なシートを備え、グランドツーリングを強く意識したモデル。当時フェラーリの主要マーケットだったアメリカを中心に人気を博す。

フェラーリは2シーターモデルに生産を集中した1950年代の反省から、1960年になると「250 GT 2+2」で後席を備えるクーペを復活させる。搭載エンジンはもちろんコロンボ設計の250、すなわち総排気量2953ccのV型12気筒で、ホイールベースは2600mmのままだった。1960年のパリ・サロンでデビューを飾ると、それはセンセーショナルな話題として世界に伝わった。

250 GT 2+2は、1961年にテールランプの意匠などを変更したシリーズ2となった。その後、1963年にリヤサスペンションにスプリングが採用されたシリーズ3に進化する。同時にグリル内にレイアウトされていたドライビングランプをヘッドランプ下に移動した上でテールランプのデザインも一新した。

高い支持を得ることに成功

1964年式の330 GT 2+2。250 GT 2+2の後継モデルとしてリリースされた。排気量は4.0リッターに拡大されている。

250 GT 2+2のセールスは、そのほとんどがアメリカのカスタマーに向け、あるいはGT(グランドツアラー)志向を強くもつ顧客に対して受け入れられた。250 GT 2+2はマイナーチェンジを受けつつ、常に魅力的なモデルとして高く支持されてきたが、フェラーリはその後継車として、わずかな期間で「330 GT 2+2」をデビューさせる。

一方でこの間、同様に3967ccのV型12気筒エンジンを搭載した「330 アメリカ」というモデルも存在した。これはシリーズ3、つまり250 GTの最終型をベースに排気量を拡大したものだった。ちなみに330 GT 2+2には4速MTに加え、4速AT仕様も設定され、それも好評を博した。

330 GT 2+2は当初4速MTを搭載していたが、デビュー翌年にはこれを5速化。正式名は330 GT 2+2 インテリムと呼称する。

330 GT 2+2もまた、頻繁にマイナーチェンジを繰り返すモデルだった。ピニンファリーナの端正なボディを組み合わせてデビューしたのは1964年のことだが、翌1965年にはトランスミッションが4速MTから5速MTへと進化。このわずかな変更を受けたモデルを正確には「330 GT 2+2 インテリム」と呼ばれる。

1965年にはボディデザインがよりスタイリッシュなライン構成の美しさを感じさせるものへと変わった。メカニズムはインテリムのそれと基本的には共通で、セールスも相変わらず好調に推移していた。

パワーを望まれて着実に進化

4.4リッターV12をフロントに搭載し、最高出力320hpを発生した365 GT 2+2。ピニンファリーナによるデザインも大幅にブラッシュアップされた。

そして、1967年になると排気量を4390ccに拡大した「365 GT 2+2」が誕生。フェラーリにさらなるパワーを望むのは、2シーターモデルのカスタマーばかりではなく、2+2モデルでも同様なのだということを一連の排気量拡大は物語っている。参考までに記すと、1960年発表時点での250 GT 2+2の最高出力が240psだったのに対して、365 GT 2+2は320psにまで達している。最高速度も同様で、365 GT 2+2では245km/hをマークするまでに至った。

その後フェラーリは、1970年代を迎える頃になると進化を続けてきた2+2シリーズのフルモデルチェンジを考えるようになる。デザインはもちろん、ピニンファリーナ。新時代が到来したことを誰もが知るように、これまでとは大きく異なる直線を基調とした端正なボディを与えていくことになる。

SPECIFICATIONS

フェラーリ 250 GT 2+2

年式:1960年
エンジン:V型12気筒SOHC
排気量:2953cc
最高出力:176kW(240hp)/7000rpm
乾燥重量:1280kg
最高速度:230km/h

フェラーリ 330 GT 2+2

年式:1964年
エンジン:V型12気筒SOHC
排気量:3967cc
最高出力:221kW(300hp)/6600rpm
乾燥重量:1380kg
最高速度:245km/h

フェラーリ 365 GT 2+2

年式:1967年
エンジン:V型12気筒SOHC
排気量:4390cc
最高出力:235kW(320hp)/6600rpm
乾燥重量:1480kg
最高速度:245km/h

解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)

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著者プロフィール

山崎元裕 近影

山崎元裕

中学生の時にスーパーカーブームの洗礼を受け、青山学院大学在学中から独自の取材活動を開始。その後、フ…