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F1の勝利が最優先。そのためにロードカーを製作
1948年に125をF1GPに投じて以来、エンツォ・フェラーリはさまざまなモデルをレースに参戦させていった。その闘志の直接の原動力となっていたのは、もちろんアルファロメオやマセラティといったイタリアの名門メーカーと戦い、勝利すること。
そしてまた、そのためにまず必要となるのは十分な技術力とともに資金力であることをエンツォは熟知していた。F1GPを戦うために、エンツォは自らの名前を掲げた自動車メーカーを興したのだとはよく聞かれる逸話だが、それもあながち間違いとはいえないのかもしれない。
125で始まったフェラーリのF1GP参戦。1949年にはそのマシンは「125 F1」とネーミングが改められ、1950年のモナコGPには125SのV型12気筒エンジンにルーツ式のスーパーチャージャーを装着して姿を現した。最高出力は230psを発揮したが、それでもなお、アルファロメオ 158などのライバルの前に125 F1の成績は奮わなかった。フェラーリは125 F1でのF1GP参戦を諦める決断を下す。
後継モデルとなったのは、アウレリオ・ランプレディが設計した、さらに大排気量のV型12気筒自然吸気エンジンを搭載する「275 F1」、「340 F1」、「375 F1」といったマシンだった。この中でも特筆すべき1台が、1951年のイギリスGPでフロイライン・ゴンザレスのドライブで優勝を果たした375 F1。ツインプラグ方式を採用した4494ccのV型12気筒エンジンは350psの最高出力を誇り、ここに至ってエンツォは遂にアルファロメオという伝統の名門チームに勝利したのだ。
フェラーリ初のロードモデル、166シリーズ誕生
GPマシンの話が長くなってしまったが、ここではそれに参戦するための手段とも例えられる、この時代のフェラーリ製ロードカーについて触れておこう。
1947年に最初のモデルである125Sをサーキットへと送り出したフェラーリだが、ロードカーとしてマラネッロの本社からデリバリーされた最初の1台は、1947年に製作された「166SC」だった。SCとはスパイダー・コルサの意味で、166はもちろん搭載されるV型12気筒エンジンの1気筒あたりの排気量を示している。このエンジンをフロントに縦置きし、11.0の圧縮比とツイン・イグニッションを採用。3基のウェーバー製キャブレターを組み合わせて、最高出力では130psを発揮したと記録されている。
ちなみに166SCは3台がマラネロのファクトリーで製作された記録が残るが、現存する最古のフェラーリとなっているのは、2番目に製作された166SCのS/N:002Cだ。002Cは、それ自身も珍しいヒストリーを持っており、当初それは、個性的なサイクル・フェンダーを持つことからも分かるように、レース仕様の159Sとして製作されたモデルだった。それをカスタマーのリクエストで166SCの仕様に改め、ロードユースへと転用したのだった。
ミッレミリア参戦モデルやGTなどに発展
166SCには、ほかにもさまざまなモデルが存在する。1948年のツール・ド・シチリアには、サイクル・フェンダーをもたないオープンボディの「166S」がエントリーされているし、同年のミッレミリアを制したのも「166アレマノ・クーペ」だった。
2000ccにも満たないV型12気筒エンジンというと、さほどパワーには期待できないようにも思えるが、一方でわずかに500kg程度という軽量性が、その運動性能を大幅に高めてくれたことが166ファミリーのモータースポーツにおける成功の大きな理由となっていることが分かる。
そして1948年の中盤になると、フェラーリは166ファミリーに、それまでのSやMM(ミッレミリア)に加えて「166インテル」と呼ばれるモデルを限定で追加設定する。限定生産といっても、実際にボディを製作したのはヴィニャーレやツーリング、ギア、ベルトーネ、スタビリメンティ・ファリーナといったカロッツェリア。
彼らが生み出したデザインはどれも秀作といえるものばかりだ。それらはフェラーリ初のGT=グラン・ツーリズモとして、カスタマーの心を大いに刺激したのである。
解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)
【SPECIFICATIONS】
フェラーリ 166インテル
年式:1948年
エンジン:60度V型12気筒SOHC
排気量:1995cc
最高出力:66kW(90hp)/5600rpm
乾燥重量:900kg
最高速度:150km/h
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