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Bugatti Divo
アールデコやダダイズムに着想を得たブガッティ
フランス アルザスに拠点を置くブガッティには、長いコーチビルディングの歴史がある。創始者のエットーレ・ブガッティが1920年代初頭にスタートしたのがその始まり。彼は自身の作る自動車に、完璧な技術だけでなく、完璧な美しさも求めていた。そして、伝統的な造形にこだわったエットーレに対し、真の傑作を生み出したのが子息のジャン・ブガッティである。
ジャンが持っていたのは、自動車のエンジニアリング的視点だけではなかった。彼が目を向けたのは、当時圧倒的な人気を誇っていたアート分野。アールデコや表現主義、ダダイズムといった芸術様式にインスピレーションを求めたのだ。そうして、例えばタイプ57のアタランテやギャリビエ、SC アトランティークといった、色褪せぬ美しさをもつアイコンが誕生していったのである。
現代に「クルマのオートクチュール」を
かくして、黎明期にはオーナーの要望にあわせて1台1台のモデルをコーチビルディング(ファッション世界におけるオートクチュール=オーダーメイドの高級服)により仕立ててきたブガッティ。その伝統的な製法を現代の技術とデザインで蘇らせようという試みで誕生したのがディーヴォだった。
当時のコーチビルディングとディーヴォの最も大きな違いと言えるのが、その成り立ちにある。かつてはボディを製造するコーチビルディングメーカーはシャシーにボディを架装するのみで、技術的な変更を加えることはなかった。それに対し、ディーヴォの開発ではデザイナーやエンジニアがベースモデルのシロンを大幅に変更。技術面の最適化を図るとともに、量販車同等の開発プログラムを徹底して実施しているのも特徴だ。ブガッティの名前を冠する以上、パフォーマンスや品質面には一点の妥協も許されないのだという。
1週間も経たずにあがった「完売」の札
かつてのコーチビルディングを21世紀に蘇らせようという発想は、ブガッティの代表に着任したばかりのステファン・ヴィンケルマンによるもの。かつてのブガッティの伝統的な製法について「たくさんの資料を読みました。1920〜30年代に作られた象徴的なボディワークの数々を眺めたのです。そして、この素晴らしい遺産を、現代のブガッティに置き換えることはできないだろうかと考え始めました」。そうヴィンケルマンは振り返っている。
ブガッティのデザイナーやエンジニアはそれからすぐに新型車へ着手。2018年春には、シロンの一部の顧客に向けて、ひっそりと個別の“アンベール”が行われた。セールス&オペレーション部門のディレクター、ヘンドリク・マリノフスキーは次のように語っている。
「ディーヴォをご覧になった顧客の皆様は、全員即座に素晴らしくポジティブな反応をくださいました。最初のお客様とのお顔合わせから1週間と経たずに、40台は完売してしまいました」 つまり、ディーヴォは2018年夏のペブルビーチで世界初公開された時よりずっと前の段階で売り切れていたのである。
最後のディーヴォはル・マンのマシンをオマージュ
そのディーヴォの“40台目”が、ヨーロッパのオーナーの元へとデリバリーされた。オーナーが希望したのは、ブガッティ最後のファクトリーマシン、EB110 LMがまとった象徴的なカラーリングだった。ル・マンを走ったあの車体を彷彿させるディーヴォは、ブルーカーボンを組み合わせることで現代的な雰囲気を強調。内装でも、フレンチレーシンググリーンとディープブルーが、ツヤ消しのグレーカーボンと不思議な相性の良さを披露している。
ディーヴォは、航空パイロットであり、ブガッティのワークスドライバーとしても活躍したアルベール・ディーヴォにちなんで名付けられた。アルベール・ディーヴォは6度のグランプリ制覇に加え、タルガ・フローリオでは2度の勝利を手にしている。
彼の名を戴いた、たった40台のみの限定モデル。そのベース価格は500万ユーロ(約7億5800万円)。ブガッティでしか成立しがたい規格外のハイパーカーは、フランス モルスハイムのアトリエで1台ずつハンドメイドで製造されてきた。そのすべてが顧客ひとりひとりの要望に細かく応えた仕様となっており、1台として同じディーヴォはこの世に存在しないのだという。