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Lamborghini P400 SV Miura
伝説の“J”からP400 SVへと続くストーリー
P400 S ミウラ(ミウラ S)に続いて誕生し、ミウラ・シリーズの最終モデルとなったのが、スピント・ヴェローチェ、すなわち「超越した速さ」なる称号を掲げた「P400 SV ミウラ(ミウラ SV)」だ。そしてこのモデルが誕生するにあたり、非常に大きな役割を果たしたのが、「J(イオタ)」と呼ばれた1台の実験車。
といっても、それはフェルッチオが正式にプロジェクトとして認めたものではなく、ダラーラやスタンツァーニと同様に、やはり20代でニュージーランドからイタリアへと渡り、ランボルギーニでメカニック兼テストドライバーとしての職を得た、ボブ・ウォレスの個人的な実験車だった。というよりも、あくまでも趣味のクルマに過ぎない存在だったというほうが正しいのかもしれない。
一見ミウラをベースに製作されたスペシャルモデルのようにも見えるJだが、ボディパーツで見るのならば、ミウラとJが共通しているのはルーフのみで、ほかはすべてデザインが異なっている。ドアを開けてキャビンを覗き込むと、まずは印象的なのは太いサイドシルと細いセンタートンネルだが、これは左右のサイドシル内に燃料タンクがビルトインされていることの証し。フレームももちろん、このJ専用のワンオフとなる。ウォレスは当時のFIAが定めたプロトタイプカーの車両規定に基づいて、このスペシャルモデルの製作を通常の業務時間外に行っていたのだ。
440PSの最高出力を誇ったというドライサンプ式のV型12気筒エンジンをミッドに搭載したJの存在は、ランボルギーニを訪れるカスタマーに知られるようになり、その売却を望む声も徐々に高まるようになった。結局フェルッチオはその売却を指示するのだが、オンロードへと解き放たれたJには悲運が待っていた。それからわずか数ヵ月後にJはクラッシュ、そして焼失してしまったのである。
Jでの経験を活かしたP400 SVのシャシー
だが、Jでの経験はミウラの最終進化型となったP400 SV ミウラのさまざまなパートに活かされることになった。リヤサスペンションのデザインなどは、その最も特徴的な例といえる部分だろう。それまでのA字型から平行四辺形型へとデザインを変更したロワアームは、アーム長そのものも38mmほど延長。リヤホイールのオフセットも28mm拡大されている。加えてリム幅そのものが大きく拡大されたことも影響して、リヤトレッドはP400 S ミウラの1412mmから1514mmにまで増加しているのである。
P400 SV ミウラのエクステリアで大きな特徴といえば、いわゆる“まつ毛”がなくなったヘッドランプ周りのデザインと、大きくグラマラスに張り出したリヤフェンダーが代表的なところだが、後者はまさにこのリヤトレッドの拡大に直接の理由があったのだ。
V12エンジンにもJで得たノウハウを投入
ミッドのV型12気筒エンジンは排気量など基本的なスペックに変化はないものの、キャブレターが同じウェーバー製ながら40IDL3L型へと変更されたほか、カムシャフトのプロフィールを変更。エンジンとトランスミッションの潤滑もJがそうであったように、ようやくこのP400 SV ミウラにおいてセパレート化されることになった。
ダラーラが最初に考えたミニのような小排気量モデルならばいざ知らず、大排気量で高性能なエンジンの潤滑システムをエンジンとトランスミッションで共有するのは、やはりリスクがあったのだろう。自らの手でJを作り上げたウォレスも、それをメカニックの立場から現場で感じていたに違いない。
ミステリアスな派生モデルも存在
P400 SV ミウラの生産は1973年まで続き、150台が製造されたとランボルギーニからは発表されているが、実際に後継車であるカウンタック(正式名称:クンタッチ)の生産開始が予定より大幅に遅れたことを考えると、さらに遅い時期にデリバリーされたモデルもあると考えるのが妥当だろう。
またミウラには、1968年に製作されたロードスターや、先にも触れたSVJのほかSVRといった、いわゆるイオタ・レプリカも存在する。それらもまた、ミウラのヒストリーを華やかに、そして時にミステリアスなものにしている。
SPECIFICATIONS
ランボルギーニ P400 SV ミウラ
発表:1971年
エンジン:60度V型12気筒DOHC
総排気量:3929cc
最高出力:283kW(385ps)/7850rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:RWD
車両重量:1245kg
最高速度:300km/h
解説/山崎元裕(Motohiro YAMAZAKI)