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初参加の2020 ロータス カップ ジャパンも大詰め
2020年シーズンの初戦・菅生は濃霧で中止、第2戦・もてぎは参加できなかった。
発端は第2戦に向け、ツインリンクもてぎに練習に行った日のこと。V字カーブの立ち上がりで直前のクルマが急ブレーキを踏んだ。まさかコーナーの立ち上がりでブーキを踏むなんて! こちらもフル加速状態だったので急ブレーキを踏んでも間に合わず、機械や装備品は壊れなかったが、フロントカウルがへこんでしまった。
不運なアクシデントで第2戦は欠場
前走車は立ち上がりで振られたようだ。僕自身「こんなところでブレーキを踏まない」という油断があった。安全運転の基本は「~だろう」ではなく、「~かもしれない」である。安全運転の基本を忘れた自分を大いに反省した。
そして「もし現役だったら、反射神経で避けれたかもしれない」という考えもよぎった。そう思うと、余計にがっかりした。
マシンはロータス千葉のもので、本業の整備が超忙しい時期だったため、修復に取りかかれずに、第2戦はお休みとなった。
目標を失いモチベーションがガタ落ち、そして体力も・・・
何があっても事故はいけない。自分に対するショックとレース見合わせによるモチベーション低下で、日常の運動もしなくなってしまった。
すごいなと思ったのは、それから2ヵ月後の体力の落ち込み具合だ。それまで懸垂を毎日5回やっていたのだがやらなくなってさあ再開と思ったら、1回もできなかったのだ。
歳をとると、こんなに早く体力が落ち込むものなのか! 若い頃と違って、日常的に運動をしなければ、そのうち寝たきりになるな。
ほんの少しでもブランクはてきめんに効いてくる
飽きっぽいのは昔からの悪しき性分だ。モチベーションが下がると興味も急降下する。2ヵ月間、レースのことを考えることもなく、仕事に集中していたら、あっという間に最終戦のある12月になった。
さすがにぶっつけ本番はよくないので、マシンチェックと練習を兼ねて最終戦の2週間前にもてぎを走ることにした。
前回、夏に走った時はマシンから降りると汗びっしょりで、息が上がってハアハアゼーゼー。疲れるのは暑さゆえ、と思っていたが、そうではないことが判明。もう秋口なのに、やっぱり降りるとハアハアゼーゼー。汗の量は多少減ったが、心臓の鼓動に加えて手足がつった。筋力低下のせいなのだろう、腕のしびれが2~3日続いた。
身体は正直である。怠けただけ、いやその何倍も落ちてしまう感じだ。特に歳をとったら、日常的に運動を続けることが大切だと確信した。
セッティングを変更し練習走行と予選に挑む
練習時は単独走行なので自分が速いのか遅いのかよくわからない。ただ立ち上がりでパワーをかけたときリヤが暴れるので、もう少しトラクションを出したいと思い、リヤのバネを柔らかくしたらおさまりが良くなった。
しかし自分ではうまく走れている実感があるのに、タイム的には、イマイチな感じがする。(原因は後に判明するのだが、このときはわからなかった)。
迎えた最終戦、前日の練習走行では、他のクルマの後ろについてライン取りなど研究しつつ、マシンの速さをチェックしようと目論んでいた。だが後ろにつくとみんなピットに入ってしまう。え、そうなの? そんな意地悪しなくても・・・。まあ考えてみれば、積み重ねた経験値をそう簡単にライバルに与えるわけにはいかないという考え方も、レースだから当然といえば当然か。ただこちらとしては和気あいあいを想像していたので、ちょっとしょんぼり。
実質、初のロータス カップ ジャパン本戦の行方は?
もちろんプロ同士なら絶対に相手に塩を送るようなことはしないし、聞かれても適当にごまかす。同様にワンメイクレースであってもロータスカップくらいのレベルとなると、出場選手の本気度はプロ級なのだ。実際に毎週のようにサーキットへ練習に出向く選手が大勢いる。ある意味プロ以上といえよう。
それはそうと、どうも自分のタイムが伸びない。コーナー入口で追い付いても立ち上がりで置いていかれる。ならばと入口で速度調整しても、やはり立ち上がりで離される。ドライバーの走り方のせいなのか、エンジンパワーのせいなのかよくわからないままレースを迎えた。
REPORT/太田哲也(Tetsuya OTA)
PHOTO/市 健治(Kenji ICHI)、GENROQ Web
COOPERATION/ガレージシマヤ、ヨコハマタイヤ、アライヘルメット
【関連リンク】
・太田哲也 オフィシャルサイト
投稿 2020 ロータス カップ ジャパン最終戦で奮闘!:前編 【太田哲也の「ジェントルマンレーサーのすゝめ」:第6話】 は GENROQ Web(ゲンロク ウェブ) に最初に表示されました。