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マセラティ MC20の国際試乗会から帰国
これはマセラティ MC20の国際試乗会のために日本〜イタリア間を往復した際の記録です。渡航期間は出国2021年5月10日深夜(5月11日午前0時過ぎ)、帰国が同5月14日午前のトラベルログ。その後編です。国や地域の規則や規制は時々刻々と変化していますので、今後渡航をされる際には出国前に必ずあらためてお調べいただくようお願い申し上げます。(前編はこちら)
■5月14日金曜日(日本時間)
7時38分。定刻より約30分早く108ゲートに到着。でもすぐには降機できず、シートで待つようにとアナウンス。7時57分、降機開始。いつもならなんとなく早足になって入国審査へ向かうところだけれど、ここからは基本的に集団行動となる。108ゲートは入国審査に比較的近いのに、そこを通り越してターミナルのほぼ端っこの145ゲートまで延々と歩く。ここから143ゲートまでのそれぞれのゲートに関所があり、陰性証明書や機内で配られた書類などのチェックを受ける。
142ゲートでは検査用の検体採取。唾液だったので泣かずに済んだ。パーテーションで仕切られた簡易ブースで立ったまま唾液を検査容器に入れる。次の141ゲートでアプリの動作確認とメールアドレスが正しいかどうかの確認。ここから一階上がってまた142ゲート(唾液採取は下の階)。ここで検査結果が出るまで待機とのこと。ホテルについての説明もあった。場所は人によってまちまち。基本的には禁煙の部屋で、どうしても喫煙がいいという場合は一応相談に乗ってくれるという(確約はできないとのこと)。
この時点で8時51分。降機から約1時間が経過していた。ただ、自分はあらかじめアプリをダウンロードして書類も揃えていたので、各関所を比較的スムーズに通過してこのタイム。アプリのダウンロードから始める方や書類の不備を指摘される方もちらほら見かけた。ちなみに昨日は検査結果が出るまでに(降機してから)約4時間を要したそう。果たして今日はどうだろう。
パイプ椅子が等間隔で並べられたこの待機スペースは近くにトイレも自販機もなく、さらに今日はなんだか蒸し暑い。たまたま機内から水を持ってきていたがすぐに空っぽに。周りをぐるり取り囲むよう数名の警備員に私たちは見張られていて、立ち上がるだけで彼らの視線が突き刺さる。恐る恐る「トイレに行きたいのですが」と申し出ると、アテンドのスタッフがトイレまで同行するという。
途中に自販機があるというのでお財布も持参。トイレの前でまったく面識のない人(女性)が自分を待っているというのはかなり妙な感じ。「お待たせしてすいません!」と思わず謝ってしまい、さらに自販機で若干モタついてまた謝る。彼女はアルバイトで、トイレへのアテンドと、検査結果が出た人のバスへの誘導が主な仕事だという。彼女曰く、結果が出たら直ちにバスへ移動してホテルの部屋まで直行。部屋からは出られないので、もし飲み物が欲しいならこれが最後の自販機です、と教えてくれた。大変貴重な情報である。取り急ぎ緑茶と麦茶を購入。
9時31分。一部の人の検査結果が出たようで、5名が呼ばれる。予想よりかなり早いが自分はまだ。その後、5名ずつ2回呼ばれたが番号はランダムで、自分の番号(90)より下や上の人も呼ばれる。9時56分。他のフライトの乗客も合流。待ってる人の数は現在ざっくり30名ほど。最初に呼ばれた計15名はバスへ誘導され、新たに20名くらいが加わった感じ。
10時11分。また5名が呼ばれる。自分はまだ。10時14分。また5名が呼ばれる。自分はまだ。なんだろうこの敗北感のような感覚は。10時16分。また5名。自分は呼ばれず。「ひょっとして・・・」と最悪の事態が頭をよぎる。が、もし陽性だとしたら、それはほぼ間違いなく渡航前に日本で罹患したことになる。そして10時39分。ついに自分の番号が呼ばれる。陰性。天を仰ぎたくなるような気分だった。そしてホテル名が告げられる。なんと横浜みなとみらい地区にある某ホテル。指定宿泊場所は羽田近辺とは限らないそうで、両国付近という方もいらした。
10時50分。142ゲートから移動開始。横浜のホテルはどういうわけか自分ひとりだけらしく、自分の前後にアテンドの方が配置され2名の警護フォーメーションで入国審査場へ。まるで、よほどのVIPかよほどの犯罪者である。入国審査を抜けて荷物検査も抜けようやく到着ロビーに出ると、今度はそこで待っていたアテンドに身柄が引き渡される。一階まで降りてバス乗り場へ。大型の観光バスに案内された。乗客は自分ひとりだけ。
11時10分、バス出発。飛行機が108番ゲートに着いてから3時間ちょっとだから、これでも早いほうかもしれない。確かに検査結果通達の番号を呼ばれてからバスに乗るまでは完全警護であっという間の移動だった。だからせっかく「最後の自販機」情報を入手していたのに、飲み物を買い足す余裕もトイレに寄る時間すらもなかった。バスはやがて湾岸線のベイブリッジを通過。まさか大型バスでここを渡ることになるなんて想像すらしていなかった。
11時40分。ホテル着。だが、バスは正面のクルマ寄せではなく地下へ。そこで待っていたのはマスクにフェイスシールドまで付けたスタッフ数名。普段は何に使っているのかよく分からない入り口を抜け、滞在中の説明を受ける。部屋から絶対に出ない。部屋の電話からの外線通話は禁止。差し入れやデリバリーやネットショップによる荷物の受け取りは可能だが、中身をチェックした上、部屋へ届けてくれるのは翌日(!)。アルコールもNG。陰性証明書を持っていても、要するに滞在中はコロナ疑い人として扱われるということらしい。なお、滞在期間中の宿泊費や食事(1日3回配給されるお弁当)は無償とのこと。部屋のキーと昼食のお弁当が渡された。
12時02分。部屋に到着。いわゆるシングルルーム。多めのタオル、インスタントコーヒー、粉末の緑茶、電気ポットがあった。ベッドメイクもゴミの収集もないという。3泊4日の隔離生活のスタートである。といっても、たとえ帰宅できてもしばらくは今回の取材の執筆をしないといけないので、「ホテルに缶詰め」はどこぞの作家先生のようでもあるような、ないような。部屋の窓は開かないので外気が恋しい。その窓の外に見えるみなとみらいの夜景が(無駄に)綺麗だった。
■自宅隔離へ
奇しくも自分の誕生日である5月17日、今回4度目となる検査は無事陰性だったのでチェックアウトした後、またバスに乗せられて(乗客は10名ほど)羽田空港第3ターミナルへ。ここで解散となる。公共交通機関は使えないので、駐車場に置いてあった自家用車でやっと帰宅の途に就いた。
自宅隔離中でもやるべきことがいくつかある。毎日だいたい11時30分前後に厚労省から健康チェックのメールが届き、簡単な質問に答えて14時までに返送する。もうひとつはダウンロードした「OEL」というアプリの返答。1日に2回、時間はランダムで、「現在地の確認です。いますぐ報告してください」という通知が届く。これが来たらアプリを開き「今ここ!」というボタンを押すと現在地のGPS情報が送信される仕組みである。このアプリによって、対象者が自主隔離を行っているのかどうかを確認しているようだ。でも、誰かに頼んで「代弁」してもらうこともやれないことはないわけで完璧とは言い難い。
1度だけ、厚労省からSkype電話がかかってきたことがある。朝9時頃で、どうせ外出も来客の予定もないのだから、まだパジャマ姿で髪の毛は寝癖上等の無防備な状態だった。ところが「ビデオ通話にしてください」と言われ、あられもない姿を見知らぬ人にさらす結果となった。「そのままグルッと回って周囲を見せてください」とも言われた。「ほんとにコイツ、自宅にいるんだろうな」という確認のようである。
さらに「OELアプリによると、毎日貴方が橫浜のホテルと自宅を移動していることになっています。滞在するべき場所がホテルのままになっているので、それを自宅に上書きしてください」と指摘された。「そんなこと誰も教えてくれなかったじゃんか」と思ったけれど、教えていただいた通りに設定を変更した。そして現在地情報がちゃんと(誰かに)確認されていることがわかった。
この原稿を書いている今は羽田に到着してから13日目、隔離解除まであと1日である。おかげさまで体調は良好。そもそも渡航自粛が呼びかけられている中で、自主判断で行くことを決めたのだから、渡航中や渡航前後の不自由は当然のことであり、それ自体に文句などいっさいない。むしろ、帰国者のために人件費や交通費や宿泊費など莫大なコストがかかっていて申し訳ない気持ちにもなった。同時に、国際大運動会のために来日する数万人とも言われる関係者にはいったいどういう水際対策をするつもりなのだろうかと考えたらちょっと心配になった。
感染症が世界的規模で広がったりどこかで戦争のような事態が勃発しても、それでも地球は回っていて、その上に乗っかっている人の数だけそれぞれの日々の生活がある。なんちゃら宣言やマンボウが出てる出てないに限らず、どこぞの誰かがパーティに出ようと出まいとそんなことはどうでもよくて、少なくとも自分くらいは人様に迷惑をかけないよう気を配り、時速約1700kmで自転している地球から落っこちないよう粛々と暮らしていこうとあらためてそう思った。
REPORT&PHOTO/渡辺慎太郎(Shintaro WATANABE)
投稿 コロナ禍、イタリアへ行く。厳戒態勢下の海外渡航顛末記:後編【渡辺慎太郎の独り言】 は GENROQ Web(ゲンロク ウェブ) に最初に表示されました。