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プレアデス星団の和名
スバル(SUBARU)は戦前の中島飛行機株式会社がその母体である。中島飛行機は当時日本最大の飛行機メーカーであり、隼や疾風といった名戦闘機を生みだした。戦後中島飛行機は富士産業と名を改めたがGHQの命令により解体され、12社に分割された。その中の1社である富士工業が生産に乗り出したのがスクーターで、ラビットと命名された(ラビットは1968年まで生産された)。
朝鮮戦争により航空機の製造が認められると1953年に5社が出資し航空機製造会社として富士重工業が設立された。翌1954年には出資した5社を吸収合併しひとつの大きな会社となる。
スバルのエンブレムに採用されている六連星(むつらぼし)はこの6社を統べるという意味が込められている。六連星はプレアデス星団の和名だが、昴(すばる)とも呼ばれているため、製品名にスバルと名付けられることとなった。
4輪駆動車を作りやすいレイアウト
富士重工業は航空機の生産からスタートするが、自動車の開発も設立後すぐにスタートする。最初の製品となったのは、通産省の国民車構想に基づいて開発されたスバル360である。スバル360は空冷リヤエンジンというレイアウトだったが、その次に開発された乗用車、1966年発売のスバル1000は全く異なるレイアウトが採用された。フロントのオーバーハングに水平対向4気筒エンジンを搭載した前輪駆動方式が採用されたのだ。
このユニークなレイアウトは現在に至るまでスバル車を象徴する技術的特徴となる。全長が短く重心が低く回転バランスに優れる水平対向エンジンを縦置きにレイアウトし、左右等長のユニバーサルジョイントを採用するこの方式は、当時としては前輪駆動のレイアウトとしてひとつの理想型だった。このレイアウトはその後シトロエンGSやアルファスッドにも採用されることとなる。
このレイアウトにはもうひとつ大きなメリットがあり、縦置きギアボックスがエンジンの後方にあるため4輪駆動車が作りやすく、また左右のバランスの良いものになることだった(その後スバル自身シンメトリカルAWDと呼ぶようになる)。そのためスバルは1970年代前半という早いタイミングで4WDバージョンを追加することに成功した。乗用車ベースの4WDとしては世界初となったのである。そしてこの「縦置き水平対向4気筒エンジン+4WD」がスバルをスバルたらしめる技術的特徴となったのだ。
熱狂的ファンを生むきっかけ
この非常に独自性のある技術的特徴を持った各モデルは、クロスカントリーシーンやラリーシーンで大活躍することになる。ひとつの大きなきっかけとなったのは1981年発売のレオーネツーリングワゴンで、ワゴンボディによる多用途性と4輪駆動の走破性でアウトドアブームも相まって人気となり、その後レガシィという大ヒット作につながる。
1990年代にはWRCでも大活躍し、高性能イメージも高まった。このようにして日本ではスバリスト、北米ではSUBIEと呼ばれるスバル以外の車には目もくれないほどスバルを愛する熱狂的なファンが数多く生まれ、スバルブランドを支えているのだ。