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脱炭素先進国を目指したが
9月20日、イギリスのスナク首相は2030年にガソリン車とディーゼル車の販売を禁止するという政策を5年延期し、2035年からにすると発表した。イギリスは2017年に2040年にガソリン/ディーゼル車の販売を禁止すると発表していたが、2020年に当時のジョンソン首相が2030年にその時期を10年早めていた。EUの内燃機関車の販売禁止は2035年なので、EUよりも一歩先を行く政策だった。
脱炭素政策の後退は自動車だけではない。現在イギリスでの家庭用の暖房はガスと石油がメインだが、2025年以降に新設する暖房設備は化石燃料を使用するものは禁止し、電気のヒートポンプ式とする政策を打ち出していたのだか、これも2035年に延期になっている。さらに、北海における石油開発の停止も議論されていたが、それも廃案になった。
脱炭素先進国を目指していたはずのイギリスがなぜ修正を強いられたのか。最大の理由は来年予定されている総選挙だ。電気自動車(BEV)もヒートポンプもまだコストが高い。BEVはバッテリー原料の高騰によりかえって価格が上昇している状態だ。現状、手を出せるのはある程度以上懐の豊かな層に限られる。
見えてきた現実
つまり、今のままでは低所得層はクルマを買えなくなり、暖房設備も更新できなくなってしまうのだ。クルマも家も生活に直結するものだから、本当にその政策が実行に移されると多くの国民が苦しむことになる。脱炭素の旗は降ろせないから、とりあえず延期して国民の不安を緩和し保守党の票を確保したい、ということだろう。
またBEVがある程度普及したことで、BEVの現実も見えてきた、という側面もあると思われる。イギリスにおけるEV販売の現状を見ると、今年(2023年)1〜8月の新車販売におけるBEVのシェアは16.4%で昨年同時期の14.0%よりは伸びているものの、伸び率は鈍化している。同時期の6t以下の商用車のBEVシェアは5.4%で前年の5.5%からやや減少している(データ:SMMT)。
充電スポットも増えていて、2018年の1.8万基から2022年には5万器となっている(日本は2017年から3万器程度で推移し、増えていない)が、多くは3~22kWの低速充電器である。急速充電器は全国で8600器しかなく、日本の8400器と大差ない。急速充電器は350kWといった強力な充電器もあるが、日本同様50kW程度のものがかなり多いのが現状だ。BEVの総保有台数は55万台と日本(21万台)の倍以上もあるので、BEVの使用環境は日本より厳しいかもしれない(データ:IEA)。つまりインフラの整備が思うように進んでおらず、2030年まであと7年しかなく、このインフラ整備のペースでは新車販売を100%BEVするなど無理な話なのだ。
イギリス自動車産業への影響
充電価格も安くない。急速充電にかかる費用は1kWhあたり70~80ペンス、ガソリンは1Lあたり1.6ポンド程度なので高速走行で電費が5km/kWh程度だとすると、燃費10km/L程度のガソリン車と同じ程度のランニングコストがかかる計算となり、自宅充電ができない人のBEV購入モチベーションは高まらないだろう。
もうひとつ、イギリスがBEV化を強力に推し進めることを躊躇するファクトがある。2022年、イギリスで最も売れたBEVはテスラで以下、BMW、フォルクスワーゲン、キア、MG、ヒョンデ、メルセデス・ベンツ、アウディと続く。MGはイギリスのブランドで本社もイギリスにあるが、上海汽車の傘下で製造は中国で行われており、実体は中国車である。つまりイギリスで売れているBEVの大部分はイギリス以外で製造された車なのである。イギリスで売られているBEVのうち、イギリス製のシェアは2019年の14%から2022年は6.2%と半分以下になっている(データ:ACEA)。BEV化はイギリス自動車産業の従業員の雇用問題にも直結するのだ。
求められるBEV以外の方法論
さらに、上海工場製テスラやMGなど、イギリスで売られているBEVに占める中国製の比率は極端に高まっている。イギリスのBEV市場における中国製のシェアは、2019年の1.7%から2022年には31.8%にまで急増しているのだ。このままBEV化を推し進めたら、イギリスの自動車市場は中国製に席巻されてしまう。
このようにBEV化には様々な問題がつきまとっている。これはイギリスに限った話ではない。脱炭素は進めなければいけないが、BEV以外の方法論の模索も必要不可欠な状況に追い込まれているとも言えるだろう。トヨタをはじめとする日本のメーカーが提唱しているマルチソリューションを、欧米メーカーも追随せざるを得なくなるだろう。