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「彼」が会話を選ぶワケ
最近、電話を使う機会がめっきり減ってしまった。遠くにいる人、あるいは目の前にいない人と思い立ったら会話ができる電話は二次元の「どこでもドア」みたいなものだけれど、eメールやSNSといった一次元的なツールが広く普及して、これが電話の使用頻度の減少の一因だろう。昔は固定電話、後に携帯電話が登場したが、いまではLINE電話やメッセンジャー電話なんかもあって、はたしてこの両者を「電話」と呼んでいいものか自分なんかはよく分からないのだけれどそれはともかく、必ずメッセンジャー電話を使って連絡をしてくる知人がいる。
それはたいてい、普通の人なら布団にくるまって眠りについている「深夜」と呼ばれる時間帯だから、例えば午前0時過ぎにメッセンジャー電話の呼び出し音が鳴れば、携帯電話を手に取る前に「あ、田村さんだ」と分かる。「田村さん」とは、日産自動車のチーフプロダクトスペシャリストの肩書きを持つ田村宏志さんのことである。会話の内容のほとんどはこんなところでとうてい書けないようなことばかり。そういえば、彼とメールでやりとりした記憶がない。そんなヤバイ内容だから、証拠に残らないようメールではなく音声通話にしているのかとも思ったけれどそうではない。人に何かを伝えるとき、その真意が確実に正確に相手にパスできる手段として、彼は文章ではなく会話を選ぶ。せっかちなんで、ちまちま文章を書くよりは直接話したほうが手っ取り早いというのも多分にあると思うけど。
新型Zにまつわる1年前の約束
「いやあやっと解放されたのよ」と例によって午前0時近くにメッセンジャー電話の呼び出し音が鳴ったのは2020年9月16日、フェアレディZのプロトタイプが発表された日の夜だった。「まだプロトタイプなんで詳細はもう少し煮詰めるけれど、量産型はまあほとんどこのまま出しますよ」の言葉通り、それから約1年経った2021年8月18日にニューヨークで、プロトタイプから大きく変わることなく新型Zがお披露目された。
もちろん、この日の前後にも田村さんからは何度か連絡をいただいた。例によっていわゆる舞台裏の話がほとんどで、聞いている分には面白くて仕方ないのだけど、物書きを生業としている身としては書けないことばかりだと商売あがったりでもある。そもそも、すでにいろんな話をうかがったので、新型Zにまつわるどれが書いてよくて、どれはNGなのかも分からなくなってしまっていた。そんな悶々としていた頃、あらためて正規のインタビューの場を設けてくれた。
新型ZはクーペボディとなったS30から数えて7代目にあたる。S30の発表から52年目を迎えた今年、総生産台数は180万5000台を超えた(2021年3月時点)。参考までに、歴代Zの中でもっとも売れたのは初代S30で約52万4000台、2代目のS130が約45万7000台で後に続くものの、代替わりするたびに台数は減り続け、(現時点ではまだ現行の)Z34は2020年7月の時点で約12万8000台となっている。「台数の減少はZそのものに何か致命的な原因があったというよりも、時代を追うごとにスポーツカー自体が売れなくなる傾向と同期してるんだと思いますよ」との田村さんの分析はその通りだと思う。
「やっぱりデザイナーもZをやりたかった」
オンラインでのインタビューだったのだけれど、画面に「2017.3.1」という数字が表示されて「何の日付だか分かりますか?」と突然クイズが始まった。「これは社内に向けて新型Zの必要性を初めて問うた日」だそうで、そのときのメモも見せていただいた。作り込んだパワーポイントなどではなく、必要最低限のことしか書かれていない、それも手書きのメモというあたりがなんとも田村さんらしい。
「Zを考える」と表したメモには「外観変更」「パフォーマンスup」「法規適合延長」の3つのポイントなどだけがシンプルに記されていた。次のクイズは「414」。これは日産の社内デザイナーに新型Zのスケッチを頼んだところ414点も集まったそうで、通常の約5倍の数に相当する数らしい。「やっぱりデザイナーもZをやりたかったんですよ」と田村さんはちょっと嬉しそうに漏らした。
例えばポルシェ911がそうであるように、新型Zもまた歴代の象徴的なシルエットを継承し、遠くから見てもすぐにZだと判るスタイリングとしている。一方で、見せていただいた資料の中には「機能美」とも書かれていた。フロントに設けられた大きな開口部はパワートレインをしっかり冷却する目的で、そのフィンの断面形状は「薄型で流れを妨げない断面工夫により圧力損失を防ぎ空気流量増加に貢献」とのこと。「エンジンパワーが上がっているので発熱量は約35%増加しています。だからしっかり冷やすのは当然でしょ」と田村さんはサラッと流す。フロント部で「空気を切り裂き」、ボディサイドからリヤにかけて「きれいに収束させる」というコンセプトのもと、ドアハンドルの形状も刷新した。
もっとパワフルだし、もっと鋭い
エンジンはVR30DDTT。3.0リッターのV6ツインターボである。従来型よりも排気量は小さくなったものの最高出力は69ps、最大トルクは110Nmそれぞれ増えている(数値はいずれも日本仕様)。「スクエアがいいんですよ、あのシュンと回る感じが」と田村さんが言うように、ボア×ストロークは86.0×86.0mmである。ターボを装着したエンジンでは、高出力化とレスポンスが反比例する傾向にある。簡単に言えば、タービンとコンプレッサーのサイズを大きくすれば高出力化、小さくすればレスポンスの向上が期待できる。
このエンジンでは小径のタービン/コンプレッサーを採用しシャープなレスポンスを実現しつつ、ターボの回転センサーを追加することで回転限界まで使い切り、高出力化も達成した。これに組み合わされるトランスミッションは6速MTと新開発の9速AT。ATのハウジングはマグネシウム製で、MTだけでなくATにもローンチコントロールを装備している。MTはシフトフィールにこだわり、シフトレバーの動き出しでは手のひらに適度な荷重が加わり、後にスッと吸い込まれるように動くという。
人はGT-Rで戦い、Zと踊る
「Zはスポーツカーなんだけど、GT的要素も必要なんですよ」と田村さんは語り、操縦安定性の領域では旋回時の最大コーナリングGを従来型より6%増やす一方で、フロアの振動レベルを8.7%削減して乗り心地を向上、ロードノイズを3.7%減少させて静粛性も向上させたそうだ。ZのGT的要素というのは歴代Zが持つ性能のひとつでもあるけれど、現行の日産車の中における新型Zの立ち位置も考慮されている。つまりもうひとつのスポーツカー、GT-Rとの相関関係である。
幸いなことにと言うべきか、GT-Rをまとめているのも田村さんその人である。ZとGT-Rの性格の違いについて「Beauty&Beast(美女と野獣)」と表現し、「Zはダンスパートナー、GT-Rはモビルスーツ」と例える。では逆に、両者に共通することは何なのか。
「ドライビングプレジャーというキーワードは必ず入るでしょうね。ただ、両者にはそれぞれの歴史があるので、まったく同じではないけれど、基本的には大きく変わらないと思っています。人車一体とか、意図した通りに動くが意図しない動きはしないとか、これって当たり前のこと。じゃあそれをどう表現するか、当たり前をどう当たり前にやるかがエンジニアとしての腕の見せ所。当たり前ってわりと大事なんです」
誰がためにスポーツカーを作るのか
新型Zのニューヨークでのお披露目から約1ヵ月後の2021年9月14日、田村さんは2022年型GT-Rの発表会の舞台に立っていた。GT-Rというクルマの性能やスペックから「これが最終型か?」と当て推量している人も少なくないだろう。新型Zは最後のピュア内燃機を積むスポーツカーか? と聞いたら「そういうことを考えないのが私の考え。(内燃機の寿命を)引っ張る方が喜んでくれる人がいるのは確実なので、ギリギリまで引っ張るにはどうすればいいか、それは考える」と答えた。おそらくGT-Rも同じように考えているに違いない。
こういう田村さんについて「スポーツカーを愛して止まないエンジニアであり、その気持ちがモチベーションになっている」みたいに言われることが多い。間違ってはいないけれど正確ではないと自分なんかは思っている。もちろん彼は無類のスポーツカー好きで、これまでにはやっぱりここでは書けないようなクルマにまつわるさまざまな「やんちゃ」をやってきた。その経験がいまの彼のベースになっているのは確かである。
一方で、田村さんは「会社」「サラリーマン」「お客様」という言葉をよく使う。理想のスポーツカーを妥協せずに作っているが、それは自分がスポーツカー好きだからというよりも、そういう仕事を会社から与えられたサラリーマンとして、どうすればお客様に喜んでもらえるのか、その気持ちのほうが勝っている。実は田村さん、パワーポイントを作らせたら抜群にうまく、あくまでも会話を補うツールとして完璧なものを用意する。「スポーツカー作りは人のマネージメント」だと確信していて、そのためには(たとえ面倒くさいと思っても)手の込んだパワポ作りもいとわない。上司や部下やチームや社外とのコミュニケーションの重要性をわかっているからだ。
そこまで彼を突き動かしているのは、立場と任務を受け入れた場所で命を削っても全力で取り組もうとする自動車メーカーのサラリーマンのプライドなのだろう。あえていうなら、そんな田村さんはサラリーマンの“プロ”なんだと思う。