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今日は何の日?■フォードと共同開発したライトクロカンのトリビュート
2000(平成12)10年30日、マツダからフォードと共同開発したライトクロカン「トリビュート」が発売された。トリビュートは、当時人気を獲得していたトヨタ「RAV4」やホンダ「CR-V」のように、モノコックボディやオンデマンド型4WD、4輪独立懸架といった特徴をもつ。

トリビュートの先代はスズキのOEM車プロシード・レバンテ

1980年代のバブル好景気を背景に、マツダは軽自動車の復帰のために1987年にスズキと軽自動車生産の協力体制を構築することを発表した。その成果として、スズキの「エブリイ/キャリー」をマツダブランド「スクラム」として発売。またスズキのエンジンやコンポーネントを使って、マツダは新型「キャロル」を完成させた。

そしてマツダはラインナップで手薄だったRVとして、1995年にスズキ「エスクード」のOEM供給を受け、トリビュートの先代にあたる「プロシード・レバンテ」の車名で市場に投入した。内外装は、基本的にはエスクードと共通で、違いはフロントグリルとエンブレムくらいだった。

ボディタイプは、5ドアのロングと3ドアのショートを用意。パワートレインは、最高出力140ps/最大トルク18.0kgmを発揮する2.0L V6 DOHCガソリンエンジン(スズキ製)、76ps/17.5kgmの2.0L 直4 SOHCディーゼルターボ(マツダ製)の2種エンジンと、ガソリン車は5速MTおよび4速AT、ディーゼル車は4速ATの組み合わせ。駆動方式はパートタイム4WDが用意された。

1997年には、エスクードのモデルチェンジに対応して、プロシード・レバンテも2代目に移行。2代目は、“リアルクロカン”をキャッチコピーとして、当時人気だったトヨタ「RAV4」やホンダ「CR-V」と一線を画した本格的なオフロード性能を高めた。
プロシード・レバンテは本家エクシードの陰に埋もれがちとなり、脚光を浴びることはできなかった。
1996年にフォード傘下になったマツダ
バブル好景気の“作れば売れる”という勢いに乗って、トヨタがトヨタ店、トヨペット店、カローラ店、オート店、ビスタ店と5つのチャンネル体制で、ホンダや日産なども多チャンネル化によって販売拡大を図った。マツダも負けじとバブル絶頂期の1989年、ユーノスとオートザムという2つの販売チャンネルを新設して、国内5チャンネル体制を構築した。
ところが、その後はバブルの崩壊によって市場の低迷が始まり、マツダは販売台数を大きく落としシェアも下降。バブル崩壊による需要の低下もさることながら、5チャンネルによる無理な車種展開が、企業規模の大きくないマツダには大きな負担になったのだ。その結果、マツダはかつてない経営危機に陥り、1996年にフォードが持ち株比率を上げ、マツダはフォード傘下に入ることになった。
一方で1990年代は三菱「パジェロ」に代表されるRVブームが起こったが、当時のマツダには余裕がなくRVブームに対応したモデルも投入できず、上記のようにスズキからのOEM供給を受けてプロシード・レバンテを投入したのだ。
フォードとの共同開発で出来上がったトリビュート

プロシード・レバンテは1999年8月に生産を終えて、実質的な後継として2000年10月のこの日登場したのがライトクロカン「トリビュート」である。トリビュートは、マツダとフォードの共同開発モデルであり、フォードのバッヂを付ける姉妹車は「エスケープ」である。

トリビュートはモノコックボディで、サイズは同時期のRAV4より200mm長い。一般路でも快適な走りが可能な乗用車感覚のシャープでスポーティなスタイリングを採用。インテリアは、クロカンのイメージを排除して、より日常ユースに適した乗用車感覚のデザインが追求された。

パワートレインは、203ps/27.0kgmを発揮する3.0L V6 DOHC、129ps/18.7kgmの2.0L 直4 DOHCの2種エンジンと4速ATの組み合わせ。駆動方式は、ロータリーブレードカプリングと呼ばれる多板クラッチを使ったオンデマンド4WDである。なお、2.0L車にはFF車もラインナップされた。
車両価格は、4WD仕様で199.8万円(2.0L車)/224.8万円(3.0L)。比較的廉価な価格設定だったが、販売は期待したほど伸びず2006年に販売を終了した。
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当時、トヨタ「RAV4」とホンダ「CR-V」が都会派SUVとして人気を獲得していた。一方で、トリビュートは乗用車感覚のライトクロカンを謳ってデビューしたが、RAV4とCR-Vに較べると少しクロカン寄りだった。このことが、大きな支持を得られなかった一因ではないだろうか。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。






