旧車の定義

トヨタ 初代クラウン(1955)

旧車には明確な定義が存在しないが、一般的には年式の古い車を指すとされる。ただし、その判断基準は人によって異なる。

例えば、イタリア・トリノに本部を置くクラシックカー団体FIVA(Fédération Internationale des Véhicules Anciens)では「生産から25年を経過した車両」、一方で日本クラシックカー協会(JCCA)では「1975年以前に生産された車両」を旧車と定義している。また、旧車の中でも特定の名車や希少車のみを指して使われる場合もあり、その線引きは曖昧だ。評価基準はあくまで主観に委ねられているのが実情である。

惚れ込む価値はあるが維持は簡単じゃない、旧車の魅力と覚悟

旧車の魅力はいくつかある。まず挙げられるのは、独自のデザインだ。角ばったシルエットやレトロなディテールは現行車にはない個性を放ち、根強い人気を集めている。さらに、一部の旧車は今なお高い走行性能を備えており、サーキットやレースイベントで活躍するモデルも存在する。生産数が限られていることによる希少性も相まって、コレクター市場では高値で取引される車種も珍しくない。

一方で、維持には相応の覚悟が求められる。車齢が進んでいるため、修理や部品交換においてはコストがかかりやすく、パーツの入手にも時間がかかるケースがある。特に純正部品は製造が終了していることが多く、代替部品や海外からの取り寄せに頼らざるを得ない。加えて、塗装の劣化や錆への対策も不可欠であり、青空駐車では状態の維持が難しい。ガレージ保管や車両カバーの使用など、保管環境への配慮も求められる。

加えて、旧車には自動車税や重量税の割増制度が適用されるため、税負担は現行車より高くなりがちだ。燃費性能も総じて低く、日常的な移動手段としては不向きな面も多い。つまり、旧車は単なる“古い車”ではなく、時間と手間を惜しまずに付き合う価値のある対象といえるだろう。

欧米と日本での分類の違い

アメリカのクラシックカー Ford convertible(1949)

欧米では、車両の年代による呼称や分類が制度として明確に定められている。イギリスでは、「1886〜1904年:ベテランカー」「1905〜1916年:エドワーディアンカー」「1919〜1930年:ヴィンテージカー」「1931〜1942年:ポストヴィンテージカー」「1945〜1971年:ヒストリックカー」といった具合に、製造年ごとに細かく分類されているのが特徴だ。これらの区分では、製造年に加えて所有歴や保管状況といった部分も評価の対象となる。

一方、アメリカではより大まかな枠組みが採用されている。「〜1930年:アンティークカー」「1931〜1960年:クラシックカー」「1961年以降:プロダクションカー」といった区分が一般的であり、コレクター間や各種団体によっても多少の違いはあるものの、分類基準は比較的シンプルだ。

対照的に、日本ではこれら欧米のような統一された基準は存在せず、呼称や分類も曖昧である。一般には、製造から20年以上経過した車を「ヤングタイマー」、30年以上経過した車を「オールドタイマー」と呼ぶことが多い。戦前に製造された車を「ベテランカー」、 東京都主税局が1945年(昭和20年)までに製造された車を自動車税の減免対象としていることから、1945年以前の車を「ヴィンテージカー」とする例もあるが、明確な基準が設けられているわけではない。

また、「ノスタルジックカー」といった表現は日本独自のものであり、感覚的な意味合いが強い。分類の起点が制度ではなく愛好家やメディアの慣用に基づいているため、同じ車種でも呼び方が異なることも少なくない。呼称が多様であること自体は豊かさとも言えるが、定義としてはあくまで流動的であるのが日本の実情だ。

旧車文化の現在地とこれから

日産「スカイライン2000 GT-R (1970)」

日本の旧車文化は、欧米のように制度的な整理が進んでいない一方で、その曖昧さが生み出す多様性や自由さが一種の魅力にもなっている。今後は希少パーツの入手難や法規制の強化、さらには環境対応といった課題への対応が旧車ファンに求められるだろう。また、「ノスタルジックカー」といった呼称が広く浸透し始めており、新たな括りや価値観も徐々に定着しつつある。

一方で、クラシックカーイベントや専門ショップ、レストア市場は活況を呈しており、旧車に対する関心はむしろ高まりを見せている。SNSやオンラインコミュニティの発達も、愛好家同士の情報交換や文化の継承を支える基盤となっている。

こうした状況から見ると、日本の旧車文化は“変わらずに変化し続ける”段階にあると言える。所有者は過去の記憶を走らせながら、次の世代に向けてその記録を残していく役割を担っている。これから旧車に触れる人々にも、それが単なる“古い車”ではなく、時代を超えて走る“動く歴史”であることを感じ取ってもらいたい。