感覚の不一致による脳の混乱が引き起こす乗り物酔いの正体

「車酔い」「VR酔い」「3D酔い」これらはすべて動揺病、つまり乗り物酔いだ。乗り物酔いは、視覚情報と内耳にある平衡器官からの情報に不一致が生じた時、脳が混乱して起こる。なぜ脳は混乱するのだろうか。
人間の脳は進化の過程で、視覚と前庭感覚の情報を照合して身体の状態を把握するようになった。2つの感覚が一致していれば問題ないのだが、車の中でスマートフォンを見ているような場合は、目が静止した画面を捉えているのに、前庭感覚は体が動いていると脳に伝達する。
矛盾した情報を受け取った脳は何かしらの異常が起きていると判断し、原始的な防御反応を起こす。その防御反応が吐き気や冷や汗といった症状なのだ。
特に面白いのは、自分で運転しているときはほとんど酔わないという事実だ。この差は予測というキーワードで説明できる。ドライバーはこれからどのように車を動かすかを理解してから行動する。つまり、これから起きるであろう行動を事前に把握している状態だ。このような状況では、脳が動きの予測を行うため、感覚の不一致が生じにくい。
一方、運転に参加しない助手席や後部座席では、次の動きを正確に予測できないため、脳の混乱が起きやすくなるのだ。これは「感覚混乱説」と呼ばれる仮説で説明されている。VR体験でも同じように、被験者がコントローラーで自分の動きを制御できる場合は酔いにくく、他人が操作する映像を見ているだけの場合は酔いやすいという結果が出ている。この違いこそが、運転者と乗客の酔いやすさの差を科学的に裏付けているのだ。
VR酔いと車酔いの共通点とメカニズムの違い

VR酔いと車酔いは同じ動揺病に分類されるが、発生するメカニズムには微妙な違いがある。VR酔いの場合、目はダイナミックに動く映像を見ているのに、身体は静止している。つまり「視覚は動いているが前庭感覚は静止している」という不一致によって引き起こされる。対して車酔いは、車内で本を読んだりスマートフォンを見たりする場合「視覚は静止しているが前庭感覚は動いている」という逆の不一致によって生じる。
遅延も重要な要素だ。VRシステムで映像の更新に遅れが生じると、頭の動きと視覚のずれが発生し、酔いを悪化させる。これは車の場合、急に止まったり曲がったりする予測できない動きが酔いを誘発することと類似している。
VRと自動車の両方に共通する酔いにくい条件については、スタンフォード大学を含む複数の研究機関によって研究されている。それによると、酔いの症状の軽減にはどちらの場合も「視界の中に固定された参照点がある」「動きが滑らかである」「動きが予測可能である」という3つの条件が重要なことが明らかになっている。この知見は、VRコンテンツと自動運転車の両方の設計に活かされつつあるようだ。
「いかにして乗り物酔いを低減するか」が自動運転車の新たな課題に

自動運転技術の発展に伴い、動揺病に関する新たな課題が浮上している。ミシガン大学交通研究所の研究によると、米国成人の6-10%が頻繁に乗り物酔いを経験し、6-12%が中程度から重度の乗り物酔いを経験する可能性があると報告されているのだ。主な要因は、車内での読書や画面作業などの機会が増える一方、進行方向への視覚的手がかりが減少することとされている。
自動運転車特有の課題としてまず挙げられるのが、制御感の完全な喪失だ。従来の助手席では運転者の動作から次の動きをある程度予測できたが、自動運転では次の動きが全く予測できない状況が生まれる。
さらに、車内での過ごし方が多様化することで、視覚と前庭感覚の不一致が生じやすくなることも大きな要因だ。また、座席配置の自由度が高く、進行方向以外を向いた座席配置が可能になったことも、動揺病リスクを高める一つの要因とされている。
人の適応力の不足を補うテクノロジー。脳と乗り物の新たな関係性
動揺病の研究は、人間の脳と移動体験の関係に新たな視点をもたらしている。私たちの脳は、数万年にわたる徒歩中心の生活に最適化されており、高速移動や仮想空間といった「自然ではない体験」に完全には適応しきれていない。しかし、テクノロジーの進化により、将来的には脳の特性に合わせた移動環境を実現できるかもしれない。
VR技術の応用では、アップルが取得した特許において、自動運転車内でのVR体験で車の物理的な動きとVR内の動きを同期させることで感覚の不一致を最小限に抑える技術が提案されている。つまり、車が右に曲がると同時にVR空間も右に曲がるという仕組みだ。将来的には自動運転車内でのVR体験を快適にする技術として応用される可能性がある。
また、脳波や皮膚伝導度などの生体信号を利用して動揺病の前兆を早期に検知し、症状が現れる前に環境を調整するアプローチも研究されている。この予防的な手法により、動揺病の発症を未然に防ぐことが期待されている。移動と情報技術の融合は、今後ますます進んでいくだろう。
将来的にはVRや拡張現実(AR)技術を活用しながら、移動時間を有効に、そして快適に過ごすことができるようになるかもしれない。しかし、それらの技術を最大限に活用するためには、動揺病のメカニズムを理解し、それに対応した技術開発が不可欠だ。
自動運転やVR技術の分野への貢献が期待されている動揺病の研究は、人間の脳と技術の関係性を見直し、より人間中心の移動体験を実現するための重要な指針となるだろう。