大人気のラングラーもチェロキーもここから始まった! 偉大なるオフロード車「ジープ」誕生物語【タダで読める! Jeepヒストリー決定版!! vol.1】

第二次世界大戦勃発後に兵士のアシとするべく急遽開発された「ジープ」は連合軍を大戦勝利に導いた立役者のひとつであり、クロスカントリー ヴィークルの始祖にして自動車史に残る傑作車だ。だが、その歴史は紆余曲折のある複雑怪奇なもの。さらにバリエーションが豊富となれば、その全貌はジープオーナー&ファンでも詳しく知る人は少ないだろう。そこでジープの知られざる歴史を紹介していく! 第1回目となる今回はジープ の原型となった「バンタム試作車」について解説して行く。

クライスラーではなかった! ジープの製造メーカーはどこ?
その複雑な歴史と膨大なバリエーションに迫る!!

現在、ジープの商標と製造権を所有しているのはスティランティスN.Vだ。しかし、ジープの原型となった車両はアメリカン・バンタムが開発し、元祖となった軍用車両はウィリスとフォードで生産され、その後は製造メーカーの合従連衡により、極めて複雑な変遷を辿って今日へと至っている。
また、ジープはその基本設計の優秀さからアメリカ以外の国でもノックダウン生産やライセンス生産、あるいは海賊版のコピー生産が行われたこともあり派生モデルは無数にある。

左から1940年に開発されたウィリス・クワッド(ウィリスMA)、1942~45年にかけて生産されたウィリスMB、1950~52年にかけて生産されたM38(ウィリスMC)、1952~71年にかけて生産されたM38A1(ウィリスMD)。ともにスミソニアン博物館の収蔵車両となる。

これほど複雑な歴史と多くのバリエーションを持つクルマもほかに例はなく、よほどのマニアでなければジープのオーナーでもすべてを把握している人は少ないだろう。
そこで、そんなジープの歴史を振り返って行くことにしたい! 第1回目となる今回は元祖ジープことウィリスMB/フォードGPW誕生前史として、ジープの原型となったバンタム試作車と、同社を開発したアメリカン・バンタムについて解説する。

第二次世界大戦の勃発でドイツ軍のキューベルワーゲンの有用性が知られ
アメリカ陸軍はそれに匹敵する小型軍用車両を求めた

1939(昭和14)年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻するとイギリスとフランスはドイツに対して宣戦を布告。これによって第2次世界大戦が勃発すると、当初は中立の立場を表明していたアメリカ政府も遠からず欧州の戦争への参戦、もしくは巻き込まれる可能性を真剣に考えるようになった。

1939年9月1日、ナチスドイツはポーランドに対して軍事侵攻を開始。これを受けてポーランドの同盟国であったイギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告したことから第二次世界対戦は始まった。この時点で中立国であったアメリカは連合国側を支援するとともに、将来の参戦に備えて各種兵器の開発を加速させる。その中にはのちにジープと呼ばれる小型軍用車両も含まれていた。写真は戦争に勝利し、ワルシャワ市内を行進するドイツ国防軍の兵士。

ポーランドでの戦いはわずか1ヶ月ほどで終結したが、ドイツ軍勝利の背景には機甲部隊とそれに随伴する自動車化歩兵による高い機動性を生かした電撃戦にあった。中でも人員の移動・物資の輸送・連絡・斥候(偵察)・戦闘・電話線の敷設・負傷兵の移送など幅広い任務に活躍したのが小型軍用車両のキューベルワーゲンであり、同様の車両を保有していなかったアメリカ陸軍はその存在と有用性を初めて知ることになる。

ヒトラーの国民車構想に基づきフェルディナント・ポルシェ博士が開発した小型大衆車のKdf車(歓喜力公団の車)。のちの「ビートル」ことVW TYPE1。「自家用車に乗りたいなら、毎週5マルク貯めよう」をキャッチフレーズにナチス政権は自家用車購入積立貯金制度を創設したが、大戦勃発により実際に国民の手に渡ることはなく、ドイツ国民が積み立てた貯金は戦費に回されてしまう。
1938年に誕生したキューベルワーゲン(Typ 82)。設計に当たってはKdf車のメカニズムを流用し、生産性に優れたスチール製のプレス加工ボディを持つオープントップ車として開発された。4WD車ではないがハブリダクションギアとLSDを装備したRRレイアウトのため不整地の走破性は高かった。名前の由来はバケット(バケツ)シートを採用したことによる。
キューベルワーゲンと同じくKdf車から派生した軍用車両のシュビムワーゲン(Typ 182)。ポーランド戦の戦訓から河川渡河能力を水陸両用車として1940年9月に登場した。排気量は1086ccから1131ccへとスープアップされ、駆動方式は4WDを採用した。「シュビム」とはドイツ語で”泳ぐ”を意味する「schwimm」(英語の「swim」と同じ)から。

陸軍のムチャな要求に試作車を完成させたのはアメリカン・バンタムだけ!?

1923年に アメリカ陸軍がT型フォードをベースに試作したフォード偵察車4×2。第一次世界大戦の終結時、アメリカ陸軍は国内外の雑多な車両216車種を運用していたが、場当たり的に導入したために保守管理体制が整っておらず、半ば使い捨て同様の状態であった。それらを統廃合し、規格化された軍用車両の調達が急がれたが……。

じつのところ、アメリカ陸軍でも第一次世界大戦直後から同様の軍用自動車の必要性を認識しており、陸軍兵器局ではT型フォードを改造した車両を試作してはいたのだが、戦間期の国防費縮小による予算不足で本格的な開発計画は10年以上も棚上げされた状態だった。その後も小型軍用車両の開発は何度か検討されたのだが、こちらも実にはならず、計画は立ち消えとなった。

1917年型インディアンにM1914機関銃を搭載したサイドカー。ジープ登場以前、偵察や連絡任務にアメリカ陸軍はオートバイやサイドカーを用いていた。
戦前にモータリゼーションを実現したアメリカでも軍の機械化は第二次世界大戦直前まで遅々とした状況。写真はアメリカ陸軍として最後の騎兵突撃を行った第26″騎兵”連隊(フィリピンスカウト)。

しかし、ヨーロッパでの戦況に危機感を抱いたアメリカ陸軍参謀本部は、キューベルワーゲンに対抗し得る車両を求めて1940年5月に兵器局技術委員会内に歩兵・騎兵・補給部隊の将兵と民間技術者によって構成された「小型四輪駆動偵察車開発小委員会」を発足させ、同年7月に国内の自動車メーカー・135社に軍用小型四輪駆動車の開発計画へ入札応募することを要請した。

1916年のメキシコ国境戦役(パンチョ・ビリャ遠征)で泥濘路を進むFWD社のモデルBトラック。同車は第一次世界大戦のアメリカ・イギリス軍で使用された。アメリカ陸軍は早い段階から4WD車の利点を認識していた。
現在では自動車の車軸やトランスファー製造メーカーとして知られるマーモン・ヘリントンが、1937年にフォード製1/2tトラックを改造して4WD化した小型トラック。同社の前身であったマーモン・カー・カンパニーは高級車メーカーであったが、大恐慌で高級車が売れなくなると軍事技術者であるアーサー・ヘリントンを社に招き入れ、社名をマーモン・ヘリントンへと改名し、小型トラックと4WDシャシーの製造メーカーへと転身。フォードと技術提携を行った上で、軍用トラックを製造した。同社の4WDトラックの存在がジープ開発に与えた影響は否定できない。

開発に当たって陸軍が各メーカーに求めた要件は下記の通りだ。 

■アメリカ陸軍・軍用小型四輪駆動車発注要件
①高低2段切り替え式の副変速機を持つトランスミッション
②四輪駆動車であること
③積載量は1/4トンで、CAL30(30口径の機関銃)が搭載可能であること
④ブラックアウトライティング(灯火管制)システムを標準で装着すること
⑤スクウェアなボディスタイルで、折り畳み式のウインドシールドを備えること 
⑥車両重量を1,275ポンド(585kg)以内に抑えること。 
⑦ホイールベースは75インチ(1905mm) 、車高は36インチ(914mm)以内であること
⑧エンジン出力は40hp以上あること
⑨舗装路の最高速度は50マイル(80.5km/h)以上、最低巡航速度3マイル(4.8km/h)以下であること

これらの厳しい条件に加えて「試作車70台を75日以内に制作し納入すること」という付帯条件が追加された。
ただでさえ厳しい設計要件に加えて、開発期間が非常に短かったことからGMやクライスラーは応募を断念。これに手を上げたのはアメリカン・バンタム、フォード、ウィリスの3社だけで、そのうち期限内に試作車を提出することができたのはアメリカン・バンタムだけだった。

イギリスにルーツを持つアメリカ唯一の小型車メーカーがジープの生みの親

1940年9月から約1ヶ月かけて行われた陸軍によるテストの結果、バンタムの試作車は極めて優秀な成績を収めたことから、量産を前提にさらなる改良が加えた増加試作車の開発が決定する。

アメリカン・バンタムが開発した軍用小型四輪駆動車の試作車。Bantam Reconnaissance Car (バンタム偵察車)の頭文字を取り、以降のモデルはBRCのコードネームで呼ばれることになる。

なぜ、アメリカン・バンタムだけが期限内に優秀な設計の試作車を提出できたのだろうか?
それは同社がアメリカの自動車会社としては珍しく小型車に特化したメーカーであり、不採用には終わったものの、かねてから自社の小型車を軍用に改造し、多目的小型車として州兵や陸軍に売り込みをかけていたからであった。こうした経緯もあって、陸軍から入札案内が送られてきたときには、すでに試作車開発の下準備は整っていたのである。

アメリカン・バンタムのCI。同社は従業員わずか15名の零細企業であったが、副社長はアルミ製ピストンを発明し、アメリカで初めてDOHCやヘミスフェリカルエンジンを製造したレースエンジニアのハリー・ミラー。チーフエンジニアはスタッツやデューセンバーグなどの高級車を手掛けたハロルド・クリスト。営業担当は元海軍司令官のチャールズ ・H・ペインなどユニークな人材を擁していた。

ここでアメリカン・バンタムとはどのような自動車メーカーであったかについても触れておきたい。
同社の前身となったのは、1929年にデラウェア州に設立されたアメリカン・オースチンで、その名の通りイギリスの小型車におけるパイオニアとなったオースチンのアメリカ現地法人であった。

アメリカン・バンタムの前身となったアメリカン・オースティンで製造されていたオースチン・セブンの北米仕様。性能的にはイギリス仕様と差はないが、北米市場で販売するため左ハンドル化している。

オースチンは大型車が主流のアメリカ市場でセカンドカー需要を狙い、自社の主力車種であったオースチン・セブンを北米で生産・販売することを企図した。当初はその目論見が当たって市場からは好評を持って迎えられたのだが、過大な製品需要の見積もりと創業間もない時期に世界恐慌に見舞われた不運により、多額の負債を抱えて1934年に同社は倒産してしまう。その際にジョージア州でオースチンのディーラーを営んでいたロイ・エバンスがアメリカン・オースチンの資産を買い取って1936年に起こしたのがアメリカン・バンタムであった。

1939年型アメリカン・バンタム60シリーズロードスター。基本メカニズムはオースチン・セブンを踏襲しているが、エンジンは新開発のシリンダーヘッドを載せ、フロントグリルや前後フェンダーの意匠を変更している。
1938年型アメリカン・バンタム60シリーズクーペ。同車のスタイリングはパッカードやオーバーン、コード、のちにタッカー・トーペードなどを手掛けたウクライナ系アメリカ人のアレクシス・デ・サクノフスキー伯爵が担当した。

経営陣を刷新し、生産拠点をペンシルバニア州バトラーに移したアメリカン・バンタムは、1937年秋のニューヨーク・オートショーでオースチン・セブンの発展型であるニューモデルの60シリーズを発表し、38年から市販を開始した。しかし、エバンスの目論見は大きく外れ、ニューモデルの販売台数は販売計画の1/10にも届かないありさまであり、同社は創業から間もなく深刻な経営不振に陥ることとなる。

アメリカン・バンタムの社運を賭けた軍用小型四輪駆動車開発

そんなアメリカン・バンタムが起死回生を賭けて自社研究を進めていたのが、当時のアメリカ陸軍の装備リストにはない汎用性に優れた小型軍用車であった。

1940年型ダッジVCコマンドカーと並んで駐車するバンタム試作車。サイズとしては現行ジムニーと全長は近く、全幅は100mmほど大きくなる程度。ホイールベースはジムニーよりも300mmほど短い。アメリカ車としては異例なほど小さい。
1940年9月23日にアメリカン・バンタムの社員が一堂に会して同社の工場で撮影されたバンタム試作車の完成記念写真。一番左でスペアタイヤにもたれ掛かっているのがカール・K・プロブスト。運転席に座っているのがハロルド・クリストだ。

前述の通り、市販車をベースにした多目的小型車は陸軍に採用されずに終わったが、1940年8月に陸軍から軍用小型四輪駆動車の仕様書が届くと、同社のチーフエンジニアであったハロルド・クリストは今度こそ正式採用を勝ち取るべく、フリーの自動車技術者カール・K・プロブストを招聘し、クリストがプロジェクトマネージャーを務め、プロブストが設計・開発・製造を担当し、小型四輪駆動車の開発が急ピッチで行われることになったのだ。

「ジープの父」ことフリーの自動車技術者カール・K・プロブスト。1883年にウェストバージニア州で生まれた彼は、オハイオ大学の工学部を卒業後(学生時代の恩師はチャールズ・ケタリング)、チャルマーズ、ロジェ、ピアレス、レオなどを渡り歩いた。

試作車の性能に概ね満足したアメリカ陸軍であったが、アメリカン・バンタムの企業体力、とくに生産能力には大いに不安を感じていた。それというのもアメリカン・バンタムは従業員わずか15名の零細企業。工場も町工場に毛が生えた程度の規模であり、おまけに経営は火の車だった。
これに頭を抱えた小型四輪駆動偵察車開発小委員会は、極めて冷徹な判断を下す。増加試作車を開発するに当たって、バンタム試作車の設計図をウィリス社とフォード社に公開し、3社による競作としたのである。

バンタム製の乗用車(60シリーズ)に搭載された最高出力22hpの50.1cu-in(820cc)直4サイドバルブエンジン。当初はバンタム試作車への搭載も検討されたようだが、出力不足からバンタム試作車には最高出力44hpを発揮するトラクターなどに搭載されたコンチネンタル製BY4112型112cu-in(1835cc)サイドバルブエンジンが採用された。

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著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…