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4年ぶりにウラル・ジャパンが東京モーターサイクルショーに帰ってきた!
2023年3月24日(金)~26日(日)にかけて国際展示場”東京ビッグサイト”で開催された『第50回東京モーターサイクルショー』に、世界唯一のサイドカーメーカー「ウラル」が4年ぶりに帰ってきた。
バイク愛好家にとっての春の風物詩となっている東京モーターサイクルショーだが、2020年と2021年は新型コロナ感染症の影響でイベントそのものが中止となり、3年ぶりに開催した2022年は国際情勢を鑑みて輸入元である「ウラル・ジャパン」は出展を見合わせていた。
今回、東京モーターサイクルショーの会場にて、ウラルジャパンのボリヒン・ブラジスラーフCEO(以下、ブラド氏)に改めて出展した理由や日本へのデリバリーを含む同社の近況を尋ねた。
だが、その前にウラルをご存じない方のために、このサイドカーを簡単に紹介しよう。
ウラルのルーツはBMWの軍用サイドカーにあり!
ウラルの原型となったのは旧ソ連軍が使用していたIMZ-M72軍用サイドカーだ。
1939年9月にナチス・ドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発すると、ドイツ軍の電撃作戦を目の当たりにしたソ連の指導者であるヨシフ・スターリンは、陸軍の機械化を命令する。しかし、技術的に立ち遅れていた当時のソ連は、戦車に随伴できる軽車両の開発能力が欠如していた。中でもオートバイの開発技術は欧米列強諸国に比べて10年以上遅れており、新型軍用バイクの開発に苦慮していたソ連は、非合法な手段でBMW-R71の設計図と車両を入手。これを解析し、同社のコピーとも言えるM72を開発・製造することになる。
大戦に勝利したソ連は、ドイツからオートバイ技術と製造施設を接収し、BMW-R75型に採用されていた側車側の車輪も駆動する二輪駆動システムも導入して独自の改良を加えてサイドカーを開発。
戦後は軍用モデルでだけでなく民間モデルも開発し、東側諸国を中心に輸出市場でも成功を収めた。1992年のソ連が崩壊すると民営化され、「ウラルモト社」へと改組され、その頃から西側諸国への輸出を重視するようになり、現在では日本を含む世界42カ国に輸出されている。
日本の制度では税金はバイク、免許はクルマ!
なお、ウラルサイドカーは、日本の道路運送車両法では「側車付自動二輪」という扱いになるため税法上は小型二輪車(年額6000円/車検対象車)となるが、道路交通法では側車を切り離しての走行が不可能なため「普通自動車」扱いとなり、運転するには大型自動二輪免許ではなく、普通自動車免許(MT)が必要となる。
ウラルはアメリカに本社を置き、カザフスタンで製造される
ウラル・ジャパンのプラド氏に、改めて今回出展に踏み切った理由について尋ねてみた。
「2003年にウラルモーターサイクル社をワシントン州レイモンドに設立してからは本社機能はアメリカにあり、現在はアメリカのメーカーということになります。生産は2022年8月からはカザフスタンで新工場の稼働を開始しました」
「私たちにとってこの1年はとても難しいものでした。わずか半年間で新工場の確保から生産設備や工場スタッフの移転、生産の再開まで漕ぎ着けるのはさまざまな困難があり、本当に大変でした。
ウラルの日本市場での販売は毎年20%増のペースで伸びていたのに、一時的に輸入停止を余儀なくされたことも痛手でした。ですが、新工場の立ち上げにより、2022年6月から受注を再開し、秋にはカザフスタン製のウラルの納車を再開しています。その間の既存オーナーへの部品供給は、日本国内とアメリカの在庫で賄えましたので、ほとんど迷惑をおかけすることがなかったのが唯一の救いでした」
ウラルは他には得難い個性を持つユニークなサイドカーだ。何はともあれ、新天地で復活したウラルが再び日本にデリバリーを開始したことを喜びたい。認定ディーラーは全国に20店舗存在しており、興味のある人は近くのディーラーや、公式ホームページから問い合わせることができる。