高校時代から還暦までバイク一筋の趣味人がレストアしたダイハツ・コンパーノスパイダー! 【昭和平成なつかしオールドカー展示会】

オープンカーにとって最高のシーズンといえる春たけなわの4月9日に開催された昭和平成なつかしオールドカー展示会。眩しい日差しを受けていた会場で、一際目を引いたダイハツのオープンカーを紹介したい。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
196年式ダイハツ・コンパーノスパイダー。

戦前戦後とオート3輪を製造してきたダイハツ。今でこそ軽自動車専業メーカーだが、その端緒はオート3輪の軽自動車版であるミゼット。ミゼットが空前の大ヒットとなり次なる市場を目指したダイハツは、軽自動車ながら4輪を備えるハイゼットを発売。

さらに軽自動車ではなく小型車への挑戦に踏み切り、1961年の全日本自動車ショウでプロトタイプを発表するに至る。このプロトタイプはイタリアのカロッツェリアであるヴィニャーレにデザインを依頼してコンパーノへ生まれ変わることになる。

4シーターのフルオープンカーが日本でも作られていた。

いきなり小型乗用車市場へ打って出るのではなく、手堅くライトバンからのスタートとなったコンパーノは1963年に発売された。797ccの直列4気筒OHVエンジンを搭載する小型車であり、ダイハツにとって初めての登録車だった。ライトバンに続き乗用車のワゴン、セダンであるベルリーナなど続々と派生車を発売。

当時、小型セダンのベルリーナはコンパーノという名前より庶民に浸透して、ダイハツのセダンといえばベルリーナというほど強く印象を残した。ところがこれで終わらなかったことにダイハツの野心が現れている。1965年には意欲作であるコンパーノスパイダーを発売するのだ。それがこの4シーターのフルオープンカーで、797ccエンジンのボアを拡大した958ccの4気筒OHVエンジンを採用していた。

国産車離れしたデザインのインテリア。

コンパーノは1967年にマイナーチェンジを受け後期型へ移行。フロントマスクやテールランプのデザインを変更している。今回紹介するのは後期型のスパイダーで、所有者は栃木県にお住まいの大谷津 明さん。大谷津さんは若い頃からバイクを趣味にしてきて、乗るだけでなく自分でエンジンのオーバーホールや車体のレストアまで楽しまれてきた趣味人。

一般的なサラリーマンだったから4輪の趣味車を楽しむことは控えてきたが、ひょんなことからコンパーノベルリーナを譲り受ける。それが今から30年近く前のことだが、当時ですらベルリーナは古くて希少なモデル。整備するにも部品はないし専門のメカニックもいない。ここで大谷津さんのバイク趣味が生きてくる。バイクで培った技術を用いて、自らベルリーナをメンテナンスしてきたのだ。

メーターはND、日本電装製だ。
ダッシュボード下に8トラック式のカセットステレオを追加。

ベルリーナはついにボディの塗装を自ら剥がした地金状態で板金塗装工場へ持ち込むまでに至る。塗装ができる間にエンジンやミッションの整備をしたというから、自分でレストアしてしまったことになる。この経験があったからだろう、続いてスパイダーまで手に入れた。

やはり自ら塗装を剥がしたところまではベルリーナ同様だが、今回はついに塗装までチャレンジ。ほぼ自分の力だけで1台を仕上げた。するとさらにスパイダーを増車する。これが今回紹介する後期型で、その前に入手したのは前期型。実に一人で2台のコンパーノスパイダーをお持ちなのだ。

年式的に必要ないが後付けのヘッドレストを装着している。
リヤシートは足元が狭いものの座れないこともない。

前期と後期のスパイダーを所有する大谷津さんだが、イベントに駆り出すのは後期型が多い。というのも入手時から状態がよく、不安なく走らせることができるのは後期型だから。この日も後期型でイベントにエントリーされ、旧知の中であるパブリカ・コンバーティブルのオーナーと仲良く2台並べて展示されていた。

直列4気筒958ccOHVエンジン。
全塗装するときに外して貼り直したコーションステッカー。

前期・後期とも958ccの排気量となる直列4気筒OHVエンジンで、キャブレターはミクニ・ソレックスのツインチョークタイプを1機備える。ところがこのキャブレターが曲者でオーバーホール用のパーツが入手難。

本調子を取り戻すためには相当な苦労が必要。さらに前期は前後ともドラムブレーキだったが、後期のスパイダーにはフロント・ディスクブレーキが採用された。そのため普通に乗るなら後期型を選ぶのが自然なことなのだ。

セダンのベルリーナと同じデザインの顔つき。

2台のコンパーノをレストアしてきた大谷津さんだから、この後期型スパイダーも自分でレストアをされている。全塗装されたボディはご覧のとおり抜群の程度を保ち、各部に使われているメッキパーツには曇り一つない。

趣味人らしく全塗装する時に紛失したり捨てられてしまうことが多いエンジンルームのコーションステッカーなどもしっかり残されている。こうした部分に大谷津さんのこだわりが貫かれているのだ。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…